3 兄と妹
カーフェに手を引かれて着いた場所は、フォークとナイフの看板が吊り下がった、さっきミルカが行こうとしていた美味しそうなお肉のニオイがした店だった。
ここがどうかしたのだろうか?と首をかしげてミルカはハッとした。
そう言えば今日のカーフェは朝にミルカが作った薬草茶を飲んで以来、さっきパン屋でパンを一口齧っただけで何も口にしていない。
「カフェじぃ、お腹空いた?お肉食べにお店に入る?」
「入るは入るがそうじゃない。此処が今日から三日間泊まる予定の宿だ」
「え?あぁ!そっか、そっか。ここが宿かぁ」
「あとじぃと呼ぶな」
「おぉ~、すごーい宿だぁ!」
「聞け」
話半分にカーフェの言葉を聞きながら、ミルカは建物の全体を見るために少し下がって見上げた。
宿は木で出来た年季が入った建物で二階建てになっている。三角屋根は色が少し褪せた赤色をしていた。
つつつ、と視線を下ろした先の入り口はカバードポーチになっていて、ウッドデッキになっているその床には農具が入った籠や木箱なんかが積み上げられて雑多に置かれていて、それらがこの店に入っていった人の物なのか、最初から置いてあるものなのかは分からない。
木箱を避けながら、中が覗けそうな両開きの窓ガラスに近寄って見るが、ガラス面は油っぽいものが付着して汚れていて中の様子は、薄っすら人っぽい影がいろんな所になんとなくあるな、としか分からない。
だけど耳をすまさなくても中からは楽しげな笑い声や音が漏れてきているのは聞こえるし、美味しそうなニオイもずっと漂っている。
初めて泊まる宿がなんだか楽しげで、早く入りたくて逸る気持ちのままミルカは「行こう行こう!」と入り口に駆け寄ってドアに手を触れた。
「おい、こら待て。勝手に行こうとするな」
「え?入っちゃダメなの?」
「駄目ではないが、あまりはしゃいで目をつけられるような行動はするなよ」
「?なんで?」
「村と言う場所の傾向的に宿は酒場のついでに営んでいる事が多い。旅人なんぞそう頻繁に来るもんでもないからな。その代わりと言うのも違うが、こう言う場所は村の人間にとっての数少ない娯楽場所になる。娯楽とはまぁ、要は酒の事だが……外にいても分かる程のこの騒ぎ様からして、昼間から酔ってる人間が中に多数いる訳だ。なかには柄の悪い輩もいる可能性もある。……そこに騒ぎながら入ってくる子供が二人、どうなると思う?」
「子供が来た!って思う」
「違う。皆が皆そうではないが、気持ちよく飲んでる所に子供が騒いでいたら鬱陶しいと思う奴もいるという事だ。閉鎖的な村で何かしてくるような奴は居ないとは思うが、気を付けるに越したことはないからな」
「そっか、う~ん……わかった!任せて!」
「……本当に分かってるな?ワシは大人しくしとれと言ってるんだぞ?」
「わかった!大丈夫!静かにしてる!」
「その語尾に感嘆符を付けるのを止めろ。不安になる」
「わかった!」
「分かっとらんだろ……」
キリリとした表情で真面目に頷き、カーフェの呆れ交じりのぼやきを聞き流しながらドアを押して中に入る。
店内は昼間だけど外と比べればかなり薄暗く、明るい時間帯だと言うのに既に壁際のランプや天井の大きなシャンデリアに刺さった蝋燭に火が灯されてオレンジ色の光に店の中は照らされていた。
店内の色はぼんやりしているけど、賑わいは青空で晴天な外よりも店の方が賑わっている気がする。
お酒を飲んで陽気になっている人が大半を占めているからなのか、外の村の様子とは違ってなんだが少し浮かされたような活気と言うか変わった熱気があり、ミルカは村の中の店なのに村とは別の空間のように感じた。
店内はミルカの「おぉ~」と声を漏らした声もかき消す具合の賑わいだ。
ミルカは店に入るとすぐにすんすんと美味しそうなニオイを辿るように鼻を鳴らした。
その中にお酒のアルコールのニオイや、カーフェがたまに吸っている煙草と同じようなニオイ、何だかつんとしたちょっと酸っぱい感じのニオイが混じって、鼻が刺激されてフンッと鼻を鳴らす。
「なんか、フンッ、色んなニオイがするけど、フンッ、嗅いだことないすっぱいニオイがする」
「すっぱい?……あぁ~、これは宿のニオイと言うよりは働く男の頑張りの証だな」
「頑張るとすっぱいの?」
「人によるとしか言えん。ちなみにワシは違うから嗅ぐな」
カーフェも頑張っているなと思い、腕の辺りに顔を勢いよくくっ付けてスンッとニオイを嗅ぐと、顔を顰めたカーフェにミルカは頭を掴んで押し返された。
確かにカーフェからはすっぱいニオイはしないけど、服の奥の方でいつもの煙草のニオイが微かにする。森で野宿をしている時、ミルカが寝ていてカーフェが見張りをしていると煙草を吸っていたからその残り香だとわかる。
大人しく頭を押されるがまま嗅ぐのを止めて元の位置に戻ると、カーフェはたくさんの料理や飲み物を持ったままお店を縫うように歩く女の人を呼び止めた。
髪の毛を馬の尻尾のように揺らしている女の人は「ちょっと待ってな!ほら、追加の酒だよ!」と大きな声で近くにいたおじさんのいるテーブルにドンッとコップを置いては、また別の机へと向かっては酒を置き、料理を置き、と忙しなく働いている。
「……しばらくはダメそうだな。あの端にある席に座って待つとしよう」
そう仕方なさそうに呟いたカーフェと一緒に壁際の賑わいから少し離れた席へと向かい、端っこにある二人用の小ぢんまりした席に座って、くるくると動き回る女の人のを眺めた。
「人がいっぱいで忙しそうだね」
「昼時だからな。ワシらも何か頼むか」
「!お肉!」
「言うと思ったわ。ワシもそうするか。すまんがコッチにも牛肉のステーキを二皿くれ!」
「はいよ!ジェイク、ステーキの注文入ったよ!」
「了解!」
カーフェが大きな声で注文をすると女の人がカウンターでお酒を注いでいる男の人に注文を飛ばした。
カウンターの向こう側の男の人が大きなフライパンを持って、分厚いお肉をジュウと焼き始めるのが此処の位置からでも見える。
お肉から煙が立ちあがり、ステーキにソースが掛かると更に美味しそうなニオイがしだす。
ミルカは、このスパイシーなニオイはニコの実が使われてるなぁとか、甘い香りはロティの蜜かなぁ、でも薬草の気もするなぁと、一人で静かにニオイの当てゲームをする。
そうしてスンスンと鼻をひくつかせているととカーフェがトントンと机を指先で叩いた。
「ん?」
「とりあえず、この後の予定を話すぞ」
「この後?宿がとれたら服屋さんに行くんでしょ?」
「そのつもりだが服は明日にする。まだ出発まで日にちも時間もあるからな。服も必要だが、きちんとした場所で体を休めて体調を整えることも大事だ」
「あ!そうだね、休まなきゃ!カフェじ、にぃ疲れてるもんね。薬草茶いま飲む?」
「要らん、ワシは多少魔法を使って体を回復させているから平気だ。ワシよりもお前だ。お前は今は単にテンションが上がっているから疲れを感じていないだろうが、安全な場所で休めば体が疲れを訴えてくるはずだ」
「そうかなぁ?私よりカフェにぃの方があんまり寝てないし、絶対にカフェにぃの方が疲れてるよ?」
「……分かった。この際、どっちがより疲れているかは関係ない。宿が取れ次第休むぞ」
「ん、わかった!」
なんとなくカーフェに勝った気がしてミルカがニッコリ笑みを浮かべると、馬の尻尾のお姉さんが「お待たせ!」と言いながらミルカたちの前にドンッとお皿を置いた。
あまりにも勢いよく置かれたお皿にキョトキョトと目を丸めていると、また誰かの注文が飛び、それを受けてお姉さんは忙しい中へと戻って行った。




