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三人目

作者: pinkmint

「あの、佳穂さん? ですよね?」


 いきなり後ろから声をかけられて、佳穂は驚いて振り向いた。

 チェーンのカフェ店から出てきたばかりの、サングラスをかけた若い男性を見ても、咄嗟に名前が出てこない。ラフに着こなしたジャンパーのロゴと斜め掛けのリュックに、見覚えがあった。


「あの、ええと…… もしかして敷島 涼さん?」

 ようやく思いだした顧客の名前を出すと、彼は嬉しそうにサングラスを取った。


「はいそうです。なんか嬉しいな。こんなタイミングで担当さんに会えるなんて。そういえば美容院、木曜は午前中のみでしたっけ」

「はい、そうなんです」


 特に考えてはいないんですけど、ぼくセンスなくて。美容師さんから見て、ぼくに一番似合う髪型にしてください。えと、適当でいいです。

 なんていうか、お前いつまでも中坊みたいだな、とよく言われるんで、とにかく今どきの大学生に見えれば、それでいいんで。


 うちに来た最初、一番厄介な注文をしてきた彼。

 低い声、暗い表情の坊ちゃん頭のぼさぼさ眉の彼は、安売りワゴンにありそうなチェックシャツにジーンズに度の強い眼鏡、見るからにさえない理系男子の見本のようだった。


「よし、いっちょ大変身といきますか! 髪、染めていいですか?」佳穂は大げさに腕まくりして見せた。

「は、はい、まあ金髪とかでなければ、あの、お任せします」


 美容室ジプシーをしている女性客と違って、こういう手合いはさほど細かいことを言わないものだ。新しい自分に出会わせてあげればそれでいい。

 一応腕に自信のある佳穂は、頭の中のイメージに沿って、首筋を刈り上げ、トップにボリュームを持たせ前髪にかけて流れをつけて髪をダークブラウンに染めた。

 椅子を倒して眉毛を丁寧に整え、無精髭も綺麗に剃ってあげて、クリームをつけてフェイスマッサージもした。

 うん、中高な顔立ちだし、鼻の線も通っている。唇の形もいい。これは、いけるな。

 仕上げにちゃちゃっとムースで髪の流れを作って、しあげといこう。


 うう、気持ちいい。女性の細い指で丁寧にされるシャンプーだけでもうここまで昇天させてくれるとは。ナチュラルメイクに白い肌、茶色い透き通った眼に亜麻色のセミロングの髪はさらさらだ。おまけに顔じゅうの皮膚に触れる掌、優しくなでる指使い。男子学生の閉じた瞼の裏にまで、美容師さんの可憐な容姿は焼き付いていた。


「どうですか。結構いけてると思いますけど」


 椅子を立てて鏡をかざすと、彼はメガネをかけてあちらこちらの角度から自分を眺め渡して、目を丸くして言った。


「うわー…… マジですか。なんてか、韓流スターみたいですね。すげえや。これ、僕か。うん、すごいですこれ……」

 

 最初来た時の暗い表情は消えて、涼しげな眼のさっぱりした好青年になっていた。

「眼鏡もコンタクトに変えた方がいいですよ。お客さん、せっかくイケメンなのにもったいないことしてたんですよ」

「はい、そうします。うー、来てよかった。ありがとうございます!」

 来た時のおどおどした表情とは全く違う、輝くような笑顔がそこにはあった。


 ひと月後再度訪れた彼は、言った通り眼鏡をコンタクトにして、服も「シンプルでモノトーンのものがいいと思いますよ」という佳穂のアドヴァイス通り、すっかり趣向を変えていた。

「金がないんでユニクロとかGUのばかりで」自分で選んだというTシャツもジャケットも、もともと細身でスタイルがいいせいで高見えして見えた。

「結構伸びちゃったんだけど、伸びたら伸びたで、様になる髪型なんですねコレ」

「そこら辺まで一応考えて切りましたからね。イケてるじゃないですか、もてるようになったりしてません?」前掛けをかけながら言うと、

「あいや、男友達ばかりなんで。お前どこで顔とっかえてきたんだよ、とかいわれたけど、女の子の知り合い自体いないんで」

「あらー。じゃこれからは、自分からどんどんいかなきゃ!」

「はい、結構話しかけてくれる子は増えました」

「うんうん、これからは自信もっていきましょう!」

 そんなこんなで、足しげく通ってくれる上客になってくれたのだ。


「僕今コーヒー飲んで一息ついてたんですけど、飯はまだなんです。この先に魚がおいしい定食屋があるんで、あの、よければご一緒しませんか? ぼく、奢りますよ。お昼まだでしょ?」

「あ、はい。でも、あのえーと……」


 最初会った時はこんな風に明るい表情で女性を食事に誘えるタイプじゃなかったのに、雰囲気まで随分変わったな。自分の腕も捨てたもんじゃない。でも。

 佳穂の中でアラーム音がピーピー鳴り始めた。


 店長曰く、お店の中では美容師としてできるだけ顧客にあたたかく丁寧に接しなさい。

 でもそれは「お店の中で」だけ。お客さんではなく一人の個人としてお誘いがあっても、断りなさい。こういうお仕事は、ちょっとそういう危険性が高いのよ。


「ええと、お店の規則として、お客さんと個人的にお会いしたり飲食店に入ったりすることは控えろと言われてるんです」佳穂は悲しげな表情を作りながら言った。

「え? あ、うーんそうか。そりゃそうですよね。線引きですよね」

「それで、ちょっとストーカーめいた人に付きまとわれたこともあって……」

「うわ…… そりゃ、こわいですよね。ただぼくは、ここまで変身させてくれたお礼、いつかちゃんとしたいなって思っていたんですよ。本当に、ただそれだけなんです」

「それはもう、お仕事ですから。それなりの料金は頂いてるし。お礼なんて、いいんです」

「うーんと……」


 彼はまだあきらめきれない様子だった。佳穂は言葉を足した。


「それと、あの、亡くなった父の言葉で…… その、男性と二人きりで会うのは、原則アウトなんです」

「あ、そんな話してましたね。あれって、マジだったんですか」

「はい。あの、家はもちろん飲食店でも、二人きりでいる、ということが問題だと言われました。将来を誓い合った相手以外と二人でしゃべるな。たとえカフェでも、差し向かいでコーヒーを飲んだ、これは次へのステップだ、と男は思うものだって」

「僕そんな計算高くないですよ」けらけらと笑いながら涼は言った。「でもそんなん守ってたら、いつどうやって将来を誓い合える相手に発展させろって話になりませんか? いやその相手が僕じゃなくても」

 佳穂は笑いながら答えた。

「ですよねえ」

「でも、そうならそんなに佳穂さんを困らせたくはないな。じゃ、こういうのどうでしょう。あそこに新しくできたドネルケバブのテイクアウト店が見えるでしょ。500円もしないのにすっごくおいしいんで、僕よく食べるんですよ。この先のI公園のベンチで、池を見ながら食べませんか? 食べ終わるまでの会話だけでいいです。そのあとはもう、しつこくしませんから。約束します」

「はあ……」


 佳穂は困惑した。案外、なかなか引っ込まない。どう対処したらいいものか。


「実は大学でひそかにいいなと思ってる女の子もいて、せっかく変身したんだからこの先は自信もって、と思うんだけど、今までがどん臭すぎて、どうアプローチしたらいいかわからないんです。で、ひとこと、何かアドヴァイスを頂けたらと。図々しいかな。

 でもこんなこと相談できる女性って他にひとりも知らなくて」


 ドネルケバブのいい香りが漂ってきた。小さな看板も見える。ケバブサンド、ひとつ499円。

 実は佳穂はケバブが大好きだった。

「じゃあ、ケバブ食べる間だけご一緒しましょう。ただし、自分の分は自分で払います」

「徹底してるなあ。でも、オッケー貰えてありがたいです!」青年はぴょこっと頭を下げた。

 その初々しさに、佳穂の口元に自然と笑みが浮かんだ。


 公園に向かう階段を下りていくと、池の周囲の桜の花びらが、風が吹くたびに音もなく降りしきっていた。


「なんか、桜の散りどきって凄絶だな」涼が呟くと

「ええ。寂しいけど、次の年もまた咲くし。だから、さようなら、また来年、っていえるところがいいですよね。人間と違って」

 佳穂はつぶやくように答えた。

 浅い会話で終わらせようとしても、おしゃべり癖が出てしまう。こういうところが誤解を呼ぶのだ。危ない危ない。


「あいてるベンチ、あまりないですね……」佳穂は動揺を隠すように言った。

 池の周囲のベンチはこの時期、景観がいいのでカップルや昼食中のお勤め人で埋まっていた。

「あそこの長いベンチ、どうですか」

 涼が指さす先にある長めのベンチには、左端に一人、若い男性が座って本を読んでいた。

「え、でも先客がいるし、隣でしゃべられたら迷惑なんじゃ……」

「ワイヤレスイヤホンして本読んでるし、ノイキャンしてるか音楽聞いてるんでしょう。でも一言、声かけた方がいいですね」

 そして二、三歩歩くと、佳穂を振り向いて言った。

「二人きりじゃなくて、三人目。必要なんでしょ?」

「それはそうですけど……」


 佳穂がおずおずとついていくと、涼はベンチに近寄って体をかがめ、男性の横からお辞儀するようにして話しかけた。


「あのちょっと、ご休憩中のところお邪魔してすみません」


 青年は怪訝そうにイヤホンを外して涼を見上げた。

 目がほとんど見えないぐらい、前髪が長い。上下黒い服装で、痩躯で、なんというか、話しかけるなオーラが全身から出ているタイプの人だ。

 

 んー、これは話しかけちゃいけない相手だったかも。いやそもそも、ベンチでお昼、なんて誘いに乗った自分が馬鹿だったかも。佳穂は早くも後悔しかけていた。


「あの、ですね。ベンチの空きがないんで。おとなり、二人なんですが座っていいですか?」

 涼は丁寧な口調で話しかけた。

 青年は開いていたページに指を挟んで佳穂の方を見た。と思う、前髪に隠れて目は見えないが。

 そして自分たちが座ろうとしている側にあったリュックを反対側にどさりと置いた。


「静かにしゃべってくれるなら」


「あ、いいんですか。ありがとうございます!」

「ありがとうございます。静かにします」涼に続いて佳穂も頭を下げた。青年は黙って本に目を落とした。

 手にしていた文庫本のタイトルが見えた。


『そしてカバたちはタンクで茹で死に』


 佳穂は思わずぷっと吹き出しかけて口を手で覆った。

「どうかしました?」涼がケバブを手渡しながら聞いてきた。

「ううん、なんでもない」


 気を使って先客との間を開け、二人静かにケバブの包み紙を上から破ってぱくついた。


「うん、おいしい」

「でしょ」

 

 二人とも小声だった。青年からの「静かにしてくれ」が頭に残って、どうも自然な会話ができない。

 目の前の池に、絶えず桜の花びらが降りそそいでいる。


「そういえばお父さん、桜の季節に亡くなったって言ってましたよね」涼は声をひそめて言った。

「ええ。母はわたしが十歳の時に肺炎で亡くなって、それから男手一つで大事にわたしを育ててくれました。その父も、わたしが十八の春に突然の心不全で。朝起きたら息をしていなかったっていう」

「十八で、ひとりぼっち、ですか。それじゃ、この季節が来るたび、気が沈むでしょうね……」


 エスニックな香りの肉を咀嚼しながら、佳穂は考え考え、答えた。


「それでも、桜は美しい、という思いは、父を失ってから一層強くなりました。なんでかな。

 気の利かないわたしに代わって、棺の上に降り注いで優しく父を送ってくれたからかな」


「……」


「父は、ある文芸誌の編集長をやってたんです。本当は物書き目指してたらしいけど。だから知的っていうか、物知りでした。

 で、まあ昔風に言うとプレイボーイで、これで結構もてたもんだぞと自慢してました。

 娘のわたしが言うのもなんだけどそれなりにシュッとした男前だったし、正直、真面目に付き合うというよりとっかえひっかえという感じで女遊びしてた、らしいです」

「へー。ぼくと正反対の青春だな。時代関係なく、そういうタイプはいるんですよね」

「でも、自称ヒトデナシで、満足したら次、という、遊びでの付き合いばかりしてたと言ってました。その末に出会ったのがわたしの母で、正直な話、初恋だったと」

「ほー……」

「そしたら、いつもみたいに簡単に手が出せなかったと。そのことで、これは恋だなと気が付いたと言ってました」

「あ、なるほど。二人きりになるなというのは、遊び人だったころの自分を思い出して」

「そうそう。世の中俺みたいな馬鹿が多いから、ぐいぐい押してくる奴は大抵体目当てだと思っとけって」

「あはは、お父さんが言うと、説得力ありますね。あ、僕、ぐいぐいの中に入ってる?」

「まだ全然。だってそうでしょ? 初恋の相手にアプローチしたいんですよね? だからわたしに、助言してほしいんでしょ?」

「それは、うん、そうだけど……」

「だけど?」

「なんか、無理だってもうわかってきたような気がする」

「もう? なんで?」


 三分の一は桜で覆われている池に浮かぶ白鳥ボートを漕ぐ男女を見ながら、涼は言った。


「ぼくが惹かれていたのは、大学の同じゼミの、ぶっちゃけ華やかな美人で話がうまくて、いつも周りに男友達が集まっているような…… うーんなんていうか、この世に怖いものなし、みたいなタイプなんです」

「それは……ハードル高めですね。うちで髪を切ったあと、どんな反応されました?」

「おー、やったねえ! って。背中バンとやられて、これからがあんたの青春だよ、張りきっていこう!みたいな」

「印象上がったわけですね」

「で、そのボディータッチだけで舞い上がっちゃって。それからは、髪切る前よりは話しかけやすくなったんですけど、なんか、髪は切ってもぼくはぼくだし、彼女のタイプじゃないには変わりないんじゃないかって。つまり、佳穂さんのお父さんみたいな人にはぼくはなれない。この先どう頑張っても、彼女の本命にはなれないって、なんかじわじわわかってきました」

「いま?」

「そう。いま。なんとなく」

「ダメでもともと、当たって砕けろ!みたいな気持ちはない?」


「なんか……」


 食べ終えて包み紙をくしゃくしゃにすると、涼は花びらに染まった地面を見つめて言った。

「彼女に合わせて背伸びするより、こうして、ベンチで何気ない話をしてる方が、僕には楽だし、佳穂さんといると自然な自分を見せられるんです。

 今みたいな時間が、こういう会話の方が、僕は実はほしかったのかなあって……」


「……」


 二人の間に気まずい沈黙の時間が流れた。


「あ、へんな意味じゃないです、正直な感想です」

「うん、わかってる。わかってます」

 

 また会話が途切れた。ボートの方から聞こえてくる歓声が、いっそう気まずさを増してゆく。


「あの、実は僕こんな風に女性と一対一で喋るのも滅多にないので実はすごく緊張しちゃってて。ちょっと、おなかが。すいません、トイレ行ってきます」顔を赤らめて、涼は立ち上がった。

「あはは。行ってらっしゃい」


 早足でトイレの方向に去っていく彼を見つめた後、佳穂はふー、とため息をついた。

 やっぱり、だめだな。……ここまでにしておこう。


 佳穂は左隣の男性に視線を移した。


「あの、すみません」

 

 思い切って話しかけると、青年はゆっくりと本から顔をあげた。


「読書のお邪魔してすみませんでした。それ、おもしろいタイトルですね」

 ちらと表紙を見た後、青年は答えた。

「ああ。ぼくも表紙買いしたもんで」


 前髪に隠れて表情はわからないが、意外に抵抗なく答えてくれる。


「カバのお話ですか?」

「今のところ、カバは出てきません」

「おもしろいですか?」

 青年は前髪をかき上げながら答えた。

「読み終わらないとなんとも。いわゆるビート小説なんで、なかなかとっつきにくいし。ある殺人事件について二人の男の視点から語る話」

「ビート小説?」

「といってもわからないですよね。えと、説明するとなると難しいな」

「ええと、アメリカの一時代にはやったビートニクカルチャー……? ドラッグ、酒、ジャズ、自我と性の無制限な開放。そういう方向性。麻薬中毒者の妄言みたいな」

「へえ、……詳しいですね」意外そうな顔で青年は言った。

「表紙に小さく書いてある著者、ウィリアム・バロウズとジャック・ケルアック。父が文芸誌の編集してたんで聞いたことはあります」

「麻薬中毒者の妄言か。タイトルの説明にはなってるな」

「そしてカバたちはタンクで茹で死に。で、カバは出てこない」佳穂は笑いを含んだ声で言った。


 佳穂はバッグの小物入れからメモ帳を取り出し、しばらく眼前の桜を見つめた後、すらすらとペンを走らせた。それから、自分の名刺を取り出すと、裏に何か軽く書いて、メモ帳と一緒に青年に渡した。


「すみませんけど、わたしもう行くので、彼……わたしと一緒にいた人が戻ってきたら、これ、渡してもらえませんか」

 青年は怪訝そうに尋ねた。

「二枚とも? もう帰るんですか?」

「あ、違う違う、わたしの名刺はあなたに、メモは彼に」

「僕に? 名刺?」

「わたし駅前のサロンで美容師してるんです。よろしかったら是非おいでください。できれば、わたし指名だとうれしいな」

「……なんか、唐突だな」青年は本を閉じた。

「これでも結構腕に自信あるんですよ。で、あなたみたいな髪型の人を見ると、うずうずしちゃうんです。好きでそういう髪型してるんですか?」

「結構ズケズケタイプなんですね」前髪の隙間からこちらを見る目は、切れ長でまつ毛が長かった。

「すみません、職業病です」

 そして佳穂は青年の顔を覗き込んだ。

「あなた、美形ですよね。最初見た時からわかりました。絶対以前、もててたタイプでしょ。わざわざそうして綺麗な顔を隠してるの、理由があるんですか?」

 形のいい唇の端をあげて、青年は答えた。


「理由があるとすれば、あんたみたいな人に話しかけられないためだな」


 佳穂はくすっと笑ってみせてから言った。

「それはご迷惑様でした。わたしの目は鋭いんです。じゃ、きっと来てくださいね! 抜群に変身させて差し上げますから」

 

 佳穂は立ち上がった。


「彼ほっとくの?」

「だってケバブ食べてる間だけお話しするって約束だったから」

「勝手に渡されたら、僕メモの中身見ちゃうかもしれませんよ」

「いいですよ。どうぞ」


 すたすたと去っていく彼女の背中を見ながら、メモを開いてみる。


...........................................................................................................

  

  お約束通りケバブサンド食べる間だけお話ししました。

  なのでこれでさよならします。

  勝手な推測ですが、あなたの好意は例の彼女ではなく

  最初からわたしに向いていたのではないかと

  なんとなくそう感じてしまいました。

  うぬぼれだったらごめんなさい。

  わたしの勘違いなら、またお店に来てくださいね。


............................................................................................................


 ……なかなか、鋭いな。

 青年は半ば感心しながら、次に名刺の店名を見た。

 ヘアサロン リゴレット…… クリエイティブデザイナー 堂本 佳穂……


 ふと気が付くと、置いてけぼりを食った彼が、ベンチの後ろに立ってきょろきょろしていた。


「あのう…… すいません、僕の連れの女性は……」

「さっき帰りましたよ」

「帰った?」


 涼はひっくり返るような声を出した。

 そして、「はいこれ」と手渡されたメモを見た。

 

 読み終わると、がっくりとうなだれてベンチに座り、

「はー……」と声に出してため息をついた。

 隣で、足を組みながら青年は言った。


「悪いけど、途中でイヤホン外して、お話聞いてました。

 ここまで彼女を連れてこられたことだけで大したもんですよ。

 僕、あんたら二人が到着するまで、横に座ろうとするカップルを怖え顔して追っ払ったし。追加料金貰いたいぐらいですよ」

「払えというなら払いますよ」多少やけくそ気味に涼は答えた。

「冗談。で、まあその、彼女が見てもいいというのでメモ見ちゃいました。ご愁傷様」


「やっぱ、彼女に気持ち見抜かれてたんだ。本気度出さないように、押さえてたつもりだったんだけどな……」

 涼は両手で顔を覆った。


「で、あの美容院へは」

「もう行きませんよ。それ、来るなって書いてあるも同然でしょ」


 しばらく並んで沈黙した後、青年はぽつりと言った。


「僕が見たところでは、彼女、ファザコンだな」

「ファザコン?」


「結局、モテモテで遊び人で物知りの父親こそが、たぶん好きな男のタイプなんですよ。で、そういうタイプが最後に自分を選んでくれるという、お姫様幻想を持ってる。その時のために、父親の厳命である<二人きり>を避けて、これという本命を待ってるんでしょう。本人は気づいてないかもしれないけど」

「なるほど。んー、そうかあ……」

「最初敷島さんから依頼があった時、女性と会いたいんだけど二人きりは駄目みたいなので三人目としてベンチに座ってくれるだけでいい、と言われて、何のことだろうと思ったけど、悪いけど会話聞かせてもらって、いろいろとこちらも勉強になりました」

「……そりゃ、よかった」気の抜けた声で答えてから、涼は尋ねた。


「レンタルほとんど何もしない人、ってどういう需要があるのかと思ったけど、あなた、えーと……」

「水谷玲央です」


「ああ。水谷さんみたいにしまいにアドヴァイスしてくださるサービス付きだと、なんかありがたいです。一人じゃこの気持ちを消化できなかったかもしれない」

「元の職業がホストですからね。人の話聞くのは好きなんです、実は。それあまり表に出すと話し相手の欲しいお年寄りとかにつかまって面倒なことになるので、簡単な会話しかできません、ということにしてあるけど」

「なんかなあ。もう色々とやる気なくなっちゃったから、大学やめて僕もそういう仕事しようかな」

 傷心の青年はベンチにもたれかかって上を向いた。

「いやいやいや。高卒のホストなんてしゃべるほかにスペックないからこんな仕事してるんですよ。ちゃんと大学出て正業に就いた方がいい、女ごときでくたってないで」

「……女ごときか。めちゃ正論ですね」涼は苦笑した。そしてまた、項垂れた。

「辛えな。今日のとこ、いいとこなしじゃんオレ……」

「今のあなたの容姿なら、真面目に勉学に励んでいれば、そのうちいい彼女もできますよ。変に背伸びしなければね。ホントに、充分イケてるから。そこは彼女に感謝した方がいいよ」

 

 涼は決心したように立ち上がった。


「お世話になりました。今日中に気持ち整理して、彼女のことは思い切ります。とにかく、前を向く決心はできました」

「そりゃよかった。ご利用ありがとうございました。また何かあったらご用命ください」

「はい」


 敷島涼は幾分背を丸めて、桜の舞い散る中を歩き去っていった。


 さて、今日の仕事は終わり。


 水谷玲央は、一度ポケットにしまった名刺を取り出して、くるりと裏返した。

 ペンで描いたハートマークに、矢が刺さった絵がかいてある。

 ふっと笑い、ハートの中央目指して、ゆっくりと名刺を真っ二つに破る。


 ……悪いけど、親父さんの代わりにはなれないよ。


 通い始めた客と、キャッチしたつもりの客、二人のがしたわけだ。

 そして本日の客の恋心は玉砕。

 サロン名のリゴレット。

 イタリアの歌劇と、英語の「残念」という意味。発音はほとんど同じだけど、僕の思うところ、今日の結果は総括して「残念」のほうだな。


 駅に向かう通りを歩きながら手の中で名刺を裂き続け、途中のコンビニのゴミ箱に、花吹雪サイズになったそれをこぼれないように全部捨てた。




挿絵(By みてみん)




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こゆい。盛り盛りです掘っても掘っても出て来るネタ(すげー)と、登場人物に抱く印象の鮮やかな変化(三人とも一度ならず変わります)素朴なフリで洒落たタイトルとオチがたいへん美しい。残念だけど美形だからセー…
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