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平安京エイリアンズ  作者: 岬口大鴉
【六日目】

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38/53

残る感覚

 庵の中は、思ったより暗かった。

 外が白み始めていることに、僕はしばらく気づかなかった。土間に敷いた藁束から身体を起こして、ぼんやりと庵の上を伝う梁を見つめる。


「……夜、明けた?」


 自分の声が、ひどく鈍く聞こえた。

 瀬戸澄佳は、すでに床を出て、墨がうっすらと赤くなった火鉢の脇に座っていた。膝の上に手を置き、こちらを見ている。


「うん」


 なんだか、元気がない。寝不足? 僕がいるから寝れなかったのかもしれない。そりゃそうだ、よく知らない男と同じ部屋で一緒になんて、そう簡単に眠れるものじゃない。そうだとしたら、申し訳ないことをした。


「早速、山に行くよ」


 僕が、そういって身支度を整えようと起き上がると、彼女は制止するように声を出す。はっきと強く。


「待って!」


 短く、そう言ってから、少しだけ言いにくそうに続ける。


「……二日、経ってる」


「え?」


 僕は、思わず聞き返した。


「そんなわけないだろ。昨日――」


 言いかけて、止まる。昨日、とはいつだ。山に入ったのが、昨日。転げ落ちたのが、昨日。ここに来たのが、昨日。全部、昨日だと思っているが、どの時点のことだ。ゲーム内で二日、それとも……。


「……冗談だろ」


 瀬戸は、首を横に振る。


「満足くん、最後にログインしたのは何日目?」


 僕は、しばらく言葉を失った。


「五日目……」


「今は、六日目の終わり、たぶんゲーム内の時間なら今日の夜には、ログアウトすることになる、普通なら」


 胸の奥を探る。疲労は、ある。だが、極端じゃない。空腹も、渇きも、致命的なほどではない。


「……感覚、なかった」


 正直な感想だった。


「だと思った」


 瀬戸は、少しだけ視線を落とす。


「私も、最初は気づかなかった。でも、やっぱりおかしい気がした」


 僕は、苦く笑った。


「そうか」


 連続ログイン、おそらく現状では30時間以上ということになる。

 その言葉が、今になってじわじわ効いてくる。


「……まずいよね」


「うん、まずいよ絶対」


 瀬戸は、即答した。


「ちゃんと戻るべき」


 僕は、息を吐いた。ここが永遠に安全なわけじゃないことも、もう分かっている。


「俺、ログアウトする」


 瀬戸は、少しだけ間を置いてから言った。


「……心配だから。一応、私も」


 僕は、瀬戸を見た。


「いいのか? 今日の残り時間、プレイできなくなるけど」


 瀬戸は、庵の中を見回す。


「大丈夫。やれることはやってあるし。それに――」


 言葉を探して、それから続ける。


「あなたが、戻れるかどうか。私も、確認したい」


 僕は、その意味を理解した。彼女は、巫女としてではなく、同級生として言っている。


「……そっか」


 短く、そう答える。

 二人の間に、特別な合図はない。カウントもない。ただ、それぞれが、自然に準備する。

 僕は、再び藁の寝床に横になる。視界の端で、瀬戸も同じように自分の寝床に入り込むのが見えた。


「……また、来るから」


 独り言みたいに言うと、瀬戸は小さく頷いた。


「うん。ここは、逃げない」


 その言葉を聞いて、僕は初めて、完全に力を抜いた。


 ログアウトの感覚が、ゆっくりと重なる。今回は、特に邪魔も入らなかった。いつも通り、自然だった。

 山の気配が遠のき、滝の音が薄れ、水の冷たさが消えていく。僕の中にいるあいつは、最後まで何も言わない。

 そして――闇。暗転は、思ったより静かだ。音が消える、というより、音の意味がなくなる感じ。滝の轟きが、水の冷たさが、瀬戸の声が――、それらが「あった」という記憶だけを残して、手応えを失う。


 次に目を開けたとき、天井は白かった。

 見慣れたはずの、無機質な白。ライトの光が、やけに強い。


「……あ」


 声を出そうとして、喉がひりついた。身体が、重い。さっきまでの山の重さじゃない。人間の身体の重さだった。指を動かすと、ちゃんと動く。胸に手を当てる。心臓が、規則正しく打っている。


「……戻った、のか」


 誰に言うでもなく、呟く。時計を見ると、16時半になりかかったところ。つまり31時間、僕はログインし続けていたということだ。

 瀬戸に言われるまで、まったく自覚がなかった。その時間が、今になって一気にのしかかってくる。

 頭が、遅れて痛み出す。目を閉じると、山が浮かぶ。夫婦の気配。拒絶。「穢れを纏った神」という言葉。


 そして胸の奥を探る。あいつは――いる。


 そんな気がする。気のせいかもしれない。幻覚かもしれない。錯覚かもしれない。ただ、確かに、いる。だが、静かだ。いや、遠い。でも、存在は感じる。現実に戻っても。


「……やばいな」


 誰に向けた言葉でもない。

 瀬戸の張った優しい結界。水。あの場の空気が、ログアウトした今も、引きずって体の感覚にある。自分が、まだ向こうと切れていない感覚。それが、妙に現実的だった。

 ベッドの横に置かれた端末。その通知ランプが点滅していた。

 ただ今はまだ確認する気が起きない。数字や文字より、確かめたいことがある。


……戻れた。


 その事実。逃げ切ったわけじゃない。解決したわけでもない。だが、戻れなくなる一線は、越えていないそれだけで、胸の奥が、少し緩む。

 瀬戸は、どうしただろう。一緒に、ログアウトした。あれは、約束でも、契約でもない。ただの、判断の一致。


「……心配だから」


 あの言い方が、妙に頭に残っている。巫女としてでも、取引相手としてでもない。同級生としての言葉。

 僕は、ゆっくり息を吐いた。ここから先は、また別の地獄だ。検査。説明。問い詰め。近衛たちは僕をほっといてくれるだろうか。

 久世からは逃げられないだろう。当然、色々聞いてくるだろうし、こちらも確認すべきことがある。ちゃんと話はしないといけない。そう思えたのは、初めてだった。


 目を閉じる。今度は、意識を失うためじゃない。休むために。山の冷たさは、もうない。だが、水の流れる感覚だけが、まだ、胸の奥に残っていた。

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