10 何も起きない土曜日
土曜日の朝は、やけに静かだった。
目覚ましをかけていないのに、いつもと同じ時間に目が覚める。体だけが平日の感覚を引きずっていて、休日だという事実が少し遅れて追いついてくる。
「……土曜か」
天井を見上げたまま、しばらく動かずにいた。隣の部屋から物音がすることもないし、チャイムが鳴る気配もない。当たり前の光景なのに、それを一つずつ確認するように意識している自分に気づく。
平日なら、もうとっくに鳳条が来ている時間だ。
そう思った瞬間、胸の奥がわずかに引っかかったが、すぐに打ち消す。来る理由がない。休日にまで生活管理をされるほど、俺は重症じゃない――はずだ。
ようやく布団から出て、キッチンに向かう。冷蔵庫を開けると、中身は平日と同じ配置のままだった。卵、牛乳、野菜。鳳条が把握している状態が、そのまま保たれている。
「……使えってことなんだろうな」
誰に向けるでもなく呟いて、簡単な朝食を用意する。トーストと目玉焼き。それだけで、自分としてはかなり頑張った方だった。味は悪くない。ただ、食べながらもどこか落ち着かない。
食器を洗い終えても、特にやることはない。テレビをつけても内容は頭に入らず、スマホを眺めても通知は増えない。平日なら、学校で授業を受けている時間だ。
何もしなくていいはずなのに、妙にそわそわする。
気づけば、部屋の中を意味もなく動き回っていた。洗っていなかったマグカップを洗い、床に落ちていた紙切れを拾い、ゴミ袋をまとめる。自分でも理由が分からないまま、手だけが勝手に動く。
「……俺、こんなことするタイプだったか?」
独り言を漏らして、少しだけ眉をひそめた。省エネ主義を自称してきたはずなのに、今日は無駄に動いている。落ち着かない原因を探しても、はっきりした答えは見つからなかった。
昼前になって、ようやく外に出ることにした。目的はない。ただ、部屋にいると余計なことを考えてしまいそうだった。
近所のコンビニで昼食を買い、そのまま公園に向かう。ベンチに腰を下ろすと、子ども連れや犬の散歩をしている人が視界に入った。平日のこの時間帯とはまるで違う、のんびりした空気だ。
パンを齧りながら、ぼんやりと空を見上げる。
今ごろ、鳳条は何をしているんだろう。
文化祭の準備か、実行委員の仕事か。それとも、普通に休んでいるのか。想像してから、すぐに首を振った。
「……考える必要ないだろ」
隣人だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
そう言い聞かせるように心の中で繰り返す。平日は合理性で成り立っている関係でも、休日まで引きずる必要はない。管理されない時間は、本来なら楽なはずだ。
なのに。
帰り道、スーパーの前で足が止まった。
冷蔵庫の中身を思い出す。野菜はまだあるが、量は多くない。牛乳も、たぶん今日か明日で切れる。鳳条なら、確実に指摘するだろう。
「……まあ、補充ぐらいは」
言い訳しながら店に入る。野菜、肉、牛乳。気づけば、平日に鳳条が選びそうなものを自然に手に取っていた。そのことに気づいて、少しだけ苦笑が漏れる。
誰かに言われたわけでもない。
管理されているわけでもない。
それでも、選択がそちらに寄っている。
夕方、部屋に戻る。土曜の部屋は、相変わらず静かだった。チャイムが鳴ることはなく、ドアの向こうから気配がすることもない。
今日は、鳳条は来ない。
来る理由がない。
それが当たり前のはずなのに、心のどこかで引っかかりが消えなかった。このままでいいのか、という考えが、何度も浮かんでは消える。
「……慣れって、怖いな」
管理されない一日。自由なはずの時間。
それなのに、鳳条が来ないという事実を、何度も意識してしまう。
夜になり、部屋の明かりを落とす。ベッドに横になりながら、静かな天井を見つめた。
何も起きない土曜日だった。
それでも、確かに何かが変わり始めている。
その正体を、俺はまだ言葉にできなかった。




