四日目のログアウト
意識が、途切れた。
川音が消え、代わりに、無機質な電子音が遠くで鳴った。
【警告】
生体負荷が高い状態です
通常ログアウトを実行しますか?
視界の縁が白く滲む。指先の感覚が、曖昧だ。
――ここで落ちたら、向こうだ。
僕は、反射的に選択した。
「……はい」
世界が、裏返る。
次に目を開けたとき、そこは自分の個室だった。
見慣れた天井。ベッド。壁際の端末。戻ってきている。だが、身体が動かない。
指を一本動かすだけで、全身が軋む。喉が焼けるように乾いている。
「……っ」
声にならない。
しばらく、ただ天井を見ていた。時間の感覚が曖昧だ。どれくらい経ったのか分からないが、不意に、室内のコールサインが鳴った。音が、やけに大きく感じられる。ただ、手が伸びない。声も同じくでない。
三度目で、ようやく通話ボタンに手を伸ばした。
「……はい」
『満足くん?』
久世理沙の声だった。いつもより、少し硬い。
『今、ログアウトしたわね』
否定する気力もない。
「……はい」
『生体ログ、跳ねてる。今すぐ検査室に来て』
命令口調ではない。だが、選択肢はない。
『歩ける?』
「……たぶん」
短い沈黙。
『無理なら、人を向かわせるけど』
「……行きます」
それだけ言って、通話は切れた。
さて、本当に起きれるか。僕はゆっくりと身体を起こした。
視界が揺れる。床に足を下ろした瞬間、膝が抜けそうになる。
壁に手をつき、深く呼吸する。
鏡が目に入った。
顔色は悪い。目の下に、はっきりと影がある。
だが――影は、ちゃんと一致している。
遅れないし、伸びもしない。
「……戻ってるな」
自分に言い聞かせるように呟き、部屋を出た。
廊下は静かだった。研究施設らしい、無駄のない白。
検査室のドアは、半開きだった。
中に入ると、白衣の医師が一人、端末を操作している。
「どうぞ、横になって」
声は事務的だ。
ベッドに寝ると、体にセンサーが貼られ、数値が流れ始める。
「脱水。筋疲労。強いストレス反応」
淡々とした報告。
「長時間の高負荷VRとしては……、まあ想定範囲、ですね」
その言葉が、少し遅れて胸に落ちる。
「……想定、範囲」
医師は、端末を見たまま、一瞬だけ動きを止めた。
「……ただ」
僕は、視線を向ける。
「数値が、少しだけ変です」
「危険、ですか」
「今のところは」
即答だった。
「今日は、休んでください。次のログインは、最低でも半日は空けること」
それで終わりだ。
医師は、次の画面を開いている。
検査室のドアが、再び開いた。
「……ちゃんと、来てたわね」
久世理沙が立っていた。白衣ではなく、普段の服装。だが、端末は手に持っている。
「無茶、したでしょ」
責める口調ではない。事実確認だ。
「わかりません。医者の先生は、想定範囲だと」
僕は、素直にそう答えた。
久世は、医師の横で数値を確認する。
「ログ、見たわ。これは通常のチュートリアル行動ではない」
一拍置いて。
「……でも、禁止行為でもない」
その言葉で、ようやく息が通る。
「今日は、もう入らないで。身体が追いついてない」
「いわれなくても、ちょっと無理です。それに――最低でも半日開けろと、いま先生に言われました」
久世は医師に振り向くと、医師も黙って頷き、それを認める。
「なら、いいわ」
「……はい」
久世は、それ以上言わない。
そして、ドアに向かいながら、振り返らずに言った。
「次に入るときは、何をしに行くのか、自分で決めてからにしなさい」
足音が遠ざかる。
検査室には、機械音だけが残った。
僕は、目を閉じる。
逃げた。追われた。そして、戻ってきた。
次にログインするとき、もう「調べるだけ」では済まない。そう分かっていて、僕は、静かに意識を手放した。




