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平安京エイリアンズ  作者: 岬口大鴉
【七日目】

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ずれる

 再ログインの準備は、驚くほど淡々と進んだ。

 医療チェック。神経反応。脳波同期。すべてが「問題なし」の表示を出す。

 久世理沙は、端末越しにそれを確認しながら言った。


「今回のログインは、きっちり八時間。何かあれば、即時コール」


 僕は、頷いた。異論はない。今回は、守る。――守れるかどうかは、別として。


「……行ってきます」


 誰に言うでもなく、そう言って、ヘッドセットを装着する。

 意識が沈む。だが、前回と違う。沈むというより、引き寄せられる感覚。水に落ちる感覚ではない。磁石が、向きを揃えたみたいな。違和感はある。だが、ログインを止めるほどではない。

 そのまま、視界が開ける。


 最初に感じたのは、静けさだった。風がない。虫の音もない。目を開けると、そこは――磐梯山の麓。

 だが、前にいた場所とは、微妙に違う。あの庵の外だった。前回のログインから、位置がズレる。ほんの微妙な位置だったが、こんな経験は初めてのことだった。

 同じ庵、同じ沢、同じ結界がある。なのに、誰かいた痕跡がない。足跡もない。まるで、自分が最初に来たことになっている。

 僕は、ゆっくり息を吐いた。


「……おかしいな」


 ここで、瀬戸と別れた。ログアウトした。はずだ。なのに、僕が来る前まで時間が巻き戻っているような、いや正確には違う。順序が、入れ替わっているそんな感覚だった。

 僕は、沢に近づいた。水は、いつも澄んでいる。顔を映すと、自分の影が――一拍、遅れて動いた。


「……まだいる」


 僕の中のあいつは、この場所ではほとんど眠っている、ただ離れてもいない。そして前回よりも、制御が効いていない感じがする。


「……瀬戸さん?」


 呼びかけても、返事はない。それなのに。胸の奥に、奇妙な確信があった。


――彼女は、あとから来る。


 理由は分からない。だが、そういう流れになっている。僕は、立ち上がった。

 前回は、先に瀬戸がこの場所を作り、自分が飛び込んだ。今回は――僕が、場にいる側か。

 

 その瞬間、風が吹いた。

 結界が、わずかに震える。意識の端で、システムメッセージが走る。


 【警告】

 同一エリアにおいて、時系列整合性が不安定です


 思わず笑った。


「知ってるよ。……もう、普通の再ログインじゃないな」


 そんなとき遠くで、足音がした。山道を登る、一人分の気配。僕は、沢から離れ、庵の影に立つ。心臓が、少し速くなる。

 やがて――瀬戸澄佳が、姿を現した。

 だが彼女は、僕に気づいていない。彼女は、どの時系列の彼女なのか。実際に話せばわかるかもしれない。でも、そこにリスクがないという保証もない。

 僕は、その背中を見ながら思った。戻ったのは、自分が先。そこに瀬戸が入ってきた。今回は、自分が先にここにいる。この順序の入れ替わりが、何を意味するのか。まだ、分からない。

 だが一つだけ、確かなことがある。この世界は、もう同じ形では続いていない。


 僕は、静かに息を整えた。声をかけるべきか、何も言わず立ち去るべきか。声をかけるならば、なんというべきか。そもそも、どう動くのが正解なのか。慎重に考えを巡らせる。

 僕は、動かなかった。庵の影に身を寄せたまま、瀬戸澄佳の背中を見ている。彼女は、こちらに気づいていない。隠密スキルを使い、こうして隠れている限り、気づかれることはないはずだ。この場に、自分以外の「誰か」がいることに。

 それが、ひどく不思議だった。前回は逆だった。自分が迷い込み、彼女がそこにいた。彼女の場所に僕が入り込んだ。


――今は違う。


 その事実を、頭で理解するより先に、なぜか身体が理解してしまっている。胸の奥が、じわりと重くなる。痛みではない。怒りでもない。奇妙な偏りだ。


「……」


 息を整えようとした、その瞬間。影が、もう一度だけ、遅れた。

 今度は、沢の水面に映る影ではない。地面に落ちた、自分の影そのものが、わずかに、ずれた。

僕は、ゆっくりと視線を落とす。影の輪郭が、環境に溶けている。木の影と、自分の影の境界が、曖昧になっている。


「……来るな」


 命令するように、覚悟を決めて、小さく、呟く。

 そのときだった。胸の奥で、何かが――位置を変えたはっきりとした感覚。暴れたわけではない。声もないし、像も結ばない。ただ、時系列の狂っている事実だけに、反応した感じだ。それは、怒りでも、喜びでもない。むしろ、「想定されていない配置」への、違和感そのものだった。

 背筋に、冷たいものが走る。場面が、まだ、完全には定まっていない。


「……まずいな」


 声に出した瞬間、瀬戸の張った結界が、かすかに揺れた。湖畔から張られた結界の縁が、ほんの一瞬、撓んだ。

 瀬戸が、ぴくりと肩を揺らす。その揺れに、気配に、反応したのだ。まだ、こちらを見てはいない。だが、何かがおかしいことには、気づいた。

 僕は、一歩、後ろに下がった。

 下がりながら、確信する。――これは、暴走じゃない。でも、無害でもない。順序の乱れに反応して、僕の中のあいつが動いている。兆候としては、十分すぎる。

 僕は、息を殺し、瀬戸が振り返るより先に、庵の奥へと身を隠した。

 まだ、出てはいけない。まだ、声をかけてはならない。まだ、触れてはいけない。この歪みが、何を意味するのか。それを知るには、もう少し、待つ必要があった。

 庵の中は、静かだった。さっきまで感じていた結界の揺れは、庵の中では感じなかった。ただ、それが逆に、落ち着かない。


――今は、何も起きていないだけだ。


 場が、場面が、定まっていない状態で、自分がここに留まるのは良くない。瀬戸が戻ってきたとき、この庵が「彼女の場所」であり続けるためにも。

 僕は、かつて彼女が座っていた火鉢のそばに腰を下ろし、簡単な書置きを残した。


 少し、山に入る

 探索と、状況確認

 無理はしない

 何かあれば戻る

         ――満足


 言葉は少ない。だが、約束としては十分だ。パーティとしての役割は果たす。だが、常に隣にいる必要はない。それが、今の自分にできる最善だった。

 外に出る。空気が、変わる。結界の外は、少しだけ重い。それでも、前ほど息苦しくはない。

 

 こうして僕は、山に入った。

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