深夜の管理フロア
久世理沙は、一人だった。
管理フロアの照明は落とされ、必要なモニターだけが淡く光っている。この時間帯に残るのは、決まって彼女だけだ。
参加者は全員、ログアウト済み。バイタルも安定。強制遮断なし。
「……いつも通りね」
そう呟いてから、自分の声が妙に乾いていることに気づく。
報告書用のチェックだ。形式的な最終確認。
私は、端末を操作し、参加者ごとのログを流していく。
数値は、整っている。心拍変動、脳波同期率、ストレス指標。どれも、理論曲線の中に、きれいに収まっている。
「……」
そこで、スクロールを止めた。
……整いすぎている
実験は、こんなふうに進まない。必ず、どこかで歪む。感情か、判断か、疲労か。
特に今回は、多くのイベントが起きている。放火から始まり、疑惑、山中での異常行動。山狩り。地震、そして神託の発生。
それなのに、数値だけが静かだ。
「……ログ欠損?」
イベント影響履歴を開く。
本来、強い体験には必ず影響が出てくる。しかも、分かりやすく。戦闘や神的干渉。精神負荷の急上昇の数値として現れるはずだ。
だが、そこにあるはずの現象が見られない、抜け落ちている。記録はある。数値も多少は変動している。ただ――規定値以上に変動しない。
因果が欠けている。あるいは、ログに反映されていない? システムエラー? 一時的な通信不良?
そう考えて、首を振る。
……この程度で、システムログが消えるわけがない。
最後に、体感時間ログを開く。参加者の主観を、AIが再構成したものだ。満足の項目で、一文が目に留まる。
「長時間滞在の自覚なし」
「疲労感のみ残存」
瀬戸は、ほぼ正常、変わらず同じ傾向。
近衛は、満足の逆だった。いや、ベクトルが逆なだけで、状態としてはむしろ近いともいえるかもしれない。判断間隔の短縮、時間経過を短く感じている。
「……圧縮率」
小さく呟く。今日、自分が説明した調整。だが、これはまだ適用前だ。
……じゃあ、なぜもう影響が出てる?
椅子に深くもたれ、目を閉じる。
「……順調」
そう書けば、何も問題はない。むしろ、成功例だ。だが、胸の奥に残る感覚が、それを拒む。
――管理できていない部分が、増えている。
研究者としての勘が、そう告げている。誰かが、先に入りすぎている。いや――誰か、ではない。何かだ。
保存ボタンを押す。報告書は、無難な文面になるだろう。
「想定通り」
「経過良好」
「問題なし」
それが、今の正解だ。
立ち上がり、フロアの照明を落とす。
去り際、端末の画面に戻り、一つの項目にだけ、指が止まった。
――強制ログアウト設定。
一瞬、本当に一瞬だけ、迷いが走る。そして、何もせず、手を引いた。
「……明日、もう一度」
誰にともなく言って、部屋を出る。管理フロアは、再び静かになった。
だが、モニターの奥で、世界は確実に、人の手を離れ始めていた。




