目的と目的地
奴の匂いは、もう残っていない。それでも、記録だけは残っている。
近衛恒一は、腕を組んだまま、帳面の上に並んだ報告を見下ろしていた。
足跡。倒れた枝。血痕――少量。
「……逃げられはしたが、ダメージは残っていそうだな」
独り言のように言う。その隣で、藤巻直人が淡々と補足する。
「追跡ログは、山中で乱れている。速度が一気に落ちた後、異常な移動パターン。逃走というより迷走だね」
俺は、眉をひそめた。
「迷走ね」
「地形要因では説明できない、状態の問題とみるのが妥当だろうな。三好の薬の効果が切れたんだろう」
藤巻は、端末を操作する。
「その後、しばらく山中を彷徨って、さらに奥に消えた。以降、こちらのログ検索には引っかからない」
「いや、充分さ。少なくとも、お前のスキルは、まともな人間の暮らす世界においては完璧だ」
そうおだててやると、藤巻も悪い気はしなかったようだ。
「このあとはどうする」
国分修司が指示を仰ぐ。冷静な表情の裏では、考えるよりもはやく行動したいという感情がある。それが分かりやすく見て取れる言動だ。
俺は、ふっと鼻で笑ったあと、誰ともなく尋ねる。
「あいつはどこに行くと思う」
「やつが正気に戻るなら、当初の目的地にいくんじゃないか」
国分は、素直に思ったことを口にする。
藤巻は首を振る。
「俺たちはあいつの目的地を知っている。そして、それはあいつも分かっている。素直に会津に向かうとは思えない」
「恋する人間の気持ちをわかってないなあ。ここはいくでしょ、なにがあっても」
思った感想を素直に口にする国分、理屈で読み解こうとする藤巻の見解に、感情と物語を重視した三好千沙の反論。
もろにそれぞれのキャラが出ている、その答えが違っていて可笑しい。
「くくくっ」
つい、こらえきれず笑い声が漏れてしまう。
「なんだよ」
藤巻の不満そうな声。
「いや、悪い。ただ、楽しいなと思ってさ」
素直に謝ると、藤巻も、三好も、国分も少し表情が緩んだ。
「まあ、ここは直人の負け。修司は合格、千沙の勝ちってとこだな」
そう俺が告げると、嬉しそうな三好と満足げな国分。
そして明らかに不満げな藤巻が、口を開く。
「判定の根拠を教えてもらっても?」
「なに、簡単なことさ。あいつは、多賀城で事件を起こした。その前も、まともに軍団の任務をしていなかった。あいつの目的は、このゲームの中では最初から一貫していたとみるべきだろう。そして、多賀城滞在の期限が迫る中で、一か八かの賭けに出た。行動原理はやっぱり一貫している。あいつが、評価点を気にしないのは、もっと重要なことがあるからだ」
そう言い終えてみんなの顔を見る。それぞれ、違った表情を浮かべているが、ちゃんと納得してくれたようだ。
「なら……やっぱり、会津か」
「そいえば、多賀城からあの辺に巫女が派遣されたんじゃなかったけ?」
三好にそう言われて、わずかに反応してしまう。
「瀬戸だな」
藤巻が、静かに言う。そして、続ける。
「そういえば彼女、多賀城で満足と接触している。事件の少し前、市場で会話したというログが残っている。その内容までは、確認できないけど。ちなみに、二人がゲーム内で接触したというログは、この前も、その後も一度もない。この時だけだ」
どういうことだ。この情報をどう読むべきだ。どう理解すべきだ。関係があるのか、まったくの偶然か……。
「行けばわかるだろう。本人に確認すればいい」
国分修司が、低い声で言う。
「……そうだな」
そうだ、その通りだ。少し考えすぎてしまうのは、俺の悪い癖だ。こういうとき、彼らの存在はありがたく思う。これは、素直な気持ちだ。
「瀬戸はすでに着任している。磐椅神社か。あまり知らないな」
ログを見ながら現状を報告する藤巻に、俺は答える。
「磐梯山の麓にあるんだ。あの辺は山と猪苗代湖に挟まれたいいところだよ。湖の近くに迎賓館があって、そこに泊まったことがある。そこの神社も、そのときにお参りした覚えがある」
「いいなあ、あたしも泊まってみたい。連れてってよ、亘一」
「今、そんなもの建ってるわけないだろ」
無粋な国分のツッコミに、三好が冷めた調子で答える。
「馬鹿じゃないの。リアルでの話に決まってるでしょ」
「まあ、考えておくよ。それより直人、彼女のログは追えてるか?」
三好の「絶対だからね!」という声をよそに、藤巻は端末でその確認をする。
「……ああ、あるな。周辺集落の住民、神社の関係者、慧日寺の僧侶など、NPCとのログが多数……。プレイヤーとの接触は確認できない、今のところはな」
少し意味を持たせた報告。これは嬉しい誤算だ。都合は悪くない。
「瀬戸さんの行動は常に追ってくれ。毎日、行動ログは報告書でまとめて上げること。異常があれば、最優先で情報を共有。いいな」
「わかった」
これは任務としての指令、だから藤巻も任務として答える。
これで、今のところ一緒にプレイできていない瀬戸澄佳の行動も把握できる。悪くない流れだ。
ゲームというものは、いつも想定どおりに進むのならば、面白くない。やる意味がない。満足は、ゲームを面白くしてくれる要素にすぎない。これは、俺と彼女、どちらが勝つかのゲームだからだ。
そして、このゲームに勝つのは俺だ。




