【Others Side】スカウトマンの完全な誤算
【Others Side】
こいつは千載一遇のチャンスじゃねえか?
葵ちゃんが昼間から単独行動なんて、滅多に見かけない。こいつはラッキー、今日の俺はツイてるぜ。
慎重にあとをつけて花やしきダンジョンまで来ちまったが、マジで単独行動じゃねえか。
あの話題の葵ちゃんをスカウトできりゃ、間違いなく売れる。話題性もそうだが、まず素材がいい。いまはちょいと芋っぽいが、磨き上げれば必ず光る。この業界に入って数年もやってきたが、あそこまでの原石はそういるもんじゃねえ。
ガードの固いまどかちゃんがいない今日こそ、一気にキメてやるぜ。
そして10年以上のハンター生活で培った戦闘センスと勘が告げている。
今日こそ、あのアイドル候補生を口説き落とすチャンスだってな!
「やあ、今日はひとりかい?」
声をかける時の第一声から、実は緻密な計算が働いている。
軽薄そうな態度で油断させつつ、実は重心を少し低くしながら完璧に間合いを測る。癖みたいなものだが、ハンター経験があるならこれくらいは常識だ。特にダンジョンの中ではな。
その上で視線はわざと上半身に固定して、相手の足元や動き出しには無警戒を装っている。葵ちゃんからすれば、いまの俺は油断しまくった馬鹿に見えるのかもな。
だが、それでいい。警戒心を解くのがこっちの目的だし、もし俺を力づくで撃退しようって腹なら、それは無駄な試みだ。
いつも思い出すのは、約10年前の南新宿ダンジョン第二十七階層のことだ。あのデーモンナイトの群れに囲まれた時だって、普段からこうして鍛えた技で切り抜けた。
視線で威嚇して上段に注意を引きつけ、一気に下から薙ぎ払う。あの時は3体ものデーモンナイトを片付けてやったもんさ。俺の得意技だ。
葵ちゃんもダンジョンで暴れまわって、そこそこ自信はあるんだろうが、実戦経験じゃ俺には到底敵わない。
ブランクはあっても中堅クラスの元ハンターと、新人の差は絶望的だ。現に、目の前の女の子の立ち姿からは一切の脅威を感じない。俺からすれば素人同然だ。
特殊な花やしきダンジョンとは言え、ダンジョン内であそこまで無防備に見えることが初心者であることの証明にもなっている。
パンチングマシンの結果は、おそらく驚異的な打撃系スキルによるものだ。そのスキルでさえ、せいぜい中層のモンスターが放つ威力程度と考えられる。最悪、食らったとしても俺の防御スキルを抜けるはずもない。
そんなことを考えている間に、この子と模擬戦やろうという話になった。
へへ、まんまと罠にはまっちまったな。トレーニングなんて自信があるからこそ言ったのだろうが、俺の想定どおりの展開だ。悪いな、葵ちゃん。
模擬戦では当然、素手を選ぶ。スカウトしたい相手に武器を使うなんて論外だし、これも戦術の一環だ。元々格闘術が得意分野だしな。
あれは9年ほど前だったか。仲間内での対人戦では無敗を誇った時期もある。俺はダンジョン内での模擬戦なら負け知らずだった。
相手の呼吸を読んで、その瞬間の隙を確実に突く。周辺視野を広げて、全身の動きを観察するんだ。ちょっとでも重心が動いた瞬間を見逃すまいってね。俺は葵ちゃんが思っている以上に、それも圧倒的に強いぜ?
「もちろん。いつでもどうぞ……へへ、俺ってラッキー」
葵ちゃんは警棒を使うのか。やはり打撃スキルだ。完全に想定内になったな。ますます俺の勝ちは揺るぎない。
しかもだ、警棒は軌道が読みやすい。いくら威力があっても、俺の防御スキルを抜くことはないし、想定以上の威力があると思ったら避ければいい。
まあ、葵ちゃんはほぼ素人だ。戦い方は単純に決まっている。
警棒の振り下ろしなら上段受けから捕まえて極め技、横薙ぎなら体を沈めて懐に潜り込んでもいい。動きが遅ければ、武器を振る前に掴んで投げ技を使うのありか。俺としては怪我をさせないよう、気を付けることが大事になる。
いずれにしろ、問題なく勝てる。取りこぼしは絶対にありえない。
模擬戦が始まり、余裕をもって待ち構えた。
――妙だ。何か、おかしい。
葵ちゃんが一見、無造作に足を進める。その動きに強烈な違和感を覚えた。
右足が少しだけ斜めに出る、これは右からの攻撃か?
視線は……どこを見ている? フェイントか? 俺も体の向きを整えて、どこからの攻撃にも対応できる態勢を――。
おい、待て。呼吸が読めない。
それにまさか、この子、完璧な重心移動をしていやがるのか?
ただ歩くだけの、その一歩にさえ無駄がない。常に最適な重心を保っている。まるで流水のように自然で、かつ予測不能な動き。
見た目は少々アホっぽく、そこに可愛げのある少女なのに、一挙手一投足が死神の舞のように美しく、ハンターとしての勘が危険を告げている。なにより、目を奪われる。
嘘だろ、意図してやっているなら、これ、達人の域だろ。
さっきまでの素人みたいな立ち振る舞いはなんだったんだ。全然、別人じゃねえか。
気がつけば目の前にいる。
速かったわけじゃない。歩く姿に目を奪われ、集中を乱され、いつの間にか攻撃を受けそうになっていた。
警棒が振り下ろされた瞬間、俺のすべての経験や常識が木っ端微塵に砕け散った気がした。
なんだ、この威圧感と振り下ろしの速度は。
動けない。レベル28の俺が、何もできずにやられそうになっている。
意識とは別に、ギリギリで本能が体を動かす。
筋肉の緊張が極限まで高まり、とっさに受けに入る。培ってきた危機への対応が、自然と行動になって表れてくれた。
デーモンナイトのイレギュラー、そいつとの死闘で会得した、スキルを使った完璧な受けの態勢。
これなら――しかし、上げた腕の骨が砕けたのが即座にわかった。痛みで目が眩み、汗が噴き出す。
おい、待ってくれ。
こんなの、レベル18の少女の腕力じゃねえだろ。この威力、どんなスキルだよ!
意味不明な恐怖に呑まれかけた意識が、強烈な痛みでいつもの俺を取り戻させてくれた。
くそっ、こうなったら横に回り込んでどうにか――気づいた時には腹への一撃をくらっていた。
ヤベえ、ヤバすぎる。
この一撃、力の入れ方が完璧すぎる。殺すつもりの深い打撃とは違うと思えたが、力の伝達効率が尋常じゃない。
葵ちゃん、何者なんだよ。天使が悪魔の爪で、俺の体を引き裂いているかのような妄想が頭をかすめる。
いや、まだだ。やられてたまるか。このまま倒れて転がり、一度距離を開ければ――。
顔面に衝撃。一瞬、意識が飛んだ。
これは鼻が砕けて、歯も吹っ飛んだのか?
腹を突かれたダメージもあって息がしにくいが、無理にでも呼吸を保つ。
完全に予想外の展開ながらも、レベル28の俺は冷静に状況を俯瞰できる。この土壇場で開き直れたのかもしれない。
葵ちゃん、ヤバすぎるな。一連の動きに、無駄がまるでない。強すぎる。
集中しないと意識が落ちそうになる。痛覚鈍化のスキルがなかったら、いまので完全にアウトだった。
だが、まだだ。まだ立て直せる。昔は何度も死線を潜り抜けてきた俺だ、半死半生で生還したことだって一度や二度じゃない。この程度で倒れるわけにはいかない。もはや意地とプライドの問題だ。
しかし、何もかもが追い付かない。背後に回り込まれ、激しい衝撃が体を襲う。
ああ、これは肩甲骨が折れた。完全に読まれている。視線や筋肉の動き出しどころか、呼吸のリズムまで読み切られているとしか思えない。
意識が遠のく中で理解した。
アイドルになれ、なんて口説こうと思っていたのは間違いだった。
この一見すると、か弱そうな少女は戦闘の天才だったんだ。しかも自分の才能の異常さに気づいている様子もない。
アホっぽい天使のような笑顔の下に潜む悪魔の本性。いや、それすら違う。人智を超えた何かだ。これこそが本物の化け物ってやつなんだろう。
俺が見破れなかったように、ほかの奴らもおそらく誰も気づいていない。能天気な笑顔の裏に隠された真の姿に……。
いくらブランクがあってもだ。俺の10年以上に渡る実戦経験も、研ぎ澄ました戦闘センスも、この怪物の前じゃ児戯に等しかった。
かつて俺が誇りにしていた技の数々は、この化け物の前では、まるで子供の遊びのように見えたに違いない。ここまでの差を見つけられては、もう腹も立たない。いっそ清々しいくらいだ。
最後に見えたのは、獲物を見下ろす冷たい眼差しだった。その瞳に映る俺の姿など、記憶にも残らん雑魚同然なんだろうな。
こいつは、マジでやべえ。
待てよ。俺、生きて帰れるのか……?