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平安京エイリアンズ  作者: 岬口大鴉
【八日目】

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まだ名のない決意

 風が、境内の端を抜けていく。杉の葉が擦れる音が、やけに大きく聞こえた。


……落ち着け。


 瀬戸澄佳は、胸の前で手を組む。指先が、わずかに震えている。


 慧日寺に来てから、時間の感覚が曖昧だ。封印が強められ、山は静まった――そう、皆は言う。けれど。……静か、すぎる。あの庵で感じていた、山の呼吸が、ここにはない。抑え込まれている。

 それが、山にとって良いことなのか、分からない。


「瀬戸さん」


 背後から、軽い声がした。振り向くと、鷺沢里穂が立っている。相変わらず、どこか楽しそうな顔。


「……はい」


 私は、一瞬だけ姿勢を正す。


「難しい顔してるね」


「……考え事を」


「分かる分かる」


 鷺沢は、あっさり頷いた。


「今の状況、誰が何を考えても、正解なさそうだもん」


 私は、何も言えなかった。


……正解。その言葉が、胸に引っかかる。


「ねえ」


 鷺沢は、本当に雑談みたいな調子で続ける。


「昔さ、この山で、巫女さんが――」


 意識が、一瞬、研ぎ澄まされる。


「……自分から残ったって話、聞いたことある?」


 心臓が、小さく跳ねた。


「……残った、ですか」


「うん。逃げなかった、っていうか」


 鷺沢は、深い意味もなさそうに笑う。


「人柱とか、そういう重たい話じゃなくてね。私がここにいれば、誰も困らないでしょみたいな」


 私は、言葉を探す。


「……それは、本当の話なんですか」


「さあ?」


 鷺沢は、肩をすくめた。


「あくまでも噂話。というか伝承なのかな。歴史っぽいやつ」


 そんな伝承、逸話については、今まで聞いたことがなかった。ただ、人柱というのは確かに多くあったらしい。神話にも逸話にも、記録にもたくさん残っている。それで、誰かが救えたのかはわからないけど、そういう風習、考え方があったのは確かだろう。


「でもさ」


 一拍置いて、鷺沢は続ける。


「そういう選択、昔はできる人も、いたんだなって思って。まあ私の中にはない価値観だから、少し驚いたというか、考えさせられちゃった」


 それだけ言って、鷺沢は手を振り、去っていった。そして、私は一人、残された。


……できる人。


 そういったときの鷺沢の笑顔が、残像として瞼に浮かぶ。少し軽い言い方だったけど、同時にとても重要なことを示唆してくれたようにも感じる。

 その言葉が、頭の中で反芻される。できる。できない。誰が? 私が?


……違う。


 そんな簡単な話じゃない。分かっている。これは、誰かに求められている選択じゃない。命令でも、強制でもない。望まれてもいない。だからこそ――私が今できることはないはず。


……逃げても、いい。それは人の権利、自由。


 山は、その神も、私に直接、何も言っていない。まだ、神託はない。だから――私は、関係していない。事件の中心にはつながっていない、そのはずなのに……。


……関係、ないわけ、ない。


 封印が強められ、怒りが溜まり、誰かが傷つく未来。それを、私は見ているだけで、いいのか。もし、私が、山の神にすべてを委ねれば、満足くんも、近衛くんも、そしてここに暮らす人たちも、すべて救えるならば、私は喜んでそうするべきではないだろうか。

 そこまで考えて、その自分の思考経路に驚く。


……違う。


 それは、自分を大事にしない考え方だ。自己犠牲で誰かを救おうなんて間違っている。傲慢だ。たとえそれがいい結果になったとしても、犠牲の上に救われた人の気持ちを無視している。それも理屈では、分かっている。ただ、それでも……。


……誰も、正解を教えてくれない。


 近衛も、修験者も。山の神も。皆、自分の正しさを守っている。

 じゃあ、私は、私の正しさを選ぶしか、ない。


 私は、目を閉じた。自分が、何を選ぶのか。それを、考えてしまったこと自体が――すでに、一歩、踏み出している証だった。

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