Revenge
運命、あるいは運勢というものはどのようにして決まるのだろうか。善に尽くせば幸運に恵まれ、悪に傾けば不幸が押し寄せるという話は一種の教訓として知られている。だがどこまで信じてよいものだろうか。善と悪、幸と不幸の定義すら曖昧なこの世界で、それらの判断は誰が下すのか。天上に住まう「神」というものが、公正な判断でもって裁きを下しているのならば問題ない。もし、他者の運勢を操る力が人間に与えられたとしたら……。
「教えてやるよ。あの日、オレがお前から受けた説明をそのまま返してやる」
視線で人体を攻撃できるならば、透二はこの数十分の間でどれだけの重傷を負わされたことか。そしてこの瞬間に間違いなく絶命していただろう。語るにつれて冬木の憎悪は研ぎ澄まされた殺意に変じ、その代わりに、というにはあまりに奇怪なことだが、狂気が薄まっていった。
「お前はオレの運を吸い取っていたんだ。そのきっかけまでもお前は教えてくれた。事の始まりは本当にくだらないものだったらしいな。中学一年の夏、美術の授業で写生の宿題を出された。モデルは自由で、オレは星空を描くことを選んだ。絵を描くことは不得手だったが、幼い頃から観察し続けていたおかげで今回ばかりは出来のいい作品を描く事が出来た。だがそれこそが致命的な不幸だったのだ。その頃、お前はまだ平凡な中学生だった。自分の能力に気付いていなくて、クラスの中でも特別目立った存在ではなかった」
透二の心臓に、鋭い針が突き刺さる。中学時代は無敵だったという認識の内側から、冬木と大差ないみじめな自分の姿が浮かび上がってくる。その姿が現在の自分に重なって見えたような気がして、顔中からさっと血の気が失せた。
「美術の教師は、出来の良い作品を描いた生徒を表彰すると言っていた。今にしてみれば子ども騙しの小さなものだが、運動も勉強も並程度にしか出来ない人間にとっては、自分が他者から認められる貴重な機会だった。だからこそオレも努力したし、声に出さないがお前も密かに狙って気合を入れていた。……つくづく下らない話だな。たかがそれだけのことがきっかけなんだ。そして作品を発表する日の朝、お前は偶然オレの絵を見た」
またしても透二の記憶が蘇る。針を貫かれ、穿られた穴から記憶の断片が滲み出て来るかのようだ。透二もまた、自分の描いた絵に自身を持っていた。美術の宿題に本気で取り組む生徒などほとんどおらず、透二が相対的に好成績を得る可能性は高かった。しかし、その期待を破ったのが冬木の作品だった。
「お前は恐れた。たかがちっぽけな名誉のために、必ずしも障害になるとは限らないオレの存在を疎んじた。自分ではなく、オレが成功してしまうことを嫌ったんだ。その願いがお前の能力を呼び覚ました。机の上に出したオレの絵が風に飛ばされて水たまりに落ちる、なんてふざけた不幸を引き起こしたことが始まりだった。川北透二」
冬木は、氷のような冷たい息を吐く。傷つき精魂尽きかけた透二に対して呪縛の手を緩めることはない。
「お前が持っていた力……。それは、オレの運を吸い取ることだったんだ。他の連中には効果がないらしいが、何故かオレにだけは百発百中で成功していた。オレが努力によって物事を成そうとすると、その最後の段階に来てお前に運勢を吸い取られる。その事が判明して以来、お前は全く自分で努力をしなくなった。全てオレから吸い取ってしまうことにしていたのだ」
「願った……。強く願えば、それが叶った……」
舌と顎が意思に反して動きだす。だが今の透二は、無意識の懺悔に驚く気力すら起こらない。
「そうだ、強く、心の中で強く念じることで能力は発現する。だからお前は日記をつけることを選んだ。自分の思い通りに動く未来を描くことで、より鮮明に能力を発揮することができる。あとはオレから吸い取った運で結果を残すだけだ」
「体育のゲームで、オレはいつも勝っていた。それも……」
「オレが、お前と違うチームにいたからだ。さっきはあえて言わなかったが、お前がゲームで勝利するのは、いつもオレが相手チームにいた時だ。同じチームにいた時は逆にわざと負けるように仕組んだ。勝にしても、負けるにしても、オレがミスをしてお前がファインプレーをするという流れは常に存在していた」
冬木の瞳の奥に輝く光はますます熱を帯び、吐き出される息はそれ以上に冷気を帯びる。
「餌だった。オレは完全にお前の餌になっていた。ただ運勢を奪われるだけの存在だ。どうしてこんな奇妙な縁が出来てしまったのか、それは今でもわからない。それどころか、かつてのオレは自分の”成功”が奪われていることにも気付かず、お前のことを尊敬すらしていた。本当にタチの悪い話だ。オレは子どもの頃から運に恵まれない性質だったが、中学に入ってからますますそれが酷くなった。その原因を尊敬していた!」
「……信じられなかった! ただの偶然だと思っていた! ただ少しだけ試してみたら上手く行ったから……」
「上手く行ったから、それを続けたんだろう! オレが不幸になるのをわかっていて、それでもお前は止めなかった!」
殺意の針は、もはや巨大な杭にまで成長していた。胸に杭を打たれて、夜の大気にがっしりと固定されている。
「ただの餌にすぎないはずのオレと崎本優子が近づいたから、お前は再び焦りを感じた。傲慢な怒りを抱いてオレを招き、真実を伝えた。そしてここからがお前の犯した最大の罪だ……。お前はオレの持つ運勢を完全に奪うことにした。あらゆる事柄において”成功”することを禁じてしまった! 恐ろしいことだ。オレはこの世界に存続することすら成功できなくなってしまったんだからな!」
最後の記憶が蘇った。否、かつての川北透二がそこに蘇った。目の前の冬木を徹底的に軽蔑し憎悪する男だ。透二は叫んだ。
「どうしてお前がここにいる! あの日、オレが消してしまったはずのお前が――!」
叫びは途切れ、余韻だけが夜闇に響いた。記憶を取り戻した次の瞬間、川北透二という人間は消滅していた。