【Others Side】ダンジョン管理所の一幕
【Others Side】
真夜中の東中野ダンジョン管理所には、重い空気が満ちていた。
普段なら職員が飲むコーヒーの香りが漂う静かな時間帯だが、今夜は血と汗の臭い、そして焦りや不安、緊張感が漂っている。
緊急で呼び出された当直の医務官が、ダンジョンの転送陣付近で怪我人の様子を診ていた。
そこにはひどく装備を破損し、苦悶の表情を浮かべたハンターが横たわっている。さらにその仲間や、暇を持て余した警備員などが集まり騒然としていた。
しばらくすると医務官の男がホッとしたように息を吐く。
「ひとまず、これで大丈夫です。しかしポーションで傷は治りますが、体力までは戻りません。経過を見たいので、目覚めるまでは念のため医務室で寝かせておきましょう。ほかの怪我人も手当するので、治療が必要な方は一緒に医務室まで来てください。それともポーションを使いますか?」
「いや、ポーションはもういいです。すでに手持ちのやつを四本も使っちまって在庫がないし、買うにしても大赤字ですよ。俺らは普通の手当てでお願いします」
ポーションとは、全治三か月程度までの怪我であれば、即座に癒すことが可能なダンジョン産の魔法薬のことだ。
また単に「ポーション」と呼称される魔法薬は、そうした程度の怪我を癒す効果やランクのものを意味し、さらに効果の高いものや、怪我を癒す以外の効果を持つポーションも存在した。
一般的なポーションの取引価格は、需要と供給などにより若干の変動があるが、おおよそ一本あたり20万円が相場となっていた。
このハンターのパーティーは手持ちの四本に加えて、ダンジョン管理所のものを一本買い取っているので、およそ100万円の出費を強いられたことになる。
「わかりました。では行きましょう」
気絶したままのハンターを担架に乗せて、その仲間と医務官が移動を始める。そこにダンジョン管理所受付係の橘がやってきた。
「ねえ、何があったんですか? 今日はいつもの第十五階層に行くって言ってましたよね。誰か事情を聞かせてください」
「じゃあ俺が。俺は大した怪我してないし」
「頼んだ。橘さん、まずはこいつから聞いてくれ。俺らも手当してもらったら、そっちに行くから」
橘と説明役を買って出たハンターがロビーに移動すると、そこで事情聴取が始まった。
「何があったんです? 第十五階層なら慣れたものですよね」
「ああ、途中まではな。いつものようにストーンゴーレムを倒しながら、どんどん奥に進んでいったんだ」
「それがどうして、あんな怪我人が?」
「見たこともないゴーレムが出やがったんだ。ストーンゴーレムとは明らかに違う、黒光りする金属質のゴーレムだった」
「黒光りで金属質?」
「そうだ。大きさは少しでかいくらいだったが、感じる魔力の威圧がケタ違いだ」
聞いたことのないモンスターの情報に、橘の眉間にしわが寄った。
東中野ダンジョンの記録については、ひととおり確認しているはずの橘だったが、第十五階層どころかその他の階層にもそのようなモンスターの記録はなかった。
東中野ダンジョンの特徴として、第十階層以降からはしばらく、ゴーレム系のモンスターばかりが出現する。ゴーレムは非常に高い耐久力があり、倒すには武器の消耗が激しく狩りの対象としては人気がない。
これは東中野ダンジョン自体に人気がない理由のひとつであったが、逆にゴーレム系に特化した武器やスキルを持っている少数のハンターには人気があった。
「……レアモンスター、ということですか? しかし第十五階層のレアモンスターは、そんなモンスターではなかったはずですよね」
「ああ、そうだ。あそこのゴーレムは通常は白っぽい灰色なんだが、レアは紫がかった色で防御力がかなり高い。だが俺らなら問題なく倒せる。あんな黒い金属質のゴーレムなんて見たこともないし、聞いたこともなかった」
「ではイレギュラーモンスターに遭遇してしまった、ということですか」
滅多に見ることのできない特別なモンスターが出現したという例は、全国のダンジョンで毎年何件かの報告が寄せられている。非常に珍しい事態ではあるが、そうした現象と納得することはできた。
「それがどうにもおかしいんだ。俺らは黒いゴーレムがヤバいモンスターだと思って、すぐに逃げ出した。だが、逃げた先にもそのゴーレムがいやがったんだ。道を変えて逃げた先にもだ。そこら中にあれがいやがった!」
興奮した様子で話すハンターだったが、自分の声の大きさに気づくと一度大きく息を吸って仕切り直した。
「結果的になんとか転送陣に逃げ込めたが、その前に一度やりあう羽目になっちまって、あのザマさ。あれは中層のモンスターの強さじゃない。いったい何がどうなってんのか、こっちが教えてもらいたいよ」
「こちらで調査します。その前に可能な限り、その黒いゴーレムについてわかっていることを教えてください」
怪我の手当を終えたほかのハンターが合流し始め、橘は複数人へ事情聴取を丁寧に行った。
橘はハンターたちを見送ると、足音が遠ざかるのを確認してから携帯を手に取った。
時計を見ると午前三時を回っていたが、迷いなく所長の番号を押し、報告を行った。
「――わかりました。現在、ダンジョン内にハンターは?」
「いません」
橘は即答した。
「ですが、イレギュラーモンスターの件はどうしましょう?」
「早急に対処します。朝までの処理が望ましいですね」
所長の声にはきっぱりとした強さがあった。さらに所長は続ける。
「実は、ちょうどいい話がありまして。『天剣の星』の連中が都内に来ているんです」
「え!」
思いがけない話に、橘の声が思わず上ずった。
「あの『天剣の星』ですか?」
日本でも五指に入る実力を持つクランの名に、橘は息を呑んだ。ハンターの集まりであるクランの中でも、『天剣の星』は別格の存在だった。その名を口にするだけで、緊張感が生まれるかのようだ。
「その『天剣の星』だと思いますよ。私はほかにその名のクランを知りませんが」
「えっと、彼らに動いてもらえそうなんですか?」
「三人ほど暇を持て余していると聞いています。彼らなら、このイレギュラーも片付けられるでしょう」
所長の声からは確信が感じられる。それに橘は安堵を覚えていた。
突発的な事態など滅多にない東中野ダンジョンではあったが、所長の判断を疑うようなことはこれまでになかった。
「大急ぎで向かわせます。橘さんはそのまま待機を。他のハンターが来ても、今夜は立入禁止です。私もすぐに現場に向かいますから」
「はい。ところで……」
橘は少し言葉を選びながら続ける。
「所長とクランの方々って、どういう関係ですか?」
「昔の知り合いですよ。私も彼らもまだ若かった頃の」
所長の声が柔らかくなる。
「長くこの仕事をしていれば、そういった縁も育つものです」
クランの創設にはいくつかの厳しい条件があったが、代わりに行政からの手厚い支援が受けられる。
ハンターが個人的な活動をすることよりも、クランとしての組織的な活動を奨励し、また切磋琢磨させることで、ダンジョン資源の獲得に大きく貢献させることができる。
クランとはそうするための制度のひとつであった。ダンジョン資源の安定確保には、ハンターの組織的な活動が不可欠という判断がある。
「他に気になることは?」
「あ、そうでした」
橘は手元の記録を確認しながら声を弾ませる。
「今日、新人の女性ハンターがデビューしたんですが、この子が持ってきた魂石が全部高品質でして」
「待ってください」
所長が静かに遮る。
「新人で、女性で、ソロ。そして高品質の魂石ばかり?」
「はい。スキルの影響みたいなんですが」
「橘さん」
所長の声が急に真剣味を帯びる。
「その件は、できるだけ口外しないように。詳しい話をあとで聞きます」
「は、はい」
突然の口調の変化に、橘は思わず背筋を伸ばしていた。
通話を終えた管理所に、また静寂が戻る。しかし今度は、ただの深夜の静けさではなかった。『天剣の星』到着までの、重苦しい待機の時間が始まろうとしていた。
基本的に主人公の葵視点で物語は進行しますが、時折こうして別の視点で物語を補強することがあります。
サブタイトルと冒頭に【Others Side】と書いてあった場合には、葵以外の視点です。わかりやすいですね!
別視点の頻度は多くならない予定ですが、その時点の葵では知り得ないことや、裏で起こっていたちょっと気になる話など、そうした内容になっていると思います。
また、本作は土日の更新はしないつもりでしたが、この序盤に限り更新します。早く続きを読んでいただきたく、そんなとてもピュアな心意気です。どうぞよろしくです。