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Lost

 崎本優子は美しい女性だった。透二の記憶にある優子は、一番新しいものでも中学三年の姿だ。人生の中ではまだまだ大人への脱皮期間だが、その当時でも優子は「美しい」女性だった。少女というより女性と表現するにふさわしい雰囲気を身に着けていた。子どもの成長は人それぞれだが、彼女は良い意味で早熟しているタイプであった。外見ではなく、凛とした立ち振る舞いが大人の女性に近い印象を放っていた。


「彼女はみんなの憧れだった。透二、お前が自分のパートナーにふさわしいと見込んだぐらいだからな。男子なら誰もが彼女の隣を憧れた。出来るか出来ないかはさておいて、仲良くなれるものなら誰でもそうしたかった。高嶺の花だったから大抵の奴は本気で願ってはいなかったと思うけどな。オレもそうだった。男友達すらろくにできないオレが、彼女に近付けるわけがなかった」


 崎本優子に挑む男は少ない。透二はその例外だ。透二は他の男達より頭一つ飛び抜けた人望があった。なるほど、もしも崎本優子が誰かと交際しているという噂が立ったならば、そこに透二の名があってもおかしくないと皆が考えていた。むしろその噂が立つことを望んでいる者すらいた。それは主に昼間のツンツン頭を筆頭とする透二の友人たちであり、その理由は透二と優子が交際すれば自然に己も彼女と近い距離にいられることになる、というものであったが。


 ところがやはり、高嶺の花はそう簡単に”俗世”には降りて来なかった。彼女は女子生徒同士では気さくに会話することはあっても、多分に子ども臭さの抜けない男子と積極的にコミュニケーションを取るような女性ではなかった。いかに透二が人の目と心を惹きやすい力を備えていようと、人柄の幼さは周囲のものと大して変りなかった。


「いつ頃からだったかは忘れたが、お前は優子の気を惹くことを目標とするようになった。何度も言うが、優子に惚れたから相手をしてもらいたかったんじゃあない。お前が欲したのはあくまでも憧れの的を射止めたという実績と賞賛だ。全てを思い通りに手に入れることが出来たお前にとって、崎本優子は唯一手間のかかる相手だった。……と、オレは途中までそう思っていた。オレは、お前が明らかに優子を狙っていることに気付き、それが意外に難渋していることを知った時、さすがの川北透二にも出来ないことがあったのかと驚いた。正直、いい気味だと思いもしたけどな。羨望と嫉妬の混じった目でお前を見ていたおかげで、この一件はかなり興味深い出来事だった。でも……」


 違った、とでも言うのか。透二は感情を抑えながら冬木の話を聞いていたが、崎本優子に関して述べられた内容はほとんど正しいと思っていた。崎本優子を欲していたことも、結局手に入れられなかったことも正しい。この話題については否定できない。だが、冬木はそれをも覆すつもりだ。


「お前は決して焦らず、時間をかけて優子との距離を縮めようとした。些細なきっかけを利用して少しずつ自分の存在をアピールしたり、何かと理由をつけて二人が一緒にいられるような時間をつくった。いいや、一緒にいられるような時間を確保できる理由をつくった、というのが正しいな。理科の授業で実験の班を決める時や、くじ引きで当番や席順を決める時、お前はその力で自分と優子を同じ場所に結びつけた。距離を縮めるのに都合のいい理由をこしらえた。それだけでも物事を自分の有利に進めていることに変わりはないから、やはり川北透二は強運に恵まれた人間なのだと認識を改めたよ。そして、少しずつではあるが、お前と優子は徐々に仲良くなっていった。まだ呼び捨てにするような間柄ではなかったが、他の男たちでは到底及ばない領域にまで踏み込んでいた」


 歯ぎしりがまた一つ。どうやら新たな恨みの鉱脈を掘り当てたようだ。


「真実は……それすらも見せかけにすぎなかった。体育のゲームでわざと負けるのと同じで、ほどほどに”勝利”を抑えているだけだったのだ。崎本優子の心を射止めるのに、本当は時間をかける必要など全くなかったのだろう。ただいきなり勝利を手にしてはつまらないから、力を抑えてわざと長引かせていたんだ。その気になればいつでも崎本優子をものに出来ていた。そうだ!」


 突然冬木は叫び、立ち上がった。枯れ枝のような指を透二の眉間に突きつけ、唾液を飛ばして言葉を叩きつける。


「その余裕があったから、お前は回りくどい手段を取り続けていたんだ! 結局全てはゲームにすぎなかったんだ! 退屈しない程度に欲しいものを手に入れる、人を見下したゲームだ! だが、オレはそれをブチ壊してやった! どうだ、屈辱か? オレがお前のゲームを否定してやったんだ。崎本優子はお前じゃなくて、オレの方に興味を持ってしまったんだからな!」


 ここで初めて冬木が口の端を上げた。瞳も大きく開き、嘲りの笑みを投げかけている。透二の心境は不愉快だ。あまりにも不愉快だ。散々透二のことを”優越感に満ちた外道”と罵っていながら、今は冬木がそれに染まっている。しかも、あの美しい崎本優子が、この醜い冬木に興味を持っていたというのだ。これが不愉快でなくて何だというのだ。不愉快なのは出会った時から続いているが、今この瞬間がピークだと確信していた。


「彼女がなぜオレに興味を持ったのか、それはわからない。だが女心ってのはそんなものだ。あるいは、向こうも遊びのつもりだったのかもしれない。だがそんなことはどうでもいい」


 ……よくない。それを見過ごすわけにはいかない。


「彼女はオレに話しかけてきた。そう、中学最後の文化祭で、合唱の練習で夜中まで残されていた時。ようやく練習が終わって皆が退散しようという時に彼女の方からオレに声をかけてきた。誰もが驚いたが、誰よりもオレが驚いた。最初は『お疲れ様』という何気ない言葉だった」


 言葉は何気なくとも、崎本優子が冴えない男に話しかけたということが重要だったのだろう。そう思いついた途端、さらに記憶が蘇ってきた。


 練習が終わって帰り支度をしつつ、ふと崎本優子に視線をやると、窓際で誰かに話しかけていた。そうだ、覚えている。頭を鉄のハンマーで叩かれたような衝撃と、血液が足の裏から流れ出ていくかのような気持ち悪い感触。


 人生で初めて、本物の屈辱と怒りを覚えた瞬間だった。

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