異変の正体
おかしい。僕は、はっきりとそう思った。
修験道の封印は、確実に弱めた。点ではなく線を。祠も、辻も、行場も。山を縛っていた「人の都合」を、片っ端から壊した。
それなのに。……怒りが、増してた。
肌に、刺さる。さっきまでとは質が違う。重さではない。方向性が全く違っている。山の怒りが、内へ向かっていない。噴火前特有の、「噴き出すための圧」ではない。
もっと、鋭い。特定の何かへと向けられている。
……誰に、向いてる?
僕は、その場に膝をつき、意識を集中させる。山の声を、直接聞くわけではない。痕跡から、ただ推理するだけだ。
一つずつ、可能性を潰す。
封印の問題か? 違う。そこ流れは、確かに戻りつつある。山の熱は、逃げ道を得ている。
次。修験者の暴走? それも、今は止んでいる。封印の貼り直しは、むしろ抑制方向だ。それでも、怒りは高まっている。
……じゃあ。
残る要因は、一つしかない。
――巫女。
僕は、ゆっくりと顔を上げた。
『「やってはいけないことをやった」』
そう口にした瞬間、空気が、びり、と震えた。山が怒るまでもなかった。それは、僕の怒りだった。山の怒り、そして僕の憤りが、重なった。
僕は、思い返す。
……慧日寺。近衛。そして――瀬戸。
思考が、一気に通る。
封印を弱めた。それでも怒りが増した。つまり――もう一つの調停点が、失われたことを意味していた。巫女という、山と人のあいだで、言葉を受け取る存在。それが、動けなくなったか、縛られたか、――奪われた。
「……やりやがったな」
声が、低く漏れる。近衛が、どんな判断をするか。僕は、知っていた。あいつは自分の理屈では間違ったことはしてない。一般的な目線で見れば、これまで間違っているのは、事情があるにせよ僕の方だった。正しいし、合理的だし、管理者としては、間違っていない。
だが――、やってはいけない手がある。越えてはいけない境界。そこを越えている。
巫女を、「安全のため」という名目で拘束すること。それは、もはや人柱と同じだ。たとえ、殺していなくても。それは一段階、質を変える。
でも、今、僕の気持ちをそこに乗せてしまえば、山と共に噴火してしまう。それでは本末転倒だ。山が熱くなるのであれば、僕は冷たくいる必要がある。
……僕が、止めないと。
ゆっくり立ち上がる。今となっては迷いなど、さほどもなかった。交渉は、もう終わっている。条件は、提示された。
「封印の解除と、巫女の原状復帰」
片方は、果たした。そして、もう片方が残っているだけだ。
僕は、慧日寺の方角を、まっすぐに見た。
……瀬戸。
心の中で、名前を呼んだ。すると驚いたことに、山が、それに応える。低く、しかしはっきりと。――取り戻せと。
……どこまで、伝わるんだよ。
神は、ありのままの気持ちを受け取る。それは、僕らの社会のコミュニケーションではない、もっと幼児的、原始的なもの。でも、だからありのままに伝わる。誤解がない。多分、彼らは、そういうコミュニケーションしか許さない。人の理屈や礼儀は持ち込まない。
だから、巫女たちは禊をして、自分を隠さず、ありのままの自分で神に向き合っていた。瀬戸さんもそうだった。
……瀬戸さんって、すごい人だな。
ようやく、彼女がしてきたこと、その欠片が理解できた気がする。そういうことが、やっとわかった気がした。神の意志は、命令ではない。依頼でもない。だいたい、当然の帰結だった。
僕は、深く息を吸った。
「……分かったよ。ようやく、ちゃんと」
ここから先は、修験道との戦いじゃない。人の論理との、正面衝突だ。彼女が奪われたままなら――山は、止まらない。




