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前編・初対面との再会

 綺麗な夜だった。世間を騒がす様々な喧噪から切り離された、静かな空間があたりを支配している。ときおり吹き抜ける風は心地よい温もりを帯び、無音の夜でありながら冷たくはない。満天を占める星々は、これからパーティーに出かける貴婦人のドレスのように輝いている。人の手は一切必要ない。自然のものだけが思い思いに酔いしれる静寂の宴だった。


 星の宴の下を、一人の男が歩いていた。男というよりはまだ青年だ。剃り損ねた口髭や不格好なスーツがそれを物語っている。都心から離れた侘しい住宅地を一人で歩いている。時折夜空を仰いでは、怯えるように目をそらして足を速める。事実、青年は星を恐れていた。遠い宇宙の彼方から届く星光が、まるで冷酷な裁判官か陪審員のように思えるのであった。元々健康的とは言い難い痩せた顔をますます暗くし、背を丸めてうつむき歩く姿は怯えているとしか形容できない。鞄は持っていないが、紙袋を提げている。この紙袋は、昼間に市の会館で受け取ったものだ。中身は極々ありきたりな「大人の心構え」を描いたパンフレットの束。


 河北透二は、成人式からの遅い帰り路であった。この日の朝、スーツに袖を通した時点での透二は上機嫌であった。地元の成人式というのは概して、同窓会に似た意味合いが強い。故郷から遠い地で下宿生活をしている大学生の透二もまた、中学以降進路を別れて久しい旧友たちとの再会を待ち望んでいた。一時的に帰郷して会場の市民会館に到着し、かつて休日によく遊んだ仲間を見つけた時の喜びは格別のものであった。同じバスケットボール部のメンバー、下らない冗談を言い合った悪友、密かに意識していた女生徒、苦手ではあったが内心良い奴だと思っていた級長。懐かしい顔ぶれは皆大人びていたが、記憶にある面影ははっきりと残っていた。


「よお、久し振り」


 スーツ姿の男が数人固まって会話しているところに、透二は声をかけて近づいた。男たちは振り向き、声の主が誰だったかを悟った途端にニヤリと笑った。


「お! なんだ、あんまり変わってないな」


「お前は変わりすぎだよ。なんだよそのツンツンした髪は」


 かつては坊主頭のバスケ部主将だった男が、陽光にキラキラ光る髪を揺らして透二の肩に手を置いた。その後に会った昔馴染みからも、透二は概ね「あまり変わってない」という評価を受けた。それは良いことなのか悪いことなのかは微妙な評価だが、透二は深く気にせず、自分も人を捕まえては相手への率直な感想を表現した。中学時代定期テストのヤマ当てが得意だったおかげで、友人の数は多い。少し首を回せばすぐに知り合いが見つかる。市民会館の前庭には、今年度成人した、あるいはこれから成人する若者たちであふれていた。大学進学や就職で県外へ出ていた若者たちが集まり、思い出話に花を咲かせている。市には二つの中学校があり、その場には両校の卒業生が集合していた。当然知らない顔もたくさんいる。透二はまだ他に見知った顔はいないかと周囲に視線をやっていたが、ふいにその動きを止めた。


 一人の男が、周囲の者と同様にスーツ姿で立っている。その顔には見覚えがあった。だが、誰であったかわからない。名前も思い出せない。やや面長だが幼さの残る顔つき、黒い髪も少年のように短く無造作だ。おそらく「あまり変わってない」部類だろう。そこまでは透二もすぐに思いついたが、肝心の記憶の中にこの男の顔を見つけられない。男は誰とも会話せず、庭の隅に植えられている木の陰にたたずんでいる。首を回して視線をあちこちに飛ばしているところを見ると、誰かを探しているようだ。待ち合わせの約束でもあるのか、それとも数秒前の自分と同じく、ただ話しかける相手を求めているだけなのか。


「あっ」


 と、男が言ったような気がした。距離がある上に多くの雑声が飛び交っているのだから声は聞こえないが、表情の変化でそう感じた。少年のような男は、透二の顔を見つけて声をあげたのだ。その瞬間、確かに知っている人物だとわかった。しかし記憶の中に現れない。卒業アルバムの写真を思い返してみても、その男の顔はなかったはずだ。声をかければわかるかもしれない、と思いついた矢先、会館の玄関から年老いた声が響いた。


「もうすぐ成人式を始めます。受付を済ませていない方は早めに……」


 透二が案内に反応して視線を反らした隙に、男はどこかへ消えていた。ぞろぞろと玄関へ向かう人波の中に目を凝らすも、謎の男は見つからなかった。そのうち透二も友人に呼ばれ、玄関ホールの受付へと向かって行った。


 成人の儀式そのものは実に退屈なものだ。権威ある者のありがたい演説、子どもに道徳を説くかのような大人の心構えの講義、誰も歌詞を覚えてなんかいない町歌斉唱。そして出身校ごとに別れての記念撮影。檀上に上がりつつ、透二は記憶を探り続けていた。先ほどの男には確かに見覚えがある。最近のことではない。間違いなく中学校時代の知り合いだ。しかし、同じ檀上に立っている仲間の中にはその姿がない。席に待機しているもう一つの学校の卒業生の中にも見当たらない。今どこにいるのか。あいつとはどこで知り合ったのか。


 答えを見つけられないまま式は終わり、透二は再び前庭へ出た。改めて男を探そうかと考えていると、ツンツン頭の旧友が近寄ってきて「みんなでメシでも食いに行かないか。色々話したいこともあるだろ」と誘ってきた。空腹は感じていなかったが、昔話をするのは好きだ。透二は考えることをやめ、友人の後について歩き出した。と、その時、再びあの男を見つけた。やはり誰とも話さず、ひっそりと木陰に佇んでいる。そして男は、今度は真っ直ぐに透二の方を見ていた。目が合った瞬間に視線をそらしたが、間違いなく男は透二の方を見ていた。割って入った人波に視界を遮られた間に、男はまたしても消えていた。


 中学を出ると同時に地元を離れた透二は、近年急激に成長した繁華街に詳しくない。友人たちに誘われるままに歩き、時折冗談を飛ばす。その間出来るだけ笑顔は絶やさなかったが、心の中はざわついていた。ただ一人の人間の名前を思いだせない、というだけならばすぐに気を紛らわせることもできるが、その相手は自分を知っていて、しかも二度も目が合ったのに声をかけてこない。こちらが少し目を離した間にどこかへ去ってしまっているのだ。それになぜ自分は相手のことを思い出せないのか。透二は比較的社交的なタイプで人付き合いも多く、それだけに人の顔や名前を覚えることは得意である。それにも関わらず、記憶の網は空振るばかり。


 不穏な思いを抱いたまま、透二は懐かしくも見慣れぬ街を歩いた。

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