選択する権利
夜が、深くなっていた。慧日寺の回廊は、昼とは別の顔をしている。灯りは少なく、足音が、やけに響く。
私は、ここに来て、初めて巫女の装束を身にまとった。そして、自分がどこへ向かっているのかを、はっきりと理解していた。
……止めに行く。
山を、封印を。そして――このまま進んで、誰かが破滅を選ばされる流れを。
そして、それでも誰かが破滅するしかないのであれば、それが、自分であるなら……それでも、いい。
怖くないわけじゃない。でも、考え続けて、何もしないまま、事態が悪化するほうがもっと、怖かった。
近衛の部屋の前で、私は一度、深呼吸をした。
「……失礼します」
返事は、すぐに来た。
「入れ」
近衛は、書き物から顔を上げる。一目で、気づいた。
「……その恰好」
「私、山に行きます」
空気が、一瞬で変わる。
「……何だと?」
「封印を解くわけじゃありません」
言葉を選びながら、それでも、まっすぐに言う。
「山の神に、直接、向き合います」
「馬鹿なことを言うな」
近衛は、即座に否定した。
「今は、いつ地震、それこそ噴火があってもおかしくない。今の山は管理できてない状況なんだ」
「だから……です」
瀬戸は、一歩も引かない。
「管理の外で、起きていることだから……」
「巫女……が、勝手に動いていい話じゃない」
「私は、勝手に動いているつもりはありません」
「……じゃあ、何だというんだ」
「選んだんです」
その言葉に、近衛の表情が、はっきりと歪んだ。
「……選ぶ?」
「人に任されるのでも、命じられるのでもなく、私が、自分で決めます」
沈黙。
近衛は、ゆっくりと立ち上がった。
「……それは、許可できない」
声は、低く、冷たい。
「君の身に、何かあったらどうする」
「それは、私の責任」
「違う」
近衛は、はっきりと言った。
「俺の責任だ」
瀬戸は、言葉を失う。
「君は、今や、鍵だ。山にとっても、人にとっても。そんな存在を、危険に晒す判断は、認められない」
「……それは」
瀬戸は、胸が苦しくなる。
「私を、物として見ている言い方だよ」
近衛の目が、わずかに揺れた。
「……違う」
だが、否定しきれない。
「君を、守っている」
「守るために、私の意志を、奪うのね」
その言葉が、決定打だった。
近衛は、一瞬、目を伏せ――そして、決めた。
「……千沙」
静かに呼ぶ。
そして、次の瞬間、私の首筋に微かな痛みが走った。
「……」
「すまない」
近衛は、視線を逸らさずに言う。
私が、振り返ると、屏風の裏に三好が立っていた。その手には、笛のような細い筒が握られている。その表情には、同情と後悔とが入り混じっているようだった。
体の力が抜ける。血流が遅くなり、体がしびれている。神経がうまく筋肉に命令を出せない。そんな感覚。
「……安全のためよ」
そう言って、一歩、近づいた。
「瀬戸さん、動かないでね。安静にしていれば、すぐに体調は戻るから」
「……っ」
私は、後ずさるが、まともに足が動かない。倒れそうになるのを、近衛が抱きかかえるように支える。
「……近衛……!」
声は、最後まで、届かなかった。
「すまない、……だが、これが、俺の選択だ」
それは、謝罪だったのか、言い訳だったのか。それとも決意だったのか。
意識が、暗くなる。そして、最後に見えたのは、近衛の背後で、目を伏せる三好の姿だった。
……私……、選んだ、はずなのに……。
明日は2本投稿します。12時と18時です。




