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黄金時代

 クラスに一人か二人はいる、影の薄い男。人付き合いがよく、常に騒ぎの中心近くにいる透二とは対照的な存在。喧噪からは可能な限り距離を置き、誰かに求められない限りは口を開かない。そんな輩に好んで声をかける者も少なく、自然に言葉を発する機会は失われていく。透二が記憶の中で見つけ出したのは、そんな男だった。


 覚えていないのも、すぐに思い出せないのも、無理はない。その男との接点はほとんどなかったはずだ。そいつが誰かと会話をしている情景さえほとんど思い出せない。クラスメイトでありながら限りなく「他人」に近い存在。


 だが、それだけの事だけで問題は解決してくれない。確かにその男は中学三年時のクラスメイトだった。そのことを念頭に置きながら改めて卒業アルバムの写真を思い返すが、その中には依然として男の姿がない。集合写真の中にも、各行事の写真の中にも存在しない。それどころか、肝心の名前が未だに思い出せないのだ。


「……なぁ、オレらのクラスで、転校した奴っていなかった? 三年の時のクラスで」


 突然の質問に、ツンツン頭が目を丸める。この時の話題はすでに二年生時の修学旅行が中心になっており、透二の出し抜けの質問はあまりに不適当であった。


「転校生? 確か……オレらのクラスにはいなかったぞ。四組の大石ってヤツなら転校したらしいけど」


「そうか……そうだよな。オレらのクラスから途中でいなくなった奴なんて……」


「おい透二どうしたよ? なんかさっきから元気ねぇぞ」


 さすがに友人たちも透二の異変に気づいたのか、怪訝な顔で尋ねてくる。しかし透二はそれに答えない。先程まで出せなかった質問を今度は出せるからだ。


「なぁ、アイツ覚えてるか? オレらのクラスで、影が薄くて……ええと、その、目立たない奴」


 その男が同じクラスにいたことは確かだ。決して記憶違いではない。単なる空想・幻想にしては記憶の映像が鮮明過ぎる。あれは間違いなく現実の景色だと確信していた。


「影が薄くて目立つ奴ってのは聞いたことないな」


「揚げ足取るな。他に特徴は……そうだ、星を見るのが好きだった。文化祭の練習で夜まで残ってた時、ずっと夜空ばっかり見てた奴だよ。いただろう? 名前わからねぇかな」


「星空が好きぃ? そんなロマンティックな奴がウチのクラスにいたかよ。オレは練習の時ヒマでヒマで仕方なかったから教室のあちこち見てたけどよ、わざわざ窓の外を見つめるなんて誰もやってなかったぞ。段々空が暗くなっていくのにみんなうんざりしてたんだから。チラッと目をやってため息つきながら目を逸らすのなら一杯いたけど」


 他の仲間からも、似たような答えしか返ってこなかった。そんなはずはない、となおも透二は食いつこうとするが、「気のせいだろ」という一言に押し黙ってしまった。気のせい、で話を済ませたいのは誰よりも透二自身だ。しかし、ますます男の謎を追求せずにはいられなくなった。


 自分以外は誰もあの男を知らない。覚えていないのではなく、知らないのでは……? そんな疑惑が新たに生まれ出ていた。本当にあの男は実在したのか。きっと実在する。今日出会った男は確かに自分の方を見ていた。相手は自分のことを知っている。本当に中学時代に会ったことのある人間なのか。今の記憶に間違いはないのか。それならば何故誰も覚えていない、あるいは知らないのだ。記憶と事実の辻褄が合わないのならば、記憶の方が間違っているに決まっているだろう。論理的に考えればそれが正しい。それなのにどうして「気のせい」で済ませられないのか。いったいあの男の何が透二の心をかき乱しているのか。悪夢の中で、遠ざかる出口を追いかけているかのようだ。


「おいおいマジで大丈夫か? 顔色悪いぞ」


「ん、いや平気。……昨日徹夜でレポートやってたから疲れたんだよ、たぶん」


 咄嗟の嘘だったが、大学生にとっては十分すぎる理由だった。話題の矛先は逸れ、透二は注目から解放された。これ以上何かを質問しても謎が深まるだけだとわかった以上、その方が嬉しかった。


 どうして、自分はいつまでもあの男のことを気にかけているのだろう。何故こんなにも不吉な胸騒ぎがするのだろう。星空を見つめる男(中学生なので男というよりは少年だが)と自分の関係とはいったい……。確かめる手段を一つだけ思い出した。実家に帰り、当時の日記やアルバムをひっくり返すことだ。かつての透二には日記を書く習慣があったため、それを読み返せばより鮮明な記憶を取り戻すことが出来る。本当に男が実在したのかもアルバムを見れば答えが出るはずだ。しかし、透二はまだ家に帰りたくなかった。答えを導く参考にはならずとも、久しく再会した友と別れるのは名残惜しかった。しかしそれ以上に、真実を知ることが恐ろしかった。可能な限りその時を先延ばしにしたかったのだ。


 長居した食堂を離れ、一行は再び町に出る。次の目的地は特に決めなかったが、歩きだせば自然と行くあてが浮かんでくる。かつてたむろした公園。神社の境内。母校のグラウンドを遠巻きに眺めたりもした。


 誰もが思い出を求めていた。透二ほどでないにしても、この時のメンバーはみな、中学時代に輝き、今はその光を失いつつある者であった。それは多くの人間にも当てはまることかもしれない。自由と束縛が混じり合い、子どもから大人へ羽化するためのサナギの期間。最も多くの夢を見ていられ、重苦しい現実への旅立ちに身を引き締める日々。大人ぶっていながらもまだ無邪気に笑っていられた。「子ども」でいられた最後の時間。あの時から上手に大人になれた者もいるだろう。だが、混沌深い社会の空を自由に飛べず、あがき苦しむ者の数は遥かにそれを上回る。そして「あの頃はよかった」と思うのだ。思い出だけは、裏切らない。


 郷愁に浸るうちに時は流れ、町は夕刻の色に染まり出した。酒でも飲もうか、という意見が出たが、透二はそれを断った。自分は酒の苦手な人間だとよく自覚していたからだ。そして、このツンツン頭の友人はどちらかと言えば飲酒を強要したがるタイプの人間であるとわかっている。なにしろ中学の時分からそれをやっていた奴なのだ。久方ぶりの帰郷なのだから数日はここに留まる予定だ。また明日も会うことを約束し、透二は仲間たちに別れを告げた。


 夜空に最初の星が光るのを見た瞬間、確信した。――とうとう真実と向き合う時が来た、と。

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