2 兄と妹
ミルカの間の抜けた声を聞きながら、白けた目で目の前のやり取りを眺めてどうしたモノかと考える。
まぁ、考えると言っても馬車移動の気持ちが変化するという話ではない。
そもそも魔法での移動は余程でない限りは考えていない。
ミルカも一緒であると言う点を考えると、自分だけではなくミルカの事も魔法で運ぶことになり、当然魔力は通常よりも多く使用することになる。そうなれば器の魔力が少ないカーフェでは、すぐに魔力枯渇を起こして倒れてしまうだろう。
そして、馬車と言う手段があるのに徒歩で向かうというのは論外だ。
若返って体力もあるカーフェ自身は行こうと思えば体力の続く限り移動は出来る。それも別に苦ではない。研究の為や追手を撒くという理由もあるが、この姿になる前はワザと荒れた土地であったり山の中であったりと歩きで移動していたのだ。カーフェにとっては問題ない移動方法ではある。
だが、ミルカにそれを強いるつもりはない。
ミルカは森の中で平和に暮らしていた所を、カーフェの都合で連れ出した魔法が使えないだけの普通の子供だ。
ただでさえ森から初めて出て、休憩は取ってはいるものの野宿をさせながら自分たちの足で歩いて来たのだ。
このアカシア村に来るまでの途中に村や町がないから仕方がなかったとはいえ、いくら森で育って体力もあり元気なミルカでも、そうは見えずとも疲れている筈だ。
走り回ったりするし、口数も減ってはいないが……。
とにかく王宮まではまだ遠く何があるか分からないし、体力を温存するに越したことはないからこその馬車なのだ。
が、まずこの村でその馬車と言う名の足を得る為には、あの二人に話かけなくてはならない。
しかし、知りもしない他人のくだらない喧嘩になんぞ介入したくもない。
(やるなら裏でやれ)
ひとまず宿に入って体を休めてから、古着屋で服を調達して彼らの頭が冷えていることを願って明日にでも出直すか、とそんな事を考えていると繋がれていた手がクンッと下に引かれた。
下を向くとミルカがキラキラとした目で此方を見上げていて、何かをしでかす顔をしているのが目に見えて分かり、嫌な予感はしつつも「なんだ」と問いかける。
「ゼルルって何?」
「…………ポニュポニュだ」
「あぁ、ポニュポニュ!そっか、分かった!」
いつもの事ながら正式名称を覚えないミルカに呆れつつ、コレを口に出して言わなくてはいけないのかという気持ちでミルカ式の単語で伝えると、ミルカは納得した表情を浮かべて、ズカズカと店内の二人に向かって歩き出した。
「は?おいっ!馬鹿、待て!」
目の前で漫才のような喧嘩を続ける夫婦に気付かれまいと、最後の抵抗とばかりに小声で制止を呼びかけるも、この馬鹿娘は自分のやりたい事があると意図して聞かない、もしくは聞こえないという癖があり、当然の如くカーフェの制止も聞かず二人に声をかけた。
「ポニュポニュに困ってるなら良い方法があるよ!」
「え?」
ミルカに声をかけられて驚いたように此方を見る二人に、ミルカはカーフェと繋いでない方の手を腰に当てて胸を張ると高らかに言い放った。
「私、ポニュポニュを使った薬を作れるよ!」
「え?」
「……馬鹿娘が」
頭を抱える、と言う動作をミルカと出会ってから何度してきた事か分からない。
加えて言うのであれば生まれてから73年、ミルカ以上にカーフェの頭を抱えさせた者などいない。
いつも通りに頭を抱えながら、詳しく話も聞かない内に(聞くつもりもなかったが)手伝いを買って出たミルカに溜息しか出ない。
この娘の心根としか言いようがないが、一先ず考えたり躊躇をすることを覚えさせる事が必要なようだ。この調子で色んな所に首を突っ込まれたら敵わない。
カーフェたちに気付いて女の方が客、しかも子供に見せるようなやり取りでない事に気付き、慌てて夫の胸倉を掴むのを止めると、ミルカの前にしゃがみ込んで商売人らしく笑顔を浮かべた。
「いらっしゃい、えっと、何か探し物かしら?」
「いや、なんでも「お姉さんたち、ポニュポニュで困ってるんでしょ?私がお手伝い出来るよ!」
「……」
「ぽにゅ、え、何?」
「ポニュポニュ!」
「……ダン、あなたポニュポニュって何か知ってる?」
「いや、俺は聞いたことないけど……。あー、俺達のやり取り聞かれてたなら、話の流れから察するにゼルルの事じゃないか?」
「あぁ、確かに触った感触はぽにゅぽにゅ……しているかしら?」
変わった擬音ね?と言いながら頭の中に浮かんだであろう、丸くて透明な水袋状のゼルルを想像し、困惑した様子で顔を見合わせる夫婦にミルカは続けざまに自己紹介を始めた。
「私はミルカ!こっちは、カフェじ……兄!私のお兄ちゃんだよ!」
「え?あ、私はメリッサ。この人は夫のダンよ。えぇっとつまり、ゼルルを買い取ってくれるって事かしら?」
「……そんなもん要らん」
「あら。じゃあ、何かしら?」
「ポニュポニュを塗り薬にする方法があるから教えてあげるよ!」
「ぬ、塗り薬?ゼルルを?」
「ポニュポニュと必要な薬草を合わせればなんでも出来るよ!ヤケドの薬とか、切り傷の薬とか。あと、かゆみ止めの薬も出来るし、ヒリヒリして痛い時の薬とか~……とにかく色々な塗り薬!そしたらソレを売ると良いよ!」
意気揚々と指折りどんな薬が出来そうか一生懸命伝えるミルカの様子を見ながら、まぁ駄目だろうなと思い、互いの顔を見合わせている夫婦を見やる。
ゼルルは綺麗な水辺に棲む水生の魔物から取れる、膜を破ると粘度のあるドロっとした透明な液体が出る水腑嚢と言う腹の部分にある内臓の通称だ。味もなければニオイもない、害もないが使用用途も特にないと言う魔物からしてもあっても無くても問題ない器官だ。
しいて言うのであれば、魔物を討伐した者が癖のある食感の珍味として食す事があるらしいが、殆どは解体される際に処分される部位だ。
しかし、そんな部位でもあの森の小屋ではゼルルはミルカによって塗り薬の材料として使われていた。
何故そんなものを使っているのかとミルカに尋ねた事があるが、「指でペターッて怪我した所に塗っても垂れないから?」とミルカは言っていた。
魔法を使う人間は魔法で怪我を治すが、この娘は魔法を使えないからこそ、自分で便利さを求めてそういう薬を生み出したのだ。
こうした外傷に関する医療の発展は、魔法に頼りきっているこの世界ではかなり遅く、ミルカの薬はこうした発展の遅さを進ませる力があった。
元来であれば薬草などを摺り潰して作った固形や液状になった薬は、患部に塗ったり乗せたりして清潔な布を当ててそれごと包帯で覆って固定する必要がある。
もちろん、傷口に汚れが付着しないようにするためであったり、創傷部位を乾燥させない様にと言う理由もあったりするが、密着力の弱い薬が付着している状態を保つと言う役目も担っていた。
その点、ゼルルを含んだ薬には常に水気があり密着力がある。
ゼルルを含んだ塗り薬は肌に塗布した時に伸びが良く、水気を帯びている分乾燥もしずらい。そして、損傷部分に薬が付着している状態を維持してくれる。
小さな傷程度であれば包帯などしなくとも薬を塗るだけで薬剤が伝い落ちたりしないで済むし、オマケに魔物の内臓器官であるにも関わらず魔物独特のニオイもなく使うのに抵抗もない。
顔に出来た擦り傷にミルカ手製の塗り薬を塗られながら、ミルカの着眼点にカーフェは感心したのを覚えている。
その観点からも、怖いもの見たさの人間が食す珍味、程度でしか認知されていないゼルルをミルカの提案を飲んで薬として売るのは商売として全然ありだ。
ミルカの言う通りにゼルルを薬に転じさせた物とただのゼルルでは売れ行きも変わるだろう。しかも、ミルカが協力するのであればかなり質の良い薬が出来る。
とは言え、突然現れた知らない子供が塗り薬にすると言ったとて、何処の誰がこの小娘にそんな事が出来ると分かるだろうか。
見てくれはただの子供だ。商品をダメにされては敵わないと思うだろう。カーフェ自身もミルカの事を知らなければ「なんだこのガキは」と思うのだ。断ったとて別におかしくはない。
しかし、注意してミルカを見れば分かる。
この娘の口から出てきた薬の名前の数々や、毎日作っていたからこそ体に染み付いている薬草のニオイや、薬を扱ってきたからこその子供らしからぬ手を。
子供だからと侮って見抜けないならそれで良い。
分からないのであればその程度。チャンスを掴むかどうかは自分たちだ。
カーフェがいちいち注釈を入れてやる義理もないし、この店にゼルルが大量に入荷されようと知った事ではない。
カーフェの目的はただ馬車に乗ること。馬車でミルカとカーフェを王宮方面にある町に連れて行って欲しいだけだ。
「気持ちは嬉しいけれど、お客さんである君、えーっと、ミルカちゃんは気にしなくて良いんだよ。俺たちで何とかするから大丈夫!」
「困ってるのに?」
「えぇ、困ってるけど大丈夫なの。いい子ね、ありがとう。ダンが言ったように自分たちでどうにかするから平気よ」
案の定、夫婦はミルカの提案を断り、単純なミルカは暗に子供が口を出すなと言われた事など分からず「大丈夫なら大丈夫か!そっか!」と頷いた。
「薬、要らないって!」
「見てたから知っとるわ。パンでも食って少し黙っておれ」
「分かった!」
カーフェを見上げながら、一緒にいて見聞きしていると言うのに報告してくるミルカに呆れながら、繋いだ手を離して買ったばかりのパンの袋をそのまま渡した。
先程のパンが気に入っていたようだから、袋の中のパンを齧らせておけば当分は静かに食べているだろう。
受け取ったミルカは、思った通りに袋からパンを取り出すと「おいし~」と言いながら大人しく食べ始めた。
そんなミルカを一瞥し、その場でジッとしていることを確認してから本来の目的を伝える為にカーフェは口を開いた。
「コイツがアンタらの仕事に口を出してすまない。実は頼みがあって来たんだが」
「え、あぁ。やっぱり何か入用だったかい?」
そう言って男、ダンは店内を見回した。ソレに釣られるようにカーフェも店内を見回す。
小さな雑貨店といった様子だ。この小さな村でなら十分な品揃えだろう。
この村はドが付くほどの田舎で、主に畑がメインとしていて、稀に畑などを荒らしに来る動物や魔物を狩ったりして暮らしている村だ。
村の中でそれらを消費して、その他の足りない物はこの店が仕入れる事で村は上手く回っているのだろう。
見る限り、村の人間が必要とするようなこの辺では採れない調味料であったり、紙やインク、農具や布、多少は魔力を回復させる薬なども置かれており、村に根付いた仕事をしているのは伺えた。
見る目はないが、村の人間向けの商売人としては上手くやっていると言える。
「いや、三日後に馬車が出ると近くのパン屋に聞いた。子供二人になるが可能なら一緒に連れて行って欲しい」
「あぁ、それで来たんだね。連れて行くのは良いんだけど、行く先はアニエスだけど……大丈夫?」
「王宮へ向かう方向にあるなら構わない。支払いは?積み荷の人手が必要なら力になるが、金が良ければ金を払う」
「いや、お金は要らないよ。積み荷作業を手伝ってくれるならありがたいし。それに馬車と言っても乗ってもらう場所も荷馬車の荷台部分になるだろうから居心地も良くないだろうし。けど……」
「では三日後にまた来る。よろしく頼む。ミルカ、終わったぞ。……お前、いくつ食った」
「ん?」
「パンはもう終わりだ。ほれ、行くぞ」
「ん!分かった!」
「邪魔した」
「え!?ちょっと、待って」
引き止められたが此方の話は終わったので今はもう此処に用は無い。
悪あがきにもう一つ取ろうと袋に手を入れて次のパンを取り出そうとしているミルカからパンの袋を回収して、再び手を繋いでさっさと店を出る。
「此れは金も払った方が後腐れ無く済みそうだな……」
カーフェはミルカの手を引き、もと来た道を戻る最中、チラッとコリン商店の振り返りカーフェたちを追ってきて店前で立ち止まる夫婦を見てそう呟く。
道中でやっぱりどうこう言われたら面倒以外の何者でもない。それくらいの金はあるし、金を払って面倒に巻き込まれないのであればそれが一番いい。
とりあえず馬車を確保した今、今度は宿だ。
まぁ、見当はついている。ミルカが見つけたあの食堂の看板を下げた飯屋を装った酒場だ。
こういう小さな村で酒場があるだけでも御の字と言える。宿を宿として構えているようなところは少なく、経験上酒場がついでに宿をやっているという所が多いのだ。
そんなことを考えていると距離もそんなに離れていない事もあり、カーフェたちは酒場の前へと辿り着いた。




