思い出探し
誰かに聞けば答えが見つかるかもしれない。昼の街を歩く最中、透二は幾度もその考えを浮かべ、その度に否定し続けていた。いったいどう尋ねれば良いのだろうか。問題の相手を指さして「アイツ誰だったっかな?」と聞くことが出来れば簡単だ。しかし透二がその男を見かけたのはほんの一瞬のことで、周囲の仲間の注意を引く余裕もなかった。わずかに観察した限りでは男の容姿に大した特徴も見つけられず、「どんな奴だった?」と聞き返されては説明のしようがない。精々、少し幼い顔つきだった、という程度だ。
「隆次と奥村が付き合ってるって知ってたか?」
大柄な男がメニュー片手に言えば、ツンツン頭が答える。
「奥村って、二組のスゲー可愛かった奴? 初めて知ったぞ、おい。いつからだよ」
「あの二人、同じ高校行って、大学も一緒なんだよ。それで付き合い初めて、何でも今年中には結婚するとか」
「マジかよ……。何で隆次があんな子をゲットできるんだよ。ってかアイツ、中学ン時は山中と付き合ってたじゃん」
「ああ、そういやお前山中のこと狙ってたよな」
「おい透二! 余計なこと言うな!」
「いやもっと聞かせろ。オレは初耳だ。どんどん聞かせろ。その話詳しいことまで全部聞かせろ」
「話したらここのお代払ってくれるか?」
部活帰りによく寄っていた食堂で、大人になった五人の男たちが談笑する。透二もその一人として思い出話に花を咲かせ、冗談を飛ばして笑っていた。表向きは明るく振る舞っていたが、胸の内の不安は少しも拭えていない。会話の中で自然に答えが見つかるかもしれない、とかすかな期待を抱きもしたが、話の中で蘇る記憶のどの場面にも、男の顔は存在しなかった。それを除けば、中学時代の記憶は仲間の誰よりも鮮明だった。少し意識を集中すれば、日常の些事や会話の内容を脳裏に再現できた。五年も前のことだが、高校時代の記憶よりも中学時代の記憶の方が強く残っていた。
「あれ? そういや透二さ。お前こそ崎本と仲良かったじゃん。あれ結局どこまで行ったんだよ」
逆転の隙有り、とばかりにツンツン頭が透二に箸を向ける。途端に中身の変わっていない大人たちは関心の矛先を変えた。
「おお、そうだった。崎本……優子だったっけ?」
「そうだそうだ。肌が白くて、何か明らかにオレらとは生まれが違うって感じのお嬢様」
ニヤニヤした視線を一身に受け、透二は眉をひそめて言い放った。
「……別に、付き合ってないよ。他に好きな人がいるらしいから」
「らしい、ってなんだよそれ」
詳細な説明を求める声があがる。しかし、この話はやめてくれ、という態度が伝わったのか、話題はまた別の方へと流れて行った。恋い焦がれた女性の記憶がよみがえり、思考は一時的に謎の男から離れた。学年で一、二を争う美女の心を得られなかったことは、今でも心残りだ。彼女を狙う男子は多かったが、その中で最も可能性が高いと目されていたのが透二だった。
思えば、中学時代は透二にとっての最盛期だったかもしれない。学習能力も体格も人並みだったが、テストの成績では常に上位に食い込み、体育の競技でも悪い評価を得たことはない。人付き合いでもほとんど失敗がなく、友好関係は実に広い。二十歳という年齢では己の全ては見えないが、中学の制服に袖を通していた三年間は、まさに人生において最高の、そして無敵の日々であったように思える。記憶が鮮明なのはそのためだろう。輝かしい時代に比べれば、現在の透二は実に平凡なものになっていた。高校も大学もランクは二流、単位を落とすことは少ないもののかつての勘の冴えはなくなり、必死に勉強を重ねることでようやく追いついているのが現状だった。
「お前さ、大学出たらどーすんの?」
「そりゃ就職だろ。院まで行く余裕はねぇよ」
「となると、やっぱし早めに動かなきゃダメかなー……。まだまだ就職も大変だしな。キツいキツいとはわかってても、昔なら結局どうにかなるもんだと思ってたけどな。いざ問題を目の前にしてみると冗談抜きに地獄だわ」
友の切実な声が耳に痛い。誰もが同じことを痛感しているのだが、透二にとっては特に強烈な意見だった。何事も上等に仕上げて来られたのに、今は平均を追いかけるだけで手一杯だ。幸いこの話題もすぐに変更された。
食事が済んでも話の種は尽きず、談笑は長々と続いた。店の大将とは顔なじみで他の客も少ないため、男たちは存分に思い出を語り合った。透二はそれが嬉しかった。いくらか嫌なことも思い出されてしまうが、そうすることで別なことを忘れることが出来た。答えの出ない謎をいつまでも探っているよりはずっと幸福でいられた。しかし、それも長くは続かなかった。思い出の話題が二転三転し、文化祭の話に行きついてしまったためだ。
「オレらが三年の時の文化祭、覚えてるか? 委員長が合唱の練習をムチャクチャ張り切っててよ、毎日遅くまで残らされて大変だったよな」
「そうそう。あーゆー妙に熱くてマジメな奴がいるとダルいんだよな。情熱持つのは結構だけど、周りに迷惑かけない程度にしてくれってんだ。健全な努力は免罪符じゃねぇっての」
「やる気を出さないオレらの方が罪人なんだろ。学校側にとっちゃ。その罪に対する罰が毎日の居残り特訓ってわけだ。部活の特訓で遅くなるのは平気なのに、歌の練習で残らされるとキツいのは何でだ?」
やる気のない側だった透二が疑問を投げかけると、ツンツン頭が答えた。
「部活は自分で好きなの選んで入ったけど、練習はクラス全員強制参加だからだろ。窓の外に星空が見え始めた時はほんとゲッソリしたな。秋だから日が落ちるのが早くて」
「星空……」
「部活帰りなら適度に体温も上がってて気持ちいいぐらいなのに、面倒臭い合唱の後だとただ寒くて暗くて嫌なだけだったな」
「よく言うよ。女子をエスコートしてやるチャンスじゃん、って息巻いてたのは誰だ」
「うるせぇ!」
高い笑い声があがったが、透二だけは星空という単語に意識が向いていた。星。教室の窓から見える星空はハッキリと記憶に残っている。夜の闇に包まれゆく中で蛍光灯に照らされた教室は、普段と違う秘密めいた雰囲気があった。一刻も早く練習が終わらないかと心待ちにする者と、歌のためではなくやる気ない生徒を叱るために声を枯らす者との温度差が居心地の悪い空気を生み出し、そこにいる全員の体力を消耗させていく。適度に歌うふりをする者もいれば、完全に余所を向いている者もいた。時間が経過して委員長の気力体力が萎えてくるほど、生徒たちは自由に振る舞う。
突如、脳に電流が走った。鋭い痛みにも似た痺れを感じた。もしかしたら小さな悲鳴をあげたかもしれないが、四人の仲間は気付いていない。記憶の中の景色。指揮者の手を見ようともせず、窓に顔を向けて星空を眺めてばかりいる生徒がいた。影が薄く、誰にも気にかけてもらえないような男子生徒。その顔は、成人式の場で見かけた謎の男に瓜二つであった。