夜 多賀城 外縁
市庁を離れてから、しばらくは何も起きなかった。
僕は、人気のない外縁の道を選び、足を止めた。騒ぎはまだ城内で続いている。だが、あの程度のボヤなら、朝までには収束する。
問題は、自分が見たものだった。
竹簡の感触が、まだ指に残っている。
美羽の名。三十年前という、ありえない時間差だが、ゲーム内時間を考えれば妥当なのかもしれない。
とにかく、もう多賀城に、長く留まる理由はない。
彼女は、安積団についていき、城を出た。
安積団、信夫郡、安積郡、会津郡、つまり今の福島、郡山、会津あたりの農民たちが中心の軍団。兵役で集められ、時が来れば故郷に戻る。
そういえば、軍団で人気とも書かれていた。美羽のことだ、何か面白いパフォーマンスでもしたんだろう。なんとも美羽らしい。
僕は、地図を思い浮かべる。
多賀城から南へ。東北新幹線を、仙台から東京方面へ。
福島から郡山。さらに西へ入れば、会津。だいたい頭に入ってる。
軍団の交代で城を出た者たちは、この順で帰郷していく。
美羽も、きっとその道を行ったはずだ。だからこそ、記録は「城外へ」で終わっている。
「……順番、なんだよな」
信夫は、まず最初の受け皿だ。交代兵の滞在地。情報も、人も、流れている。
安積は、中継地点であり、中心。そして会津。
もし、美羽がこの世界で何かしていれば、そのどこかに痕跡があるはずだ。
考えは、整理できていた。逃げる理由も、行き先も。
――あとは、動くだけだ。
その瞬間だった。
背後で、空気が変わる。
振り返らなかった。振り返る必要がないほど、はっきりとした視線だった。
「やっぱり……お前か」
近衛の声。
低い。そして確信を含んでいる。
満足は、ゆっくりと立ち上がる。
「何の用だよ」
「とぼけても無駄だ。放火犯はお前だろ」
近衛は、夜の中で微笑った。
……見られていた。
いや違う。現場は見られていない。いや、文書庫では女官に見られている。ただ、ごまかせたはずだ。
「……違う、俺じゃない」
「犯人は決まってそういう」
近衛は一歩、踏み出す。これは逃げるしかなさそうだ。
そこで、また後ろから声。
「動くな」
国分だ。こいつはすでに武器を抜いて、こちらを真っすぐに見ている。退路がふさがれて、完全に挟まれた。
「女官のログにありましたよ、不自然な会話のログがね」
そして、その背後から藤巻が声をかける。迂闊だった、こいつの立場、職業ならば、確かに女官との会話を確認できてもおかしくない。
「チェックメイトだね、満足くん」
近衛の後ろで、薬師の三好がピースしながら、なんか楽しそうに言い放つ。その言い草はとても可愛らしいが、言われているのは僕。素直にむかつく。
「おとなしく捕まれよ。悪いようにはしない。一応、同じバイト仲間だしな」
近衛は余裕な態度を崩さない。ただ、なんとなく人、NPCが集まってくる気配がする。万事休すってやつだ。
しばらく、動かない。僕も近衛も、三好も。ただ国分だけは徐々に間合いを詰めてくる。そして、その後ろで、藤巻は何かを見ている。そして、口にする。
「そうか、美羽……、君は矢代美羽の記録を読みたかったのか……」
その名前を聞いた瞬間、満足の中で、何かが切れた。否定する時間はなかった。
ここで捕まれば、終わる。
無理でも逃げる。国分はいる。近衛の背後には、数人、すでに武官NPCが来ている。さらに火事対応から戻ってきた連中が、どんどん集まってくる気配だ。
詰んでいる。でも、それしかない。
「矢代美羽……、ああ、一年の時の学祭ステージで、アニソンの変な替え歌を歌ってた人かあ」
三好がそんな風に言ったとき、僕の胸の奥が、熱を持った。
いや、熱ではない。歪みだ。
世界が、わずかに傾く。
自分の中にある穢れ、溜まった穢れが、「いま使え」と囁いている。
僕は、奥歯を噛みしめた。
「……っ」
踏み出した瞬間、地面の感触が変わる。
足音が、消える。影が、伸びる。
そして動いた。
「――消えた?」
武官NPCの声が、遅れて響く。
僕は走っていた。
速い。速すぎる。
理屈ではない。身体が、夜に溶け込んでいる。
だが――代償は、即座に来た。
視界の端に、警告が走る。
【状態異常】
憑依 禍津日神
城の鐘が、鳴る。
「蝦夷の反乱か?」
「いや、違う……何かいる!」
叫び声。追跡。
僕は、城門を抜けた。
もう、戻れない。
**
残された近衛は、乱れた空気の中で、静かに息を吐いた。
藤巻は、竹簡に書かれていた美羽の記録を読んで、それを近衛に伝える。
「彼は、矢代美羽の痕跡を追っている。それで間違いないでしょう」
「そういえば、矢代先輩って、最近学園でみてないかも。目立ってたよね、あの人」
三好も何か気づいたように、そう呟く。
「ログアウトしたら、一応、リアルでも調べさせるか」
近衛は、そう呟いて藤巻を見る。藤巻も頷いて返す。
「それでどうする、追うのか。放っておくのか」
国分は、そんな風に近衛に指示を仰ぐ。
「追うさ、決まってる。評価点はしっかりいただかないとな」
近衛があまりに余裕そうにいうので、国分は少し困惑したが、藤巻がその答えをすぐに示す。
「行先はわかってる。信夫、次に安積、で、最後に会津」
誰に言うでもなく、そう呟く。
そんなとき、近衛の後ろに控えていた神薙NPCが告げる。
「あれは、禍津日の気配でございます」
どうやら、何かが満足に取りついた。この一言で、ここにいるプレイヤー、いや、それのみならず、NPCを含む、この世界に共有された。
――満足。
もう、ただのプレイヤーじゃない。まれびとじゃない。ただの蝦夷でも、多賀城に火をつけた放火犯。反乱者でもない。それ以上に、禍津日神に触れた危険人物になった。
だが、近衛は、薄く笑った。
「面白くなってきた」
追う理由は、十分すぎるほどあった。




