End
夜空の星々は、何事もなかったかのように冷たく輝いている。冬木は静かに息を吐きながらベンチに掛け直した。瞳の奥に燃えていた凄まじい炎は消えている。それに代わり、青白い肌に健康的な血色が戻り、吐き出される息も生命力のある温かさを伴っていた。
「これで一件落着ね。とりあえずお疲れ様ってところかしら」
女性の声が背後から近づいても冬木は動じない。公園と道路を仕切る低い壁の裏に彼女が隠れていたことなど、初めから知っていた。彼女は落ちついた声と容姿に見合わない身軽な動作で壁を越え、冬木の隣に腰かけた。中学時代から大人びた女性であったが、本当の”大人”になるとますます美しさに磨きがかかっている。昼間は豪華な晴れ着姿であったが、夜の公園には似合わないと思ったのかスーツに着替えている。平凡な格好でありながら、本人の聡明さと相まってますます美しさをひきたてている。涼やかな風に吹かれ、栗色の髪先が肩の上で揺れている。
「貴方は自分で思っている程ダメな人じゃないわ。むしろ私から見ればとっても素敵。今こうやって横顔を見つめていると尚更そう思う」
「……君にそう言ってもらえる日が来るなんて、想像もしていなかった」
冬木の反応は冷静だ。顔を正面に向け、つい数分前まで川北透二の座っていた場所を見つめている。
「私が貴方について一番評価しているのは、そういう正直な発言できることなのよ。さっきだってそうでしょ? 自分にとっても辛い告白を、貴方は最後までやり遂せたわ。誰にでも出来ることじゃないのよ、それって」
崎本優子も視線を冬木から外し、透二の消えた場所に移した。美しい顔に一切の感情をも加えていないことが、彼女の透二への評価を物語っている。
「それに比べて、本当に酷い男」
冬木は何も答えない。
「少なくとも彼には出来ないわね。自分の弱さを認める勇気なんてこれっぽっちもない。自分の力に思いあがって、貴方を虐げ続けた愚かな男。プライドを傷つけられてすぐに周りが見えなくなるなんて、器が小さいとしか言いようがないわ。貴方を呼び出して自分の力を明かした時、すぐ扉の向こうに私がいることにも気付かないなんて……」
「オレだって気付いていなかった」
「ふふ、貴方はいいのよ。マヌケなのは彼一人だけ。彼が力を使って私を手に入れようとしたから、私は彼に関心を持ってこっそり後をつけていたっていうのに。彼と貴方が会話する所を見たのは私もその時が初めてよ。だけど本当に、驚いたわ。私が貴方を意識するようになったのはね、それよりずっと前のことなのよ。彼が私に干渉し始めるよりも先。表には出さなかったけど、もう長い間私は貴方のことを想い続けていたの」
「……光栄だ」
「疑ってる? ……そうね、そう思われても仕方ないわ。だけど、貴方に何と思われようと私は復讐したかったの。努力家な貴方から運勢を吸い取って、存在までも消してしまった男。その力で私の心までも奪おうとしていた男。本当に許せない」
「だから、この仕返しか」
「ええ」
答えながら崎本優子は微笑んだ。宝石のような笑顔だった。
「あの時、彼は貴方の運勢を全て吸い取った。貴方がこの世界にいたという痕跡ごと消してしまうぐらい、徹底的に奪いつくした。膨大なエネルギーが奪われたけれど、その全ては彼のものにならなかった。人間一人のエネルギー全てを受け入れるには、彼の器は小さすぎたのよ」
「受け入れられず、溢れたエネルギーが君に宿ったのか」
「ええ。だから、その現場にいた私だけが貴方のことを憶えている。彼は自分の受け取った力の大きさに屈して、その力を失ってしまった。このあたりの理屈は私にもよくわからないんだけど、きっと彼と貴方、そして私の三人の間には特別な結びつきがったのよ。縁だとか運命だとかって呼ばれる関係があって、彼はそれを利用していただけ。その関係に異変が生じたから今度は私に力が回ってきた。そう思うことにしたの」
「その力で、消えたオレを蘇らせた」
「彼の存在を奪って、ね。私が自分で受け取るんじゃなく、奪ったものをそのまま貴方に注ぐようにしただけ」
崎本優子は手に何も持っていない。川北透二は願いを日記に書くことで思念を高めていたが、優子は一切の道具を用いずに同じことをやってのけた。それは彼女の願いが強く、真剣であったことを示している。冬木はそのことに気付いていたが、まだ優子の顔を見ようとしなかった。
「人の運命なんて、意外なところで勝手に繋がってるものなのね。私はあんな男と関係があるだなんて絶対に嫌だけど、そのおかげで今のこの状況があるのだから仕方ないわね」
「……もう行こう。川北透二は消えた。オレたち以外の誰も彼の事を憶えていないし、彼が存在したという痕跡も無い。これで全ては終わったんだ」
「そうね、そろそろ帰りましょう。せkっかく取り戻した命だもの、復活したその日に風をひいちゃダメよね」
先に優子が立ち上がり、冬木も後に続く。星空は相変わらずの表情だ。
「オレを蘇らせてくれた君には感謝している。だけど、一つだけ聞きたいことがある。どうしてオレに昔話をさせたんだ?」
「あら、決まってるじゃない。彼にたっぷり後悔させるためよ。自分の罪を忘れたまま消えるなんて許さないわ。全てを思い出して、せめて後悔するような素振りでも見せればよかったのに……結局最後まで醜い支配者気取りのままだったわ」
「後悔したとしても、彼を許したりはしなかっただろう」
「ふふ」
悪戯っぽく笑う優子の顔を、冬木は初めて観察した。
彼を消滅させたのは、オレを復活させるためか、それとも復讐のためか。彼女に問えば「両方よ」と当然のごとく答えるだろう。美しい仮面の奥の真意は見通せない。探ることも許されない。復活こそ果たしたものの平凡な男に過ぎない冬木は、ただ彼女に従うだけであった。