封印を貼り直す者たち
まだ山に朝霧が残る時間帯、境内ではすでに僧と修験者たちが動き始めていた。読経の声は低く、一定のリズムを保ち、山の空気に溶け込んでいる。
近衛亘一は石畳の上に立ち、その様子を、腕を組んで眺めていた。
「……騒ぎすぎじゃないか?」
俺の背後で、藤巻が静かに首を振る。
「いや、むしろ遅いくらいだ」
藤巻は手元の端末――ゲーム内では「記録札」として表示されるもの――に視線を落としたまま続けた。
「山の環境値が、今朝から明確に変動している。火口付近の霊的圧、過去ログと比較しても異常だ」
「噴火するって言いたいのか?」
「可能性ではない」
藤巻は顔を上げ、言葉を選ぶ。
「封印が弱まっていると見るのが自然だ」
その言葉に、俺は眉をひそめた。
「……徳一の封印だろう? 百五十年前に施された」
「ええ。ですが、それも永続的なものではない」
藤巻は淡々と説明する。
「徳一の封印は、怒りを鎮めるものではない。力を流し、抑え、時間を稼ぐための措置なのだろう」
近くで話を聞いていた老僧――この寺の高僧NPCが、ゆっくりと頷いた。
「その通りだ。徳一菩薩は、山を縛ったのではない。人と神の間に、布を一枚、挟んだだけだ」
「……その布が、破れかけていると?」
俺がそう問うと、老僧は否定も肯定もしなかった。
「緩んでおる。それだけは確かだ」
修験者たちが、次々と符を準備し始める。木札、縄、経文、印。明らかに、封印を貼り直す動きだった。
一瞬、迷った。
――これで、本当にいいのか。
だが、ここで何もしなければ、「何もしなかった責任」は自分に返ってくる。
「……やってくれ」
短く言った。
「山が静まるなら、それでいい」
封印に向け実行部隊が動き出す。修験者たちは、封印のための道具を携え、経を唱えつつ、山に入っていく。本堂では、前線部隊を押し上げるように、集団での経の大合唱が始まった。
そして、しばらくすると、空気が確かに変わっていった。山の霊的圧が、少しずつだが着実に下がっていく。
「……効いてますね」
藤巻の声には、確信があった。
事実、噴気は弱まり、地鳴りも収まる。数値上は、成功だった。
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境内の端に立たされて、じっと山を見つめる瀬戸澄佳だけは、まったく別のことを感じていた。
……違う。
胸の奥が、ざわつく。
怒りが消えたのではない。向きが変わっただけだ。表面的に封じられたことで、山の神は、さらに深く、内側に怒りを溜めている。
小さく呟いた。
「……これ以上、強めると。山は、人のほうを向く」
その言葉は、誰にも拾われなかった。




