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7 老人と少女

 キキキ、ルルル、とキキルル鳥の鳴き声がしてミルカは朝だと思って瞼を持ち上げた。しょぼしょぼとした目でいつもの少し隙間の空いた天井を見ながら、それでも重たい瞼を持ち上げるためにゴシゴシと目を擦る。

 なんだか体はダルくて、持ち上げた右腕が肩に引っ張られてる感じがするし、動かしにくい気がする。


「動かすな馬鹿娘」

「?……カフェじぃ?」


 動かしづらさをどうにかしようとブンブンと腕を動かしているとベッドの横から止めるよう声をかけられた。

 頭だけを動かしてそっちを見ると腕まくりをしたカーフェが居間にあった椅子に座って小さなノートに何かを書いていた。ざりざりと質の悪い紙に古びたペンを走らせるカーフェにミルカは目をパチパチと瞬かせる。


「カフェじぃ、何書いてるの?」

「お前の傷の経過の記録をつけてる」

「きず……?あ、魔物!魔物は!?」

「落ち着け」


 ミルカの頭の中の記憶にたくさんの石が降ってくる。


 ハッとして起き上がろうとすると、半分も体を起こしきれない内に、椅子から立ち上がったカーフェにおでこを押されてベッドへと押し戻された。


「うえぇぇ」

「変な声を出すな。魔物は倒した」

「倒した?」

「そうだ……あれから一週間経ったがな」

「一週間?私、一週間も寝てた?」

「あぁ」


 普段よりひんやりとした手のひらをおでこに当てられながら、一週間も寝た覚えがなくて目を瞬かせる。


「熱は下がったな」


 そう言ったカーフェが椅子に深く腰掛けるとぎしりと音を立てた。


「熱?私?」

「お前以外に誰がいるんだ。……子供のお前が湖の中でほぼ全身と言ってもいい範囲に怪我を負って気絶したんだ。精神的負荷もあっただろうから熱くらい出る」

「そうなんだ?」

「怪我は治っている……ただ、右肩と腕に傷痕が残ってしまった」

「痕?……あ、ホントだ」

「解くなアホ」


 そう言って顔を顰めたカーフェの言葉を確かめる様に服の下や両腕を交互に見ると、包帯がしっかりと巻かれていていた。動かしにくかった原因はコレかとクルクルと解いてみると、確かに皮膚が茶色くひきつったような痕が残っていた。

 確かにあるけど、別に傷痕なんて気にならないんだけどなぁ、と思っているとミルカより傷痕を気にしているカーフェに呆れたように怒られた。

 あ!まずい!と解いた所を慌てて巻き直すと、その巻き直し方が気に入らなかったのかミルカを制してカーフェが丁寧に巻き直してくれた。


 ホントに気にならないんだけどなぁ、と綺麗に包帯が巻かれていく腕を見つめる。


 だって死んでないし今は痛くないのだ。

 それに、こうして生きているってことはカーフェがミルカを助けてくれたと言うことだし、そもそも自分がカーフェの言うことを聞かずに出かけたせいでこうなったのだ。

 謝ってありがとうと言うことはあれど、カーフェが気にすることなんてなんにもない。「ありがとう。……ごめんなさい」と呟くと「あぁ」とだけ返って来た。


 むしろ、ミルカはカーフェの方が気になった。


 ミルカが気絶する前にカーフェは魔物の腕に吹き飛ばされて湖に勢いよく叩きつけられたのだ。

 魔法をかけて痛くなくなったとは言ってはいたが、本当にもう痛くないのかミルカには分からないし、ミルカが意識を失くしてしまった後、魔物と戦ったカーフェに何があったのかも分からない……。


 自分の腕からカーフェに視線を移す。


 包帯を巻いている手やミルカの傷を見つめる顔に傷がある様には見えない。

 でも気のせいだろうか。なんだか顔色が悪い気がする。


「カフェじぃは?大丈夫?魔物に怪我させられてない?何もない?腕は?本当に痛くない?薬はいる?取って来ようか?」

「ワシはなんともないわ。薬も要らん。お前はベッドから起き上がるな」

「ホント?嘘ついてない?」

「ついとらん」

「そっか」

「そうだ」

「うん」

「……」

「……?」

「……」

「……カフェじぃ?」


 ジッと本当に怪我をしていないのか疑うように注意深くカーフェを見ていたミルカは、一瞬カーフェが何かを言おうと口が開いて何も言わずに直ぐに閉じられたのが目に入った。

 ミルカに何かを言うことをこんな風にやめることなんてないカーフェの様子が変で尋ねると、カーフェ眉間の山が更にグググッと寄って側に大きな谷が出来上がった。


「え……やっぱり怪我してるの隠してるの?」

「違う。精霊花(ファビリア)の……いや……だが、いや……」

「何?え、なになに?」

「……まだ起きたばかりだ、後で話す。待ってろ。茶を持って来る」

「待って!今でも大丈夫だよ。ほら、カフェじぃが治してくれたから私元気だよ!」


 そんな風に途中で止められたら気になる。


 部屋から出て行こうするカーフェを引き留めて、見て見て!とミルカは寝たまま慌てて腕を天井に突き上げたり、布団をバンバンと叩いて元気な証拠を見せると、カーフェは「止めんか」と言いながら呆れたようにため息を吐いて椅子に腰を下ろした。

 それでも言いづらそうに口をへの字にしているカーフェの言葉を待っていると、しばらくして言い淀むように口を開いた。


「……こんな状態のお前にやらせる事も頼む事でもないのは承知で一つ、既にお前にやってもらっている事がある」

「え、何もしてないよ?」


 本当に何もしていないし、なんならお世話をされて一週間寝ていただけである。そんなミルカのキョトンとした顔を見てカーフェは少しバツの悪そうな顔をしていた。


「……この間、精霊花(ファビリア)の種の話をしたのは覚えているか?」

「うん、カフェじぃが研究してる持つとスゴイ種」

「その種がとある条件下で開花するんだが……」

「え!咲いたの見たい!どんな花が咲いたの!?キレイ?種みたいにキラキラした花咲いた!?」

「近い!待て!」


 ガバッと起き上がってカーフェの方に詰め寄ると、カーフェに頭を弱めにガシッと掴まれた。それでも精霊花の花が気になってベッドに手を付いて抗うようにグイグイと近寄ると、カーフェはミルカの首元から何かを引き抜いてミルカの目の前に吊り下げた。

 目の前で揺れるソレに焦点を合わせる様に目を瞬かせていると、手を出せと言われ出した手のひらの上にソレは置かれた。


 以前見せてもらった時と全く同じ状態である、ミルカの小指と同じくらいの大きさと長さの両錘の形をした精霊花の種だった。


「……花?」

「そうだ」

「咲いた?」

「そうだ」

「……咲いてる?」

「咲いてる」

「本当に咲いた?」

「咲いとるわ」

「でもコレ、種……」


 花じゃない……との言葉を飲み込んで、もう一度見てみる。

 何処をどう見ても花びらはないし、葉っぱもなく、まったく花の形をしていない。

 がっかりしながら精霊花の種を指先でコロコロと転がしたりしてみるが形は変わらない。虹のようにいろんな色にキラキラと光って綺麗は綺麗だ。

 でも花じゃない。


「花じゃないよ……」

「お前が考えている花弁をつけるような形状は恐らくまだ先になるだろう。花は咲いていないが精霊花としての力が開花している状態だ」

「そっか……はい」


 ふーんと、少し残念だなと思いながら、またキラキラとした種を見下ろしていたミルカは、何故か自分の首に掛かっている精霊花の種を外してそのままカーフェに渡そうとすると、何故か持っておいてくれと押し返された。


「え、なんで?」

「……精霊花の種の開花にはお前が必要だからだ」

「……ん?」

「その種の開花条件は魔力がないことだ」

「魔力がないこと?」


 ミルカからすると可笑しな話だった。

 魔力があって魔法が使える中で”魔力なし”が疎まれることはあっても、”魔力なし”が必要だなんてことはなかったから意味が分からなかった。

 しかし、真剣な顔をしているカーフェの顔を見て、そうなんだ、とミルカはカーフェの言ってることを理解しようと精霊花の種をまじまじと見つめた。


「何故そうと分かったのかを説明する前に、魔力と魔法の関係について話すか……。魔力は核から湧き、命ある限り核とも言える心臓から血液のように常に魔力の器へと流れる。そして器に溜まった魔力を使い、魔法を使用する。つまり、こういう事だ《光球》」


 そう言ってカーフェが指をパチンッと鳴らすとカーフェの手から生まれた光の球がミルカとカーフェの目の前に飛んできて徐々に人の形を縁取ったに光の人になっていく。

 おぉ、と見ていると、光の人は自分の心臓の辺りを指差した。

 すると、光の人の心臓の辺りがチカチカと点滅しだし、その点滅はお腹の辺りに出来た光の球体の器の中にポタポタと落ちて溜まっていった。

 どんどんとそうして流れていく点滅する光が器の中いっぱいになると、光の人はカーフェと同じように手から光の球を生み出し、手から光の球が生まれると同時に、せっかく球体の中にいっぱい溜まっていた点滅する光が少し減ってしまった。


 分かりやすいなと思いながら、ふんふんと頷く。


「魔力の量や質、器を満たす速さやその保有量も個々によって変わり、当然魔力の回復スピードもそれによって変わる。魔法を使えば器に溜まっている魔力が減るが、生きている限り魔力は核から流れて自然と回復する。まぁ、緊急を要する場合などは回復薬を使うと言う方法もあるがそれは置いておく」

「うん」

「しかし、自然回復はするものの直ぐに全回復する訳ではない。先にも言ったが魔力の量や質、器を満たす速さやその保有量も個々によって変わり、当然魔力の回復スピードもそれによって変わる。だからこそ魔力が(カラ)に等しい状態で魔法を使うのは避けられるべき事だ。何故なら魔力はすぐに回復するものではないからな。しかし、それでも器の中の魔力が空になろうが構わず魔法を使用するとしよう。すると、大抵の人間は魔力枯渇を起こす。魔力枯渇が起きると……まぁ、それまでの過程に色々あるが最終的に意識を失い、戦闘時であった場合などは危険な状態になる。故に余程の状況でない限りは魔力枯渇になるほど魔力の器が空になるまで使う奴はいない訳だ」


 光の人が手のひらからたくさんの光の球を出現させると、光の人の中の球体から光の点滅がなくなって、光の人はその場でバタリと倒れてしまった。


 魔力が器から空っぽになったらダメ、と頭の中に残すよう心の中で呟きながらさらさらと消えていく光の人を見ていると、その次に出たカーフェの言葉にギョッとする。


「あの日、魔物との戦闘時、ワシの魔力は底をついた」

「え!空っぽになったの!?」

「大丈夫だ、なんともない」

「でも、意識失うってさっき言った!」

「言ったが聞け。そして座れ。むしろ、だからこそ精霊花の種が開花して倒れんかったんだ」


 今の今、やったらダメな事だと言ったばかりだ!と詰め寄るようにベッドを立ち上ると、分かっていたかのように直ぐにベッドに座らされた。

 ムッとしながらミルカは、じっとカーフェを見つめて話の続きを待つ。


「精霊花の種の話に戻るが、精霊花の種は元々そのままの状態でも所持している者の魔力や力などを増幅させる力があると話したな?」

「うん」

「それは間違いだ。精霊花の種の力は魔力を増幅させるのではなく、魔力のない人間が持つことでその人間に魔力を与えるのだ。研究を続けてきた魔法使いたちは、精霊花の種を身につけることで減った部分の魔力が補われ、どれだけ魔法を使おうとも魔力枯渇に陥ることがなかった為に所持した者は増幅したと勘違いしていたって所だろう。未だに魔力測定器は大分精密度に欠くからな。ワシがそうだったんだ。他の者がそう勘違いしても仕方あるまい」

「だったらなんで魔力が貰えるのにカフェじぃは魔力枯渇したの?持ってたのに……」

「ワシの場合は死の魔法を受けたことで、ワシの器に不備が出来たんだろうな。恐らくワシの器が自分以外の魔力でない事に異物を感じて排除したんだろう。だから種の時の魔力がワシに届かなかった。だが、ワシの魔力が空になって初めて精霊花の力が開花した。魔力が器にないことがキーワードだった訳だ。魔力が器にない状態と言うことは魔力枯渇が起きていると言うことだ。そこで精霊花の種が自身の魔力を注げる器を見つけて有無を言わさずワシに魔力を送った、という所だろう。それこそ魔力枯渇どころか魔力過多になる程にな」

「それなら、なおさらカフェじぃが持ってた方がいいんじゃないの?」

「馬鹿もん。ワシの器には既にワシの核から流れた魔力が満ちとるし、魔力がない状態にならん限り精霊花の種は咲かん」

「あ、そっか。だから魔力のない私が持ってる方が良いんだ。……ん?でもどうして魔力がない人じゃないとダメなの?」

「それはまだ分からん。お前に持たせたのは昨日からだ。その理由にまで至っていない」

「ふーん。じゃあ、なんで魔力がないと開花するって分かったの?カフェじぃ、研究は確かめてないのに決めつけるのは良くないって言うの……に」


 突っ返された精霊花の種を首にかけ直していたミルカは、バッとカーフェの方を見る。

 小さくピクリとカーフェの片眉が上がったのが見えた。

 その小さな仕草で察したミルカはフルフルと震わせた指をカーフェに向ける。


「やったんだ……やったんだ!」

「……精霊花(ファビリア)の力が発揮されて気絶もしとらんわ」

「やったんだ!今まで自分で試してたんだ!だから私が持ってるのが昨日からなんだ!」

「あ、おい!待て!」


 ミルカは今度こそ薬棚まで走った。

 確かめるために魔力枯渇って言うのに何度もなったからちょっと顔色が悪かったんだ。


 あれと、あれと、と考えながら薬棚の前に立ったミルカは、目的のモノが並ぶ戸を開けようと手を伸ばしたそのガラス越しに、自分の胸元で光る精霊花の種が目に入った。

 キラキラと輝く精霊花(ファビリア)の種。これは魔力のない人に魔力を与えるモノだと言う。

 ミルカは思った。

 ――もしかして自分も魔法が使える?と。

 自分の胸元に手を伸ばした瞬間、ガラス越しにミルカを追いかけてきたカーフェの姿が目に入り、ミルカはそうだった!と慌てて薬棚を開いて手当たり次第に薬をいっぱい抱えた。

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