後編・Diary
透二は実に辛抱強く冬木の話を聞いていた。その過程で、何度「そんな馬鹿な」という言葉を口に出しかけただろうか。相手はまともな人間ではない、とあらかじめ覚悟していなければ、容赦なくその言葉を叩きつけたことだろう。知っているあらゆる言葉で罵倒しても腹の虫が治まらない。なぜなら冬木の語った真実の第一声が「お前は超能力者だった」という内容であったのだから。
「お前には不思議な力があった。どうしてお前に……お前なんかにそんな力が宿っていたのかはわからない。だがお前はその力を存分に堪能していた。全てにおいて、人より先に答えを得ながら生きていた。……その顔は信じていないな。オレが狂っているとでも思っているのだろう。それはお前に記憶がないからだ。狂っていたのはどちらか、どうせすぐに思い出すことができる」
透二は信じていない。無論信じるつもりもない。
「お前は、いつでもクラスの中心にいた。明るくて、人付き合いが良くて、テストの成績も悪くない。容姿こそ平凡だが……」
好き勝手な言い分にますます腹が立つ。なまじ心当たりがあるだけに耳が痛い。
「オレは、そんなお前が羨ましかったのかもしれない。真実を知った今となってはその逆の感情しか抱けないが、あの時のオレは少なからずお前のことを尊敬していた。お前の周りではみんなが笑っていたんだ。全てが上手く、出来すぎなぐらいに上手く物事が動いていた。それにひかえオレは、そんな流れにも乗れず、いつも一人でいた」
自虐的な笑みに浮かぶ唇が、休むことなく言葉を吐き続ける。屈辱。告白。愚痴。嫉妬。溢れる感情を言葉に変換するのに手間取っているのか、徐々に声がか細くなっていく。しかし静寂の夜の空気はその声をも透二の耳に明確に響かせる。
「だから、知らず知らずのうちにお前のことを見ていた。いや、見ようとしなくても、お前は目立っていた。失敗を知らない男だったからな。何をやっても成功していた。それが努力の成果だったら、誰も咎めはしない。才能だとしても、ある程度は許容できる。だがお前のやり方は、能力は、常識を超えていた。物事を思い通りに進めるなんてふざけた力を持っていた」
幻想だ。こいつはファンタジーの読み過ぎだと透二は思った。
「川北透二。お前には日記をつける習慣があった」
潜めた眉が開かれた。日記をつけていたことを誰かに話した覚えはない。そもそも誰かに見せるための記録として日記を書いていたわけではない。友人を自室に招く時にも、日記をつけたノートは引き出しにしまってあるため目につくことはない。それでもひた隠しにしていたわけではないから、何かの話題の中で自分が日記をつけていることを話し、それをたまたま冬木が聞いていただけだという可能性もありえる。解釈の逃げ道があることに気付いて思わず安堵の息をもらしかけた。慌てて飲み込み、気難しい表情を取り繕うが、冬木は相変わらず透二の反応など気にも留めていない。
「普通、日記には過去のことを書く。それが一日の回想であれ、数週間分のたまった宿題であれ、日記は過去の事実を書くものだ。だがお前の日記帳には未来のことばかりが描かれていた。今となってはもう遠い過去のことだが、その日記を書いた時点ではまだ未来の出来事を書いていた」
そんな奇行をやらかした覚えもない。
「オレはお前の日記を読んだことがある。勝手に盗み見たんじゃあない。お前の方からオレに見せつけてきたんだ。優越感たっぷりの表情でオレの手に日記を押しつけた。勝ち誇った態度だった。そこに書いてあった内容は、一見しただけではただの日記と何も変わらなかった。それは、そこに書かれている内容の大部分がすでに過去の記録になっていたからだ。だが、日記の一番新しいページに書かれている日付けは、まだ一日先のものだった」
どうしてコイツに日記を見せてやる義理があるんだ。
「その日付けがついたページにはこう書いてあった。”十月十日、崎本優子と付き合うことになった。向こうから告白してきた”……とな。まるで賞状を見せびらかすように、お前はその文字を何度も何度もオレに読ませた。本当に嫌な奴だ、川北透二!」
ふざけるな! と透二は叫んだ。叫んだつもりだった。それでも冬木の表情が微塵も反応を示さないものだから、果たして本当に自分がそう叫んだのかどうかも怪しく思えてくる。あたりには人影どころか野良猫の気配すらなく、動く生き物といえば透二と冬木の二人だけだ。冬木の存在があまりに無機的で希薄なため、まるでたった一人で幻想を見ているかのような錯覚に陥ってしまう。ああ、幻想を見ているのは果たしてどちらなのか。なぜこの男はここまで己の体温を消すことが出来るのか。そしてこの男の伝えたい真実とは、結局どこへ向かっているのか。答えを得るには、とにかく話を聞き続けるしかなかった。
「お前は崎本優子を狙っていた。恋をしていたんじゃあなくて、狙っていたんだ。ステイタスの一つにしたかったんだ。誰の目から見ても上等な女性を、自分一人のものにしたかったんだ。相手に惚れて何かいなかった。ただ容姿が良くて、性格や能力を考慮しても上物で、周囲から羨ましがられるような相手が欲しかっただけなんだ。言葉で言わなくても、お前の態度と過去の日記の文面からそのことが読み取れた」
一切の感情を排除して、毒々しい憎しみだけを抽出した声が響く。
冷たい汗が流れた。透二が崎本優子という女子生徒との交際を望んでいたことは事実だ。それは仲間たちも半ば知っている。崎本優子はどちらかといえば女子同士のグループにいることが多かったが、黄金時代にある透二の友好範囲は女子の中にも広まっていた。しかし、その中で特定の誰かと交際するようなことはなかった。思春期でありながら、狂おしく胸を焦がすほどの魅力を誰かに感じたことはなかった。それでも崎本優子を狙っていた。恋をしていたのではなく、狙っていた。そう意識したことは一度もなかった。
……もしかしたら、これも「覚えがない」だけのだろうか?