戻れなかった理由
目を閉じていたつもりはなかった。だが、久世理沙の声が聞こえたとき、自分がしばらく黙っていたことに気づいた。
「……改めて確認するわね」
ベッドの横に立つ久世は、講師としての顔と、研究側の顔が半分ずつ混ざっている。
「あなた、連続ログイン31時間26分。規定は、一日8時間。残業厳禁」
僕は、ゆっくり息を吐いた。
「……ですよね」
「聞きたいのは、そこじゃない」
久世は即座に言う。
「どうして、ログアウトしなかった、いや……できなかったの」
僕は、天井を見た。
「できなかった、っていうか……」
言葉を探す。
「最初はしようとした気がする、でもうまくできなくて、そのうちタイミングが、分からなくなってたというのが正しい感じかも……。気づいたら、切るべき感覚そのものが薄れてた」
久世の眉が、わずかに動く。
「自覚は?」
「ほぼ、ないです」
「二日って言われて、正直、信じられなかった」
久世は、端末に目を落とす。
「……異常な集中状態。いわゆるゾーンに近いけど、持続時間が長すぎる。普通なら、どこかで途切れる」
僕は、そこで視線を戻した。
「逆に、聞いていいですか」
久世が顔を上げる。
「どうぞ」
「なんで、 切られなかったんですか」
一瞬、空気が止まる。
「規定、ありますよね。8時間の。完全アウトじゃないんですか」
久世は、少しだけ間を置いてから答えた。
「……判断が割れた。切るべきだ、という意見もあった。でも――」
満足は、続きを促すように黙っている。
「無理に切ったら戻れない可能性があった……」
その言葉は、想像以上に重かった。
「あなたのログ、何度か【境界】に入り込んでいる。【境界】にいるという状態は、本人が戻る判断をしていない、あるいはどちらが現実なのか判断できない状態の可能性を示唆している。これは意識下でできていたとしても、無意識下では違う可能性もある。つまり、どちらが現実なのかが曖昧になっている。そこで強制切断した場合、意識が向こうに引っ張られるリスクがあった」
僕は、無言で聞いた。
「だから、戻る意思が見えた瞬間までシステムが待ったというところね」
少し抽象的な説明だ。考えないとわからなかった。
「境界ですか、この場合でいうと……」
「うん、ごめん。ちゃんとこちらの理解を説明するわね。ここでいう【意識が向こうに引っ張られる】とか【戻れなくなる】は、別にVRに閉じ込められるとか、システム障害でログアウト不能といった物理的な話ではないの。現実に戻っても、もう【現実を現実として信じられなくなる】状態のことを言ってる。ここまでは、わかるかな」
あまり信じられなかったが、久世が言ってることはわかる。それに、言われてみれば少し実感もある。
「つまり、僕はその状態になる、【境界】にまで入っていたと、いうことですか」
「そう、ずっと【境界】にいた。だから、システムはログアウトを制限した。セーフ機能としてね。コントロールの側で強制ログアウトはできた。ただ、同じ理由で、その判断の意見が割れた。よって保留されていた。ということ」
説明はわかった。詳しいことはわからないけど、確かにどちらにもリスクがある、難しい判断が求められる事象だったのは充分理解した。そして、その判断は「今回は」、正しかったともいえる。
「それで、僕は境界から戻った。だからログアウトは自然にできた」
そう呟くと、久世は、はっきり言う。
「ズバリ、瀬戸さんとパーティを組んだからね。彼女のおかげで、あなたは現実とつながった」
僕は、頷いた。
「やっぱり、見てますよね」
「当然よ」
久世は即答する。
「パーティ結成も、同時ログアウトも、基礎ログよ。隠せると思ってた?」
「いや」
満足は、首を横に振る。
「ごまかすこともありません。ただ、分からなかっただけです。何が起きてるのか」
久世は、ベッドの横に腰掛ける。
「私も、全部は分からない。でも、推論は立つ」
僕は、静かに言った。
「瀬戸さんがいたから、戻れた……」
断定ではない。確認でもない。ただの、事実確認に近い言葉。久世は、それを否定しなかった。
「瀬戸澄佳。あなたの同級生で、私の教え子。成績は優秀」
「知ってます」
久世は言葉を選ぶ。
「ゲームプレイも真面目。特別なログもないし、異常値も、ない」
「僕は?」
「私の教え子で、問題児、ゲームプレイは独特で、異常値だらけ。でも、あなたの異常値は、彼女に会ったタイミングで下がっている」
僕は、苦く笑った。
「……僕はやっぱり、問題児ですか」
「そうね、自覚がないなら、なおさらだね」
久世は、あっさり言う。
「でも、問題があるから、切られない。それに、それが逆に価値があると判断されることもある」
その言い方に、僕は目を伏せながら、今後についての一番の懸念について尋ねた。
「……次は?」
久世は、少しだけ表情を和らげる。
「特に変わらないわ。当然、ログイン時間は厳守だけど、自由にしていい」
僕は、すぐに返事をしなかった。でも、少しほっとしたのも事実だった。
「……瀬戸は」
久世が、目を細める。
「心配?」
「当然……です」
そう、はっきり言った。やはり不安もある。
「僕のせいで、何かに巻き込まれるかもしれない」
久世は、首を横に振る。
「それは、まだ分からない。ただ一つ言えるのは、彼女のプレイログは正常、身体の状態も安定している。何も問題を起こしていない。それが、今のところの結論」
沈黙。僕は、天井を見つめた。
「……じゃあ、次は、ちゃんと準備します。で、ちゃんと戻ってきます」
久世は、その言葉を聞いて、小さく息を吐いた。
「それでいいよ。今回は、戻れた。それだけで、十分よ」
僕は、目を閉じた。次に戻るときは、もう少し、自分の状態を理解した上でいけそうだ。瀬戸と、同じ場所に立つためにも。




