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平安京エイリアンズ  作者: 岬口大鴉
【六日目】

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34/49

転落

 空気が、急に変わった。

 それまでまとわりついていた湿り気が消え、音が削がれ、胸の奥がきゅっと締まる。


……ここ、違う。


 そう思った瞬間、視線が落ちてきた。

 上でも、前でもない。左右だ。山そのものが、二つの意思でこちらを見ている。

 男と女。理由は分からないけども、夫婦だと、はっきり分かった。

 重なり合わない圧。寄り添うのに、混ざらない。僕はその中央に立っている――そう気づいたとき、胸の奥であいつが、意味を持とうとして脈打った。

 問いが立つ。選別が始まる。

 

 次の瞬間、怒りが山から降って来た。

 声ではないが、確実に「言葉」だった。


『穢れを纏った神を、我らの領域に持ち込むな』


 穢れを、纏った……神?

 理解する前に、もう一つの意思が重なる。


『それは人の側で生まれ、人の側に留まるものだ』


 夫婦の神威が、完全に一致する。

 ここは、問いを抱える場所ではない。

 

 山が、拒絶した。足元が消えた。

 地面が崩れるのではない。場所そのものが、僕を弾いた。拒絶した。

 そして転がる。

 

 枝が体を打ち、石がまたそれを弾き、僕の視界が白くなる。

 逃げた感覚はない。ただ、追い出された。

 下へ、下へ。人の領域へ。


 意識が途切れかけたとき、冷たい感触が、頬を打った。


 水。沢だ。


 次の瞬間、胸の奥が、すっと軽くなる。あいつの存在が、掴めない。

 消えたわけじゃない。ただ、形を保てない。あいつからの問いが、流される。意味が、留まらないで、ただ下流に流されていく。


 僕は、膝をついた。

 息が、できる。視界が、戻る。滝の音がする。

 そして、白い水の線の向こうに、人影があった。


――瀬戸澄佳。


 白い装束は、沢の水を受けて、肌に張り付いている。


……あ。


 不謹慎だと分かっているのに、目が、離れない。濡れた布越しに、身体の線がはっきり分かる。

 肩。腰。胸のあたりが、特に。

 水滴が、鎖骨を伝って落ちる。

 瀬戸は、まだこちらに気づいていない。

 両手を水に差し入れ、静かに、呼吸を整えている。


……禊。


 祓っているというより、何かを通している感じだ。僕はそんな風に、直感的に理解した。

 ここでは、問いは留まれない。

 あいつの力は、留まれない。


「……瀬戸……」


 掠れた声。滝音に紛れた、と思った。

 だが、彼女は振り返る。

 一瞬、何が起きているか分からない顔。

 次に、僕の視線の先――、つまり自分の装束に気づく。


「あ……っ」


 慌てて、腕を胸の前で交差させる。

 顔が、一気に赤くなる。


「み、見ないで……!」


 怒鳴るでもなく、責めるでもなく。

 素の反応。

 その仕草があまりにも普通で、山の神威も、追手も、僕の中のあいつも、全部、一瞬だけ、遠のいた。


「あ、いや、その……ごめん」


 何を謝っているのか、自分でも分からない。

 瀬戸は、視線を逸らしながら、濡れた袖をきゅっと絞る。


「……こんなところで、人が来るなんて……」


 それから、ようやく気づいたように、僕の様子を窺うように見る。


「……大丈夫?」


 その一言で、緊張の糸が切れた。

 

 体から、力が抜ける。あいつは、まだ、いる。だが、ここでは暴れない。

 山は、怒っている。だが、ここは山ではない。

 水が、全部、持っていく。


「……ちょっと……ねえ、ねえって……」


 瀬戸の声が、遠くなる。

 僕は、沢の冷たさと、滝の音と、濡れた白装束の残像を最後に、――意識を、手放した。


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