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平安京エイリアンズ  作者: 岬口大鴉
【六日目】

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33/49

磐梯山麓

 通達は、あまりにも事務的だった。


「磐梯山麓、磐椅神社へ赴任せよ」


 理由は一行だけ。


「現地、巫女不在のため」


 それ以上でも、それ以下でもない。

 私は、その紙を何度か読み返してから、静かに畳んだ。


……不在、ね。


 巫女がいない神社など、現代ならば珍しくもない。地方なら、なおさらだ。だが、この時代はどうだったのだろう。胸の奥に、言葉にならない引っかかりが残った。

 多賀城で起きた火事未満の騒ぎ。放火犯の疑い。そして、消えた者。

 満足燈彦のことを思い出すたび、自分の中でいくつかの後悔が滲む。

 市場での、あの会話。


「なんで、多賀城なの」


 あれは、ただの疑問だった。そして歴史的な事実を語っただけだ。それでも、もし、あのときの会話が、彼を動かすきっかけになったのだとしたら。自分にも責任があるかもしれない。

 放火犯、あるいは蝦夷の反乱者として疑われていることは知っている。だが、それが事実だとは思えない。彼は、そういう人間ではない。危ういところはある。だが、無闇に壊す側ではない。


「……考えすぎよ」


 自分に言い聞かせながら、私は荷をまとめた。


 磐梯山は、遠くからでも分かった。山容が、重い。

 江戸時代の噴火で山体崩壊する前の、会津富士。美しいというより、押し黙っている感じがした。

 磐椅神社は、その東麓にひっそりと建っていた。大きくはない。だが、軽くもない。

 迎えに出たのは、年配の宮司と、数人の村人だった。


「助かります」


 宮司は、深く頭を下げた。


「ここしばらく、落ち着かなくて」


「噴火の兆候があると聞きました」


 そう尋ねると、宮司は一瞬、言葉を選んだ。


「……山が、ざわついております」


 村人の一人が、口を挟む。


「神さまが、怒っておられる」


「夜、山が鳴るんです」


「夢に、火が出る」


 そんな声を、私は黙って聞いた。

 迷信だ、と切り捨てることはできない。だが、鵜呑みにもできない。


「慧日寺の方々も、警戒しておられます」


 宮司が続ける。


「修験者が山に入っています」


 それは、私も聞いていた。

 慧日寺。磐梯山の南麓に位置する寺院。

 私の持っている現代の知識では、磐梯修験の中心だったお寺だ。

 山を巡る権限は、本来、寺と神社で分かち合うものだろう。

 だが今の状況を分析するならば、寺の動きが早すぎる。そして、神社はほとんど動けないというところか。


「神社としても、何もしないわけにはいかなくて、派遣を願い出たのです」


 そんな私の考えはわかっているともいうように、ただ、宮司は申し訳なさそうに言った。私も、NPCとはいっても、上司となる宮司に失礼だったかもと、恐縮しながら答えた。


「私も、できる限りの務めは果たしたいと思います」


……なるほど。


 そして、ようやく腑に落ちた。

 私は、補充であり、均衡であり、そして――抑えなのだろう。

 寺に、すべてを持っていかせないための。

 私の神社での立場は、明確だった。正式な巫女であるが、土地の血縁ではない。権限は限定的だが、期待は過剰。そして責任は国府である多賀城にあるという図式だ。


 村人たちは、私を「都から来た巫女」と呼んだ。

 頼りにされているが、完全には信用されていない。しかし、それは仕方ないことだ。今はそれでいい。


 私は、社殿の前に立ち、磐梯山を見上げた。

 空気が、重い。

 怒りかどうかは分からない。だが、歪みは確かにあるように感じる。

 なぜ、ここに呼ばれたのか。

 表向きの理由は、十分だ。裏があるかどうかなど、考えなかった。考える必要が、なかった。

 ただ一つ。この山の麓で、何かが起きようとしている。それだけは、はっきりと感じていた。


 そして、満足燈彦の顔が、なぜか脳裏をよぎる。


「……関係ないわよね」


 そう呟いて、私は鈴を整えた。

 この頃の私はまだ、彼が戻れなくなっていることも、禍津日神のことも、何一つ知らない。

 ただ、責任だけが、先に来ている。それが、最も厄介な配置だということを――この時点では、まだ知らなかった。


 私が庵に入ったのは、突然ではなかった。

 通達を受けて、猪苗代へ到着し、磐椅神社に赴任して、社殿の掃き清めと、村の顔合わせと、帳面の引き継ぎを終えた初日から――私はずっと「足りない」と感じていた。

 巫女がいないから来た、という建前は分かる。だが、村が求めているのは日々の祝詞や祭祀ではない。もっと切迫した、もっと生々しい「何か」だった。


 噴火の兆し。

 それを誰が最初に言い出したのか、私は知らない。けれど、恐れは伝播する。

 山が鳴る、湯が熱い、硫黄の匂いが強い――理由になりそうな些細な変化が、村の言葉の中で一本の筋に編まれていく。磐梯山は「病悩山」とも呼ばれた、と村の年寄りが言った。火と病と飢えの記憶が、今も口伝えに残っている。

 慧日寺の僧と修験者たちは、もう動き始めていた。

 山に入る者が増えた。麓の村に、寺の名を背負った者が顔を出し始めた。彼らは丁寧だった。荒っぽくはない。だが、丁寧さがかえって強制に見える時がある――それ似た光景を私は知っていた。正しさの顔をした圧力。


 神社側が体制強化を願い出たのは、その「圧」に対する遅い抵抗だった。山の権利を全部持っていかれるわけにいかない。祭祀の面子の問題だけではない。祭りと祈りの回路を、寺の論理だけで塞がれたくないという感覚だ。宮司の言葉は穏やかだったが、村の空気は切迫していた。

 私は、そこで選ばれた。都から来た、土地の血縁ではない巫女。だからこそ、誰の顔色にも縛られない――そのはずの巫女。しかし実際は逆だった。縛られないから、縛るものがない。頼れるものがない。期待だけが重くのしかかる。


 それでも私は、やれることをやると決めた。

 最初の三日間、私は湖畔と山麓を歩いた。猪苗代湖の縁から、磐梯の裾野まで。社の境界を確かめ、古い石標や小祠を拾い上げる。村人に道を聞き、道祖神の位置を見つける。田畑の畦に残る小さな祈りの痕跡を、手のひらでなぞる。

 それらは地図にない。けれど、確かに土地の呼吸に紐づいている。

 私は、結界という言葉を自分の中で別の言い方に置き換えた。「囲う」ではなく、「つなぐ」ものと捉えた。

 湖畔の水の気配と、山裾の土の重さ。村々の小さな祈りと、社殿の大きな祝詞。それを一本の細い糸で結ぶように、日々の所作を重ねた。

 強い結界ではない。破邪でも、封印でもない。大きな異変を止める力はない。

 ただ、広くて薄く、途切れにくい。そのときがきたら、少しでも衝撃を和らげ、少しでも被害を遅くする。被害が一箇所に集中しないように――歪みが一点に澱まないように。流れていくように。そんな緩く柔らかなものを編み込む。私が意識したのは、それだけだった。


 そして四日目、ようやく山の神に挨拶をした。

 神社の祭祀としては当たり前の段取りを、当たり前に、抜かさずに行った。祝詞を上げ、供物を整え、名を呼ぶ。相手を怒らせないためではない。相手を動かすためでもない。人が人として神と向き合うために、踏むべき手続きを、ただ踏んだ。


 返事はなかった。

 風が吹くでもなく、雲が割れるでもなく、何かが落ちる音すらしない。ただ、山は山のままだった。沈黙は、拒絶にも受容にも見える。私は、今はそこに意味を読み取ろうとしなかった。読み取れるほど、自分はまだこの土地の言葉を知らない。


 翌日、麓の沢筋を少し上ったところに少し古い庵を見つけた。

 寺のものでもない。神社のものでもない。かつて誰かが、山の麓に身を寄せるために使った小さな建物だ。屋根は低く、柱は歪み、戸は重い。それでも崩れていない。人が手を入れた痕跡が、かすかに残っている。


 私は、宮司に言った。


「あの庵に居を移したいと思います」


 宮司は驚いた顔をした。村人はもっと驚いた。巫女が社殿から離れるのは、本来は好まれない。だが私は譲らなかった。


「社で祈るのは当然です。けれど務めが終わったあとも、今は、山に近い場所で、山と向き合いたい」


「返事がなくても?」


 そう聞かれて、少しだけ息を止めた。

 返事がないことは、怖い。だが、返事があることも、同じくらい怖い。


「……返事がなくても、続けます」


 それは宣言というより、確認だった。自分が逃げないための言葉だった。


 庵での生活は、静かで、単調で、そして削れる。

 夜明け前に起きる。井戸の水を汲む。簡素な粥を作る。火を絶やさない程度に薪を割る。身を清め、装束を整える。祝詞を上げる。印を切る。ただ座る。山を見上げる。

 日中は社まで降り、務めを果たす。そして、戻ったら、また祝詞を上げる。

 誰かが来る日もある。村人が米や薪を置いていく。顔を見せずに去る者もいる。中には「寺の者に見られた」と小声で言う者もいた。私は頷くだけで、何も聞き返さなかった。人の不安は、増幅させると燃える。


 朝、湖からの風が庵に入ると、私は耳を澄ませた。

 水の気配は軽い。流れる。止まらない。山の気配は重い。沈む。動かない。

 その二つの間に自分の呼吸を置き、細い糸の結界がまだ切れていないことを確かめる。見えない糸を指で撫でるように、意識だけで辿る。

 何も起きない日が続く。返事もない。奇跡もない。

 それでも私は、毎日同じことをした。むしろ、何も起きないことが重要だと思った。起きないことを維持するのが、今の自分の仕事だ。


 夜、灯を落とす前に、私は帳面を開き、村の状況を書き留める。噂話の形で上がってくる小さな異変を、日付と一緒に記録する。温泉の匂い、鳥の動き、湯の温度、夢の内容――取るに足りないものを、取るに足りないまま並べていく。


 その作業の途中で、ふと満足の顔が浮かぶことがある。

 放火犯として疑われている。反逆者としても追われている。それを私は知っている。

 そして、あの市場の会話が、引き金になったかもしれない――という疑いが、胸の奥に沈んでいる。確証はない。だが、疑いは消えない。自分が何気なく語った歴史の断片が、誰かの行動を押した可能性を、私は無視できなかった。

 それでも私は、誰にも言わない。

 久世にも。宮司にも。村人にも。言ったところで、何も軽くならない。火に油を注ぐだけだ。


 庵に戻り、夜の山を見た。

 返事はない。ただ、沈黙が続く。膝の上で指を組み、息を整えた。


「……私は、やれることだけをやります」


 それは神への言葉ではなく、自分への言葉だった。

 結界は薄い。それでも広い。


 磐梯山の麓から湖畔まで、繋いだ糸は今日も、切れていない。

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