修験者
探索は、慣れたものだった。地形を見て、風の通り道を読む。少し上ると、かなり雪が残っている箇所もある。獣の痕跡を拾いながら、山全体の雰囲気を感じ取る。
この山は、怒っているらしい。だが、暴れてはいないそんな気がする。木々の折れ方。鳥の鳴き方。水の濁り。どれも、「警戒」に近い。そんな感じだ。
……まだ、完全には機嫌を損ねていない。
罠を仕掛け、ウサギを一匹捕らえる。肉は少ないが、十分だ。
日が傾くころ、山腹の洞穴を見つけた。人が使った形跡はない。だが、風が通らず、奥行きがある。潜伏には、悪くない。洞の奥で、息を整える。
僕の中のあいつは静かだ。完全に消えたわけじゃないけど、こちらが前に出なければ、向こうも前に出ない。そういう距離感が、分かり始めていた。
「……探るか」
小さく呟く。
この山で、何が起きているのか。神の機嫌を探るなんて初めての経験だったが、人の動き、獣の動きならばそれなりに経験を積んできたつもりだ。そして、それを知ることが、次の一手につながるはずだ。
そう考えながら、少し休息すると、再び、僕は洞窟の外へ出た。
それは、本当に偶然だった。
尾根を一つ越えた先で、人の気配を感じた。足音。布擦れ。低い読経の声。
――修験。
修験者だった。数は、二名。こちらには、まだ気づいていない。
僕は、身を低くした。避けられる。やり過ごせる。特に問題はないはずだった。
そう思った瞬間、胸の奥で、あいつが――ほんのわずかに、息をした。漏れたのは、力というより、輪郭だった。
次の瞬間、向こうが立ち止まる。
「……何だ」
修験者の一人が、空を仰ぐ。
「この気配……」
視線が、こちらに向く。正確には、僕にではない。周囲の影が、不自然に歪んでいる場所だった。
……見えている。人としてじゃない何者かが。
修験者の目には、こう映っているはずだ。山の影に、異形のものが混じっている。穢れを纏った、得体の知れない何かが潜んでいるという映像だ。
「……魔か」
もう一人が、数珠を強く握る。
僕は、歯を食いしばった。出るか。逃げるか。どちらにしても、もう“探索”では済まない。あいつが、再び、静かに蠢いた。薄く。だが、確実に。
次に起きるのは――避けられない衝突だった。
僕は、一歩、前に出た。影が、周囲に溶けながら、ゆっくりと形を変える。ここで、山は息を止めた。
修験者の一人が、はっきりと印を結んだ。指が絡み、空気が鳴る。
「――オン、バサラ、ダルマ、キリク……」
低い声。だが、唱和が終わる前に、それは形を持った。
符のような光が、空中に描かれ、弾丸みたいにこちらへ飛んでくる。
「……っ!」
避けきれない。肩をかすめた瞬間、衝撃より先に、重さが来た。どん、と内側を殴られる感覚。HPが削られる。数値として、はっきりと。同時に、僕のなかのあいつは修験者たちに嫌悪を示した。胸の奥が、焼けるように疼く。
「効くな……」
呪は、単なるダメージじゃない。穢れを刺激するようだ。修験者向けに調整された、対・異形用の術というところか。
二発目。今度は、軌道が違う。
「……なるほど」
僕は一歩、横に出た。この術は、真っ直ぐしか飛ばない。詠唱。発射。硬直。――パターンがある。NPCらしい動き。強いが、考えては来ない。
三発目を、岩陰でやり過ごす。そして、四発目の詠唱に合わせて、距離を詰めた。
「っ!?」
修験者が驚く。
近接は想定していなかったようだ。呪は、中距離用。僕は、山刀を抜いた。刃が光る。あいつが、ざわりと動くが、主導権は渡さない。
「……寝てろ」
一撃。肩口を、横から叩く。刃は振るわない。峰で、鈍く。修験者が崩れる。
もう一人が、慌てて印を組む。同じ印。同じ呪。
「同じだな」
もう一度、僕は踏み込んだ。術が放たれる。今度は、真正面から受けた。痛みが走る。HPが削れる。だが――踏み込める。
その距離なら、次の詠唱は終わらない。山刀を、下から振り上げる。腹部に、鈍い衝撃。修験者が呻いて、膝をつく。殺さない。意識を落とすだけ。
僕は、二人の修験者を見下ろした。
「……すまん」
本音だった。彼らは、職務を果たしただけだ。だから、逃がすことも許容する。しばらくして、一人が、よろめきながら、立ち上がり、もう一人に肩を貸して山を下る。
修験者の背が、尾根の向こうに消えたのを確認してからも、僕はしばらく動かなかった。
……他の修験者はいない。
少なくとも、今この瞬間は。
呪を受けた肩が、じん、と遅れて痛み出す。HPには、まだ余裕があるがが、場所が悪い。ここは、西の麓へとつながる修験道の支線だ。
正規の山道。石が敷かれ、人が歩く前提で作られている。修験者は、必ずこの道を通る。
「……長居する意味はないな」
僕は、山刀を納めた。殺していない。だが、見られた。異形として確認されただろう。それだけで、十分すぎるリスクだ。
「たしか、瀬戸さんは、慧日寺の修験者って、言ってたな……、西側にあるって」
あの負傷した修験者が戻れば、慧日寺が僕に気付く。
――磐梯の山中に、穢れを帯びた存在あり。
その一言で、事態は動く。
西は避けるほうがいい。代わりに、一歩、山の裏へ踏み込む。踏み跡のない斜面。獣が通っただけの、細い道。修験道は、人のための道だ。
だが、山には、人以外の道がある。僕は、その裏を知っている。
木の根を掴み、足場を探し、音を殺す。枝を払うのではなく、潜る。斜面を横切り、風の向きを変える。
――気配が、薄れる。
ここまで来れば、追跡は難しい。修験者は、基本、道を外れない。道を外れる修験は、もはや修験ではないだろう。
僕は、その方角を一度だけ振り返った。磐梯山の西側――慧日寺のある方角。そこには、まだ何も動きはない。だが、時間の問題だ。
「……次は、もっと静かにやらないとな」
次に、東を見る。猪苗代湖側。瀬戸の神社がある方角だ。だが、まっすぐ戻る気はない。まだ何もわかってはいない。まずは、山の様子を見る。神の機嫌。人の動き。そして――自分自身の状態も大事だ。
洞穴へ戻り、息を整える。火はなるべく使わない。音も立てない。あいつは、再び、静かになっていた。だが、完全に引いたわけじゃない。
「……あっちは、ちゃんと見てたな」
修験者の目。人としてではなく、何か別のものとしてこちらを捉えていた。それが、何より厄介だ。
僕は地面に腰を下ろした。
ここから先、動き方を次第で――山は、一気に騒がしくなる。
「焦ってはだめだ」
自分に言い聞かせる。今は身を隠す。それだけでいい。
近衛たちは、来るだろうか。慧日寺が本格的に動くのは、彼らが来た後だろう。その時は、もしかしたら騒がしいでは済まないかもしれない。だが、来るべきその時がの前に――自分は、この山の裏側をもっと知っておく必要がある。
僕は、ゆっくりと立ち上がり、再び獣道へと身を滑り込ませた。山は、まだ、黙っている。




