庵
目を開けると、天井が低かった。いや、正確には梁が近くて、天井はその奥に闇のように広がる。うっすらと屋根の茅葺がむき出しで見える。
少しだけ眠った感覚がある。眠った記憶というのもおかしな話だけど、それが圧縮されていないのは初めての経験かもしれない。
古い木の匂いと、木が焦げる匂い。
僕は、一瞬、どこにいるのか分からず――それから、遠くに聞こえる滝の音、沢のせせらぎを聞いて、ようやく思い出した。
身体を起こそうとして、やめる。だるい。全身が重い。だが、あの鉛のような重さではない。現実でもなじみのある疲労感だ。
胸の奥を探る。あいつは、いる。ただし、静かだ。
「……起きた?」
声がした。
その方向に顔を向けると、瀬戸澄佳が土間の入口に立っている。装束は着替えている。さっきより、ずっと巫女だ。
「水、飲める?」
僕は体を起こし、差し出された椀を受け取る。
冷たい。ただの水。なのに、喉を通るたび、頭がはっきりしていく。
「……助かった」
この庵には、まともな部屋といえる場所は、僕が寝ている板間だけだった。しかも、多分4畳半ないくらいの狭さだった。その一段下に、小さな竈がある土間がある。
「あと、ごめん。寝床をとっちゃたな」
素直に言うと、瀬戸は少しだけ目を伏せた。
「別に大したことしてない。ただ、あなたが倒れたから、そこに寝かせただけ」
「実は、こっちに来て布団で寝るのは初めてだ」
そういうと、瀬戸は少し驚いた顔をして、そのあと少し表情を曇らせる。きっと僕の境遇を少し想像して、憐れんでくれたのだろう。こういうのを、感受性が強いというのだろうか。それとも優しいということなのか。そんなことを思いながら、僕は椀を置く。
「ところで、何してたのあんなところで」
少し非難が混じっている、とがめるような声。
「あっ……、そうじゃない、本当に誤解なんだっ…って」
そうだった、僕はあの沢に転げ落ちて、そして彼女が禊をする姿を覗いて、いや見とれて……。そう考えながら、おもむろに瞼を閉じる。うむ、あのとき網膜に焼き付いた映像はしっかり脳裏に焼き付いている。このゲーム、そういう規制とかされないのね。
「そこの人、思い出さない!」
そう言われて、すぐに僕は目を見開く。
「って、そうじゃなくて……、なんで、そんな状態になってるのかってことを聞きたいの」
そうだった。僕はどうして、こんなことになったんだっけ。途中の記憶がいろいろと曖昧だ。
今の僕は逃亡者。前回、安積の川辺でログインして、聞き込みでは収穫があったけれど、近衛たちに出くわした。絶対絶命のピンチのところで、あいつがまた目を覚まして、それで逃げて、逃げて、山の中をさまよい歩いた。そして……。
「山で、何かに怒られた」
僕がそういうと、瀬戸が顔を上げる。
「この山で、なにかに?」
「そう、なにかに……。人ではない、NPCでももちろんない。なんだろう」
「……返事、した?」
一瞬の沈黙。
僕は、思い出す。左右から来た圧。夫婦のような気配。
「会話したかどうか、ちょっと記憶は曖昧なんだ。でも確実に意思はあった」
瀬戸の指が、きゅっと握られる。
「……どんな?」
「怒ってた。理由も、はっきりしてた」
僕は、ゆっくり言う。
「穢れを纏った神を持ち込むな、って」
瀬戸は、息を止めた。
「……穢れを、纏った」
「たぶん僕の中にいるなにかを、そう呼んだ」
瀬戸は、しばらく黙ってから、ぽつりと言う。
「……私は、返事をもらえなかった。何度も、挨拶したのに」
僕は、その言葉を聞いて、少しだけ申し訳なく思った。
「僕は、たまたまだ。追われて、転げ込んだだけだ」
瀬戸は、首を横に振る。
「それでも、私ができなかったことを、あなたはした」
視線が合う。でも、どこか遠く感じる。現実でも、ゲームでも、距離感は変わらない。




