2 老人と少女
「それでカフェじぃ、なんでのっぴきならない大人の事情で子供になっちゃたの?」
「……ソレを聞くタイミングは今か?」
大きく盛り上がった木の根に腰を下ろしていたカーフェは少し湿った地面に直で座るミルカを見下ろす。二人の間には、調理の為に起こした火があり、時折パチリとはぜている。
手に持った肉から肉汁がぽとりと垂れた。
それはただの兎の肉を捌いて火で焼いているだけなのだが、ミルカの手によって柔らかくジューシーに調理された朝食と言う名の兎の丸焼きである。
そんな自分が調理した兎の肉を小さな口いっぱいに頬張りながら聞いてくるミルカに、置き場のない肉によって肉汁まみれになってしまった手を何とかしようと、置き皿替わりに出来そうな葉を探していたカーフェは思わず呆れて突っ込んでしまった。
ちなみにカーフェは一口齧って以降は辛くて二口目は口に入れていない。
美味いのだが辛いのだ。唇がピリピリして口内は痛い。
それにしてもこのアホ娘は……。
アレで話を逸らせたとは一ミリも思ってはいなかったし聞かれるとは思っていたが、まさかこんな外で兎の肉を食いながらとは全く思っていなかった。
自分が作った罠が成功して腹が肉で満たされたから気になりだしたのか?
この数か月一緒に暮らしてミルカの思考回路が大体理解出来てきたカーフェはあり得る……と、話してもらえると疑わない、真っすぐな目で此方を見つめるミルカを見返す。
口の周りが肉汁まみれで汚い。
「……何にせよ、まず口を拭け。汚い」
「うん」
「袖で拭くな」
素直に頷いたミルカは横着に袖でゴシゴシと口の周りを拭いたか思えば、手元の肉を見てまた肉を頬張り、そしてまた口の周りを油まみれにして袖で拭うというループをし始めた。
何故そうなる。暗に一旦食べるの止めて聞く体制になれと言ったつもりだぞ――。
呆れた顔でミルカが三周目のループに入る前に、ズボンのポケットからよれたハンカチを取り出してミルカに渡す。大人しく受け取ったミルカが、今度は口の周りをハンカチで拭いては食べるという新たなループに移行したのを、だろうな、と何の感慨もない気持ちで見やる。
「……で、聞くんだな?」
「うん」
「端的に言えばコレが起因だ」
「?いつもカフェじぃが首から下げてるやつ?」
「そうだ。何に見える?」
カーフェは麻紐を引き上げて胸元からネックレスを取り出して見せた。ネックレスは森の中に差し込むわずかな光でもダイアモンドの如く美しく輝いていた。
カーフェが紐の先に付けられた揺れるソレをミルカの目の前に持ち上げると、ミルカはジッと見つめた。前のめりに興味津々な様子だ。
カーフェの着替えの最中や寝起きなどに何度か見た事はあるだろうが、普段は服の下にあって見えないから気になってはいたのだろう。
「首飾り」
「そうじゃない」
「ガラス!」
「違う」
「ガラスの石!」
「違う、ガラスでダメだったのなら別の候補を出せ。なんでソレでいけると思った。コレは種だ。正確には『精霊花の種』と言う」
「精霊花の種?」
「精霊花の種は、花を咲かせれば願いを叶える力があるとされているモノだ」
「じゃあ、そっちの耳のも一緒の精霊花の種?」
「こっちはフェイクだ。似てるだろ?これだけ堂々と表に出していれば疑い深い奴なら怪し過ぎて逆に此方を本物と思うだろ?」
カーフェはネックレスを服の中にしまい直しながらニンマリと笑った。
「そうなの?でも、なんでそんなスゴイのをカフェじぃ持ってるの?」
「ワシがこの森に来る前に王宮に勤める魔法使いだと話した事は覚えてるか?」
「ん?うん。王宮魔法使いの中で一番偉い魔法使い?」
「そうだ。それでその偉いワシの仕事は、新たな魔法の開発や王宮に勤める魔法使いたちの……コレは関係ないな、とにかくワシは数人の魔法使いと共に王宮で厳重に保管されてきた精霊花の種を開花させる研究する仕事をしておった。コレがその研究中の精霊花の種だ」
「え!カフェじぃ盗んで来ちゃったの!?」
「なんでそうなる!違うわ!精霊花の種の開花を一任されてワシが持ってるんだ!」
「なぁんだそっかぁ」
「なんだその顔は……。続きを話すぞ」
「うん」
「えー、あーなんだ?あぁ、そうだ。精霊花の種の説明をするとだな、コイツはそもそも種の状態でも持つ者の魔力なりを増幅させる不可思議な力を有している代物だ。咲かせられれば強大な力を得られるであろうと考えられていて長年研究をされていたが……まぁ、さんざん王宮で研究自体はしつくされていたからな、当然行き詰ってはおったわ。そこでワシは王宮の中という事が問題ではないかと思い、一先ず王宮から離れて研究をしてはどうかと進言した。当然、発案者であり王宮魔法使いのトップであるワシにその任は任された。命を受けたワシはその日のうちに精霊花の種を手に、開花の研究を行う為に王宮を離れた訳だ」
耳に付けたカモフラージュのダイアモンドのイヤリングに触れながら王宮から出る際の事を思い出し、何処で漏れたのか初っ端から命を狙いおって……と思わずグッと両手を握る。
両手を握ったせいで、イヤリングに触れていない方の己の手の中で兎の肉が主張してきてスンッと急速に感情が冷めた。そう言えば、まだ一口分しか減っていなかったわ。
「……あー、とにかくだ。精霊花の種は知っている者なら喉から手が出るほど手に入れたいモノって事だ。種の状態でも恩恵があるからな。さて、そんな貴重なモノが厳重な守りが施された王宮から離れ、優秀とは言え年老いた魔法使いであるワシの手にあると知ったら悪い奴はどうすると思う」
「悪い奴?うーん……カフェじぃから盗む?」
「惜しいな。盗むよりもワシを殺してしまえば話は早い。秘密裏に殺してしまえば誰にも知られる事もなく精霊花の種も手に入れられるだろう?それにワシと言う邪魔な存在が消え、王宮魔法使いの最高地位の席が一つ空く。一石二鳥どころか一石三鳥と言う訳だ」
「……カフェじぃ殺されるの?」
「されるか。殺されていない結果がこの姿だ」
「ん?」
「つまり、ワシを密かに殺そうとした人間がワシに死の魔法をかけたが、それを優秀で歴代最高の魔法使いであるワシが防いだって訳だ」
「防いだのになんで子供の姿なの?」
「……寝てる時にかけられたからな」
「そっか。私も寝てたらカフェじぃにタンスの中のモギモギの実を取られても気付かないもんね」
訳知り顔でミルカが頷くのを見てカーフェの口はへの字に曲がる。
そう、のっぴきならない大人の事情などと言ってはみたものの、これは単純に寝ている時に死の魔法がかけられ、寝ぼけて中途半端に解除した結果、中途半端にかかって子供の姿へと変わり魔力が半減してしまったと言う話である。
仮にも国で一番である魔法使いの自分がである。
以前の王宮で暮らしていた頃のカーフェであればどんな時であってもこんな無様な結果にはならなかったと自信を持って言えるが、この数か月、この森でミルカと過ごす内にかなり警戒心が緩んでいた。
襲ってくる者もこの森に入ってからは見ていなかったのも気の緩みにつながっているとは思う。
何せ、唯一物理的に襲ってくる者として言うのであれば、森の魔物か寝室にミルカが猪のように突っ込んでくるかくらいだ。
これを平和と言わずなんと言う。
ふー、と息を吐きながら空を見上げる。
まぁ、犯人の察しはついている。
王宮魔法使いでカーフェの下で燻っていた序列2位のケイネスの仕業だろう。
王宮からかなり離れたこの土地へ魔法を飛ばせるくらいの力があるのはアイツくらいだ。実際、この森に来るまでの町で何度かアイツの息がかかった奴らに襲われている。追い払ったが。
昔から何かにつけて食ってかかってくることが多く、精霊花の種に関しては一緒に携わっていた事もあって、研究を独り占めする形になったのが癪に触ったのだろう。
アイツは精霊花の種に並々ならぬ執着を持っていたからな。
恐らく、中途半端でも魔法が発動したことでカーフェが死んだ、もしくは死にかけていると思っているはずだ。
カーフェを必ず仕留めるつもりだったからか昨夜の魔法はかなり強力だった。アレを組むのに時間が掛かったからこそのカーフェが王宮を出てからの昨夜だったのだろう。
魔法を飛ばすための媒体の検討もついている。
恐らくカーフェの研究部屋に置いてあった予備の煙管だ。いつも使用している煙管は今は使っていないが当然持って来ているので、それ以外で側に置いている物の中でカーフェに一番近しい物はその煙管だからだ。
ねちっこいヤツだ。
その内、カーフェの遺体でもでっち上げて不慮の事故で死んだとでも報告するんじゃないだろうか。あとは自分が種の捜索に乗り出して探し出せば、その際に種を偽物とすり替えればいいだけの事だ。
まぁ、そう簡単には見つからないだろうがな、とカーフェは一旦、様子見する事に決めた。
この場所にカーフェがいるとは知られていないだろうし、カーフェ自身は魔力が減ったくらいで、特段この子供の姿に困りはしていない。それに、精霊花の種がこの森に来てからと言うもの輝きを増しているのだ。この森に何かあるのか気になる。
それにこの娘も……とちらりとミルカを見下ろすと食べ終わったミルカが此方をジッと見上げていた。
「……なんだ」
「お肉食べてあげる!」
「……」
カーフェは無言でミルカに食べかけの肉を渡した。