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星夜に紡ぐヒストリー

 真実に向き合うという決意を固めはしたものの、一番星が上がった途端にそれは(しぼ)んだ。何の変哲もない星が、心に強い呪縛を投げかけてくる。足取りが重い。己の行く先に大きな闇が待ち受けているのだと思い知らされる。


 綺麗な夜だった。世間を騒がす様々な喧噪から切り離された、静かな空間があたりを支配している。ときおり吹き抜ける風は心地よい温もりを帯び、無音の夜でありながら冷たくはない。満天を占める星々は、これからパーティーに出かける貴婦人のドレスのように輝いている。人の手は一切必要ない。自然のものだけが思い思いに酔いしれる静寂の宴だった。


 そのどれも、透二の心を癒してはくれなかった。住宅地を行く足の動きは鈍り、顔を上げることすら億劫になってきた。心の中の何かが語りかけてくる。「今ならまだ逃げられる」と。何から逃げるというのか。自分がやっている、やろうとしていることはそんなに大それたことではない。名前を思い出せない知り合いの正体を探ることはそんなに大事なのだろうか。何をためらう必要がある。何から逃げろというのだ。


 日暮れからさほど時が経っていないというのに、住宅地は恐ろしく静かだ。一つ一つの家々では夕食や団らんの声音が響いているのだろうが、星空に包まれた道路にはほとんど届いてこない。


(僕は何をそんなに怯えているんだ。悪いことなんて一つもしていない。……堂々と歩いて真実を確かめればいいだけのことだろう?)


 自問する声だけが胸中に響く。その声が静寂の中であまりに大きすぎたため、透二は目の前に人が立つことにすら気がつかなかった。


「やっと、一人になってくれたな」


 至近距離でつぶやかれた低い声が轟音のように鼓膜を刺激し、透二の頭は意思を待たずに跳ね上がった。幽鬼のごとく現れた影は、まさに透二が探し求めていた人物そのものであった。ぎこちなくスーツを着こなした細身の男。改めて見つめてみると、やはり存在感の薄い男だ。視覚的にわかりやすい特徴もなければ、自然に人を惹きつけるような気力、雰囲気の欠片というものが全く感じられない。声にも、臭いにも、個性というものがない。


 この男に出会って真っ先に透二が考えたことは、果たして目の前の男が本当に実在しているのかというものだった。握手の出来る距離にいながらその存在を疑わねばならないほど、覇気のない男なのだ。その考えを見抜いたかのように、男が口を開く。


「オレの名前は冬木。冬木修平。お前はオレを覚えていないだろうけど、オレはお前を覚えているぞ、川北透二。……でも、それを思い出したのもつい最近だ」


 人形のように無機質な瞳がまっすぐに透二を射抜いており、その奥に輝く情念の光だけが、唯一の存在証明であった。死仮面のような表情の裏に逆巻く炎を見出した時、ようやく透二は冬木と名乗る男の存在を確信した。そして呼吸を整え、極めて平坦な声を絞り出した。


「冬木……。すまない、どうしても思い出せないんだ。前に会ったことはあるよな? ええと、どこで会ったんだったかな……」


 精一杯友好的な声色をつくったつもりだ。いざ相手を目の前にしてしまえば、それが妙に影の薄い男とはいえ同じ一人の人間ならば、無闇に恐れを抱く必要はない。少なくとも幽霊や空想の類ではないとわかっただけでも心に余裕があった。


「そうだ、中学三年の……確か、なぁ」


 慣れない相手とのコミュニケーションの基本だ。自分の知っていることをあえて半分だけしか知らないように振る舞い、言葉の続きを相手に繋げさせる。相手を会話に引き込むごく一般的な手法。かつての栄光を失いつつある透二が今なお抱きしめている、友好関係の礎だ。しかし、冬木の言葉はそれを打ち砕いた。


「お前が一人になってくれるのをずっと待っていた。昼間に初めて見かけたときから、ずっとお前を見張っていた。二人だけで話をするためだ」


 驚きのあまり透二の口が固まった。今この場所で再会したのは偶然ではないというのだ。冬木の正体は依然としてつかめない。実物に出会ってもなお、記憶の映像は新たな情報を与えてくれない。そんな状況の中で混乱する透二へ、冬木は容赦なく言葉を浴びせる。


「誰にも邪魔をされたくない。オレについて来い。あそこの角にある公園なら夜中は誰も来ない」


 そう言うなり、冬木はさっさと背を向けて歩きだした。言葉での命令はしたが、手を取って強引に引き連れるようなことはしない。ただ歩いていくだけだ。


 逃げるなら、今が最後のチャンスだ。運動能力はなまってしまったが、それでも冬木よりは自分の方が脚力に優れているように思える。反対方向へ急いで駆けだせば繁華街の雑踏の中まで逃げきれる。右側の脳がそう叫べば、左側の脳がその主張を却下する。逃げる必要などないじゃないか。あの男が自分に何の用があるのか知らないが、まさかいきなり拳銃を突き出して撃つようなことはあり得ないだろう。常識で考えれば当然だ。そもそも、危害を加えられるような覚えは全くない。そう、ここが最も肝心だ。透二には覚えがない。


 だから、確かめねば気が済まない。透二は、冬木の細い影に続いて歩み出した。


 住宅地の中に小さな公園。入口のすぐ脇にあるベンチに冬木が腰掛ける。その隣にはもう一人分の座れるスペースが空けられていたが、透二はそこに座らず、向かいの花壇の縁に腰掛けた。冬木も隣に座るような要求は出さなかった。


「川北透二。お前はオレを覚えていない」


 念を押すように、冬木が同じ言葉を繰り返す。


「覚えていないのも当然だ。お前がそういう風に仕組んだのだから。お前は、お前自身を含む誰の記憶からも、オレの存在を消してしまった。……そのせいでオレは全てを失った」


 透二は何も言わない。何かを言っても無駄だとわかったからだ。どんなに突拍子のない、非現実的な話であろうと、まずは相手の言いたいことを全てしゃべらせてやることにした。相手が狂人ならば、それを確信した瞬間に逃げ出す覚悟も決めた。幸い、冬木はこちらの反応を確かめようともせず、舐めるように地面を見つめながらブツブツと語り続けた。知りたがる透二に対し、冬木は真実を教えたがっていた。


「お前がオレを消したんだ。一方的に、理不尽に……。お前の持つあの力で。お前はあれだけの力を持っていたのに、それに飽き足らず、何も持たないオレに容赦なく牙を剥いた」

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