4 老人と少女
「あんの、馬鹿娘が!クソッ、邪魔だ《切り裂け》!」
カーフェは前を塞ぐ木や草を風魔法でズタズタにして払い退けながら激しい轟音が鳴る方へと全速力で向かう。
子供の体は老人の時とは違い、自分の思い通りに体が動くし足も速い。しかし、やはり魔法の威力が弱く何度も魔法を放たなくてはいけない為、その分魔力が無駄に消費されていく。
今は兎に角ミルカの元に急がなければ。
恐らくカーフェが寝ていたのは時間にして多分20~30分ぐらいだ。
ミルカが煎れた茶の中に、匂いからして正式名称エネルク草、ミルカがネムネム草とかぬかしている薬草入れたのは分かっていた。香りの感じからしてごく少量で、いつものカーフェなら少し体が解れる程度の量だったからと飲んだのだが誤算だった。
ここ最近はフィールドワークと称して自分の魔力量の確認と、この魔力の減った状態でどれだけの事が出来るか試していた。
今日に関して言えば、自分の体に身体強化の魔法をかけても問題ないか、そもそも治癒魔法を使った際にどの程度回復するかと調べていたら思ったよりも心も体も魔力も消耗していた。
だからこそ、ミルカの親切心が仇となった。あの娘の作る薬草類は効き過ぎるのだ。それに加えて今の自分の体が子供だから少量でも余計に効いたのだろう。
結果、起きていられない程ではないが軽く心地よい眠気に襲われた。
その後、眠気に誘われるがまま少し眠った事で諸々が回復して、ミルカに寝起きの茶を頼んだら居ない事に気付いて、そう言えばあの時カバンを下ろさなかったなと思い出し、そして、あの小娘は人の忠告を無視して実を採りに行きやがったな、と思い至るまでに一分かかったかどうか。
ミルカの無謀さに頭を抱えている所にあの衝撃音である。
「ええい鬱陶しい!なんでアイツはこんな所を走っとるんだ!《切り裂け》《切り裂け》《切り裂け》!」
腰のあたりまで伸びた草や頭にぶつかる程に撓る枝などに魔法を放ちながら、カーフェはミルカが通った道をなぞる様に走る。
今、同時に使えるのは簡単な魔法二つ。
一つは走るのに邪魔な目の前の草木や垂れ下がった蔦を払うのに使い、もう一つはミルカの居場所を探すのに一定間隔の頻度で使っている。《風による攻撃》と《探し物》の魔法だ。両方とも初等部や高等部の魔法使いの子供が習うような初歩的なものだ。
勿論、飛んでいこうと思えば行ける。しかし、アレは常に風魔法を纏っていなければいけないので簡単なように見えて魔力を消耗する。意外とこう言う瞬発的に行う攻撃魔法の方がまだ比較的マシだ。
それに実際問題、飛んでいこうものなら今のカーフェだとすぐに魔力が枯渇してしまう。
ミルカは心配だが、もし、ミルカが遭遇している魔物がカーフェが見た魔物ならば余力は多いに越したことはない。
段々と《探し物》の魔法が必要ない程、向かう先の森の中がまるで道を示すかのように荒れてくる。走っている最中に見つけた中型の魔物の酷い様の死体に自然と舌打ちが出る。
途中で見た足跡の深さや大きさ、なぎ倒されている木の様子などからしても明らかにアレをやったのは大型の魔物だ。
恐らくカーフェが朝見た猿の形をした大型の魔物だろう。なんであんな特大の魔物が家の近くにいたのか分からないが、アイツは目測でも8~10メートル近くはあった。
所々に血を見つける度にドキリとするが、ミルカが絶叫している声が聞こえるから無事だと分かる。
「近いな、何処だ!」
ザッとその場に滑る様に足を止めて辺りを見回すと、右側の森の中、数メートル先で移動を続けているオレンジ色を見つけた。
魔物は真っすぐに木や岩を破壊しながらミルカを追いかけ、ミルカは、わー!やら、あー!やら、来るなー!やらと本人は真剣なのだろうが、なんともマヌケそうな叫び声を上げながら、いつものちょこまかとした運動神経で木や岩やらを巧みに障害物に使って魔物の手からなんとか逃れていた。
しかしどれだけの時間逃げていたのか、体力も限界になってきたのだろう。所々で何かに躓いたり、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返している。
此方に魔物の意識を向けさせる為に目元に向かって魔法を放とうと口を開いた瞬間、魔物が辺りの木々すらもその一度で倒すつもりなのか、へし折った木をミルカへ投げつけよう大きく振りかぶる姿を視界に捉える。
「ミルカ!目いっぱい横に転がって頭を守れ!」
「!か、カフェじぃ……っ!」
「おまっ、バッ!《切り裂け》!」
魔物がミルカに向かって振りかぶる姿に思わずカーフェは叫ぶ。アレが当たれば致命傷どころではなく、ミルカは確実に死ぬ。
カーフェが大声でミルカに注意を叫ぶと、やけに右半身だけ血まみれのミルカがハッとして荒い息のまま声の出どころを探して視線をうろつかせ、カーフェと目が合った途端にじんわりと目を潤ませた。
此方に意識を持っていかれて半泣きになっているミルカに、慌ててカーフェは目元にぶつけるつもりだった魔法を、投げられた木に向かって放つ。それと同時にそのままミルカに向かって走り寄り、攫うようにミルカを抱えて駆け抜ける。
「チッ、分かってはいるが威力が弱すぎるな……」
横から放った風魔法によって大小様々な破片となって分散して飛んでいく。自分たちにも降りかかる方向へ走った為、破片に当たらないよう風魔法で払いながら二人が隠れても問題なさそうな木の後ろへと滑り込む。
「あの、カフェじぃ、その……」
「黙っとれ。あの猿、こっちに気付いてるな」
しかも完全に此方の逃げる様子を見て遊んでいる。
突然木がバラバラになって急に目の前の獲物が消えたと言うのに、スンスンッと余裕な様子で鼻をひくつかせると猿の魔物はニヤッと笑みを浮かべて迷いなく此方にゆっくりと向かってきた。恐らく、ミルカが被っている魔物の血のニオイで此方に向かってきているのだろう。……水辺に向かうか。
魔法で水を頭から被せても、魔物の血は水で流したとてニオイまでは落ちない。が、水の中に入っていれば消えはしないがニオイは漏れない。
「ミルカ、湖に向かうぞ」
「え?」
「お前に付いてる魔物の血を洗い流す。洗い流しただけでは完全に消えはせんが、水の中に居れば魔物のニオイは薄れる。湖の中に入ったら湖の中心近くまで泳げ。何があっても振り返らず泳げ。中心まで行けばあの猿はわざわざ泳いでまで来んだろう。泳ぎ疲れたらその場で力を抜いて浮いていればいい。出来るな?」
「う、うん」
「大丈夫だ。ワシがお前の後ろを走る。お前は全速力で走って湖に着いたらそのまま中に飛び込め。いいな」
「うん……」
やけにしゅんとした返事をするミルカを見下ろす。ふー、と息を吐きミルカの顔をガッと上に向かせると、その顔に掛かったケモノ臭い血を袖でゴシゴシと拭う。
「んぶっ」
「……ワシの言う通りに出来たらお前がワシの話を無視して出かけた事はチャラにしてやる」
「!うん」
「行くぞ」
「うん!」
「出来るだけ広い湖に行け。走れ!」
「うん!」
カーフェの合図と共に走り出したミルカに続いてカーフェも走る。
カーフェでも迷うような広大な森の中を迷いなく湖へと向かって走るミルカの後ろを付いていく。
その間にも背後から追いかけて来る猿の魔物は、片手間に通りすがりに地上の低木を引き抜き、木の枝を折り、地面の砂利を掴んでは投げてくる。
その度に破壊できるモノは風魔法で破壊し、避けきれないものは少し強度を上げた土魔法で壁を作り、魔物の攻撃を防ぐと同時に進行を邪魔する。
なんにせよ、あの猿はまだ本気ではない。
まだ一度も此方に向かって魔法を使っていない。恐らく使わずとも勝てる相手だと舐められているからだろうが、言い換えれば今がチャンスでもある。
魔法が中途半端にかかって弱くなる前のカーフェなら、あんな猿がどんなタイミングでどう攻撃してこようと己の魔法で問答無用にぶちのめしてやったが、今のカーフェでははっきり言ってあの猿の相手にならない。
癪に障るが、舐められているこの状態が一番理想的だ。
重要なのはタイミングだ。カーフェの魔力残量からいって攻撃魔法を連発するのは悪手だ。威力が軽すぎて意味がないし、軽すぎるが故に決定的な一打にはならない。
だが一発に今使えるの魔力を全て込めれば勝機はある筈だ。
「着いた!」
「よし行け!泳げ!」
森を抜け、大きく広い湖に到着するとミルカは先に話した通りに真っすぐに湖の中へと迷いなく入り、深くなっていくにつれて言われた通りに湖の中心に向かってバシャバシャと泳ぎ出す。
その様子を見守り、カーフェはくるりと反転して、辛うじて追いつけない程度に距離を保ちながらやって来た舐め腐った顔をしている猿と向かい合う。
「さて……此処からは行けんぞデカブツ」