宿坊のガールズトーク
ピリピリした作戦本部を抜け出して、女子用に用意された宿坊の一室へ戻った。鷺沢里穂は、干した薬草を指先で弄ぶ。こういう匂いは嫌いじゃない。落ち着くというより、頭が冴える。
「ねえ、千紗。このあと、どうなると思う?」
軽い声にした。軽い方が、相手の本音が出る。千紗は即答しない。小袋に粉薬を詰めて、口を結んで、それからようやく顔を上げた。
「どうなるかじゃなくて、誰が損するかなら、大体見えてるかな」
「ふふ、さすが」
私は楽しそうに笑ってみせる。
「じゃあ、教えて。誰?」
「……一番危ないのは、正しい人たち」
千紗は肩をすくめた。
「修験も、恒一くんも、やってること自体は理解できる。でもね、こういうときって」
薬棚にもたれて、声を落とす。
「正しさを守ろうとする人から、順番に詰むのよ、大体」
「ああ、それなー」
私は即座に頷いた。
「正しい人ほど、それで変な選択肢を最後まで残しちゃう」
「ね」
千紗が苦笑する。
「本当はもう、ぶっちゃけ、やっちゃダメな手しか残ってないのに」
私たちの視線が、同時に山の方角へ向いた。部屋の中にいても、あっちが今いちばん濃い。
「……巫女、ねえ」
私は言う。
「瀬戸ちゃんは、今や、全ルートの交差点」
「あの人って、嫌でも目立つよね。本人はあまり自覚ないっぽいけど」
千紗の言い回しはいつも遠回りだ。でも、認めている。
「現状、彼女はどうとでも使える。人質にもできるし、供物にもされかけてる。でも同時に、誰も雑に扱えない存在。正しい人たちにとっては特にね」
「つまりさ」
私は少し声を弾ませた。
「瀬戸ちゃんは、動かしたら、全部ひっくり返る駒」
「……そうね」
千紗は一瞬だけ考えてから、きっぱり言った。
「私は触らないよ」
「おや?」
私は目を細める。
「千紗が? あの千紗が?」
「何よその言い方。私はかき回すときは、ちゃんと勝てる見込みがあるときだけ。今回はまったく得がないもの。ってか、いってないけどああゆう『正しい人』たちの次に、やばいの私たちだからね」
千紗が言い切ったのを、私はいったん受け止める。正直、そこまで自分たちを危険側に置いていなかった。私は窓の外を見て、空の色を確かめるみたいに少し考えてから、ため息をついた。
「そうなの? 私もやばい立場?」
千紗もため息だ。
「てか、私たちは恒一くんの保険だもの。誰が選ばれるかはわからないけど、恒一くんが何かやらかしたとき、その責任を被る誰かが必要でしょ。その候補になりうる立場という意味。あんまり心配しなくていいと思うけど、そういう意味ではね、私たちも安全地帯にいるわけじゃないってこと」
「なるほどね、さすが千紗、よく見えてるねえ。私、完全に部外者だと思って、今の状況を普通に楽しんでたわ」
そう白状すると、千紗は呆れた顔で、もう一度だけ息を吐いた。
「いいわね、あんたは楽しそうで。私なんて、恒一をどうにか切れさせないように必死なのにさ。直人なんて、ガンガンに恒一を詰めるからね。正直、もう少し優しくしてやれよと思うわ。男同士ってなんでああなん?」
「なんでだろうね、でもいいよね。私、結構あの二人の関係好きだわ」
「あんたの距離感が一番楽なのかもね。ちょっとうらやましい」
千紗の諦めみたいな声に、私は笑顔のまま返す。機嫌がいいのは本当だ。でも千紗は、私の機嫌の良いときが信用ならないのも知っている。だから釘を刺してきた。
「とにかく、今、瀬戸さんを動かすのは、ハイリスク・ノーリターン。どう転んでも、責任を押しつけられる」
「なるほど」
私は、くすっと笑う。
「じゃあ、千紗は何を狙うの?」
千紗は少しだけ間を置いた。
「今のところ……残る側かな」
「残る?」
「そう」
指で空をなぞる仕草をして言う。
「山がどうなろうと、誰が勝とうと、次のフェーズに参加できる位置」
「それ、すっごく千紗っぽい」
その答えに私は満足した。千紗は戦場で勝つより、盤面から落ちないことを重視する。そういう人は強い。
「私はさ」
山を見る。わざと別方向を見るふりをやめる。
「正直、このまま膠着するの、つまんない」
「でしょうね」
「だってさ」
山の方角を顎で示す。
「満足くん、全部ひっくり返す気満々だし」
「……そうね」
「近衛くんは、プライドで動けなくなってるし」
「……否定しない」
「瀬戸ちゃんは、選ばされる寸前で踏ん張ってる」
私は、そう結論づけた。
「今、一番足りないのって、予想外な動きなんじゃない?」
千紗が少しだけ目を細める。
「本当に……あんたが言うと、嫌な予感しかしない」
「褒め言葉だね」
私はそう言ってから、ただ笑った。
「私はね、面白く転ぶ可能性に賭ける」
「例えば?」
「例えば」
千紗の横に座りなおす。声は軽く。視線は鋭く。
「この状況さ。どう転んでも、瀬戸ちゃんが最終的に何かを選ぶわけでしょ」
千紗は薬包を畳みながら答えた。
「ええ。しかも、選ばないという選択肢は、もう消えかけてる」
「だよね」
「じゃあさ。問題は一個だけ」
指を一本立てる。
「何を基準に、選ばせるか」
千紗の手が、ぴたりと止まった。
「……あんた、彼女に何か言う気?」
「言う、というか」
肩をすくめる。
「気づかせるだけ」
「やめときなよ、彼女は別に悪い子じゃないよ」
千紗は即座に言う。
「ただ、真面目すぎるだけ」
「だから、だよ」
私はあっさり返す。
「真面目な人ってさ、一回、責任って言葉を握らされると、自分を切り捨てる」
千紗は否定できない顔をした。千紗がそういう顔をするときは、結論が同じときだ。
「私はね」
私は声を落とす。
「瀬戸ちゃんに、人柱なんて言葉、直接投げない」
「……じゃあ、どうするの」
私は何でもない調子で言う。
「昔はね、山の巫女が、自分から残ったって話もあるんだって」
千紗の眉が、わずかに動いた。
「……それだけ?」
「それだけ」
私は笑顔で言った。
「歴史っぽく。噂話っぽく。誰も責任を取らない言い方で」
「最低ね」
千紗は率直だ。
「でしょ?」
私は悪びれない。
「でも、一番効く」
千紗はしばらく黙って、薬袋を見つめた。
「……瀬戸さんが、それを聞いたら」
「考える。で、考えて、自分が動けば、誰かが助かるかもって、思う」
千紗が、はっきり言う。
「それは、彼女にとって、最悪の選択肢だよ」
「うん」
私は軽く頷く。
「でもさ」
ほんの少しだけ、表情を真面目にする。
「この状況で、誰も彼女に、正解を教えてない」
千紗は黙った。
「なら、間違える自由も、あるよね?」
千紗が深く息を吐く。たぶん、私のやり方が嫌いなんじゃない。効くと分かっているから嫌なんだ。
「私は、直接は関わらない」
千紗はきっぱり言った。
「彼女を動かすのは、損が大きすぎる」
「知ってる」
私はあっさり答える。
「だから、私がやる」
「あなた、あとで恨まれるわよ」
「かもね」
肩をすくめる。
「でもさ。選ばされるより、自分で選んで失敗したほうが、納得がいく。成長にもつながる。なにより、物語として綺麗じゃない」
千紗はその言葉を飲み込むみたいに黙ったまま、薬包をひとつ、丁寧に折り目を揃えた。
「……私は」
千紗が静かに言う。
「彼女が選択を誤ったとき、戻れる道だけは、なるべく残しておくよ」
私は振り返って笑った。
「さすが千紗。優しい」
「それが、後々に私の得になるから。ただそれだけ」
二人はそれ以上、何も言わない。言葉はもう足りている。
私は指先の薬草を、ゆっくりとひとつ摘んで、香りを確かめた。効くか効かないかじゃない。効くと分かっていることを、いつ、どの程度で、どこに置くか。その話を、今していた。
外はまだ静かだった。静かなうちに、噂は仕込める。そう思いながら、私は立ち上がった。




