社会勉強のお時間
丁半博打を始めてから、どれほどの時間が経っただろう。
私はめちゃくちゃ調子に乗っていた。
「ふはははっ、今日はツイてるわー!」
元手の50万からちょこちょこ増やしていき、木札はもう手では持ちきれないくらいに増えている。
いくら儲けたのかよくわからないくらいだ。たぶん少なくとも200万くらいはいっていると思う。
ホントはどかんと全ベット! みたいなことをやりたかったんだけど、どうやら丁と半でいい感じに客が賭けた木札が釣り合うように調整しているらしい。
だから毎回、少ないほうにもっと賭けるように言われるし、どうしても片方が多すぎる場合には減らすように言われてしまう。
いい感じに分かれて勝負が決まったら、負けた方の木札が勝った側に分配されるわけだよ。
胴元は毎回毎回、手数料として木札を少し持っていくから、あれで儲けているんだね。誰も文句を言わないことから、決められた割合で回収しているみたい。
この仕組みなら胴元が損をすることはなく、それゆえにイカサマが発生しにくいということなんだろうね。たぶん。
さて、丁半博打は思いのほか面白かったけど、やっぱり私はどかんと全ベットして一気に大儲けがしたい。
それがロマンなんだよ。
「お客さん、調子いいですね。さすがは谷村の兄貴のダチですよ」
私の後ろにはずっとチンピラっぽい兄ちゃんのタカシがついてくれている。今日はずっと私をエスコートするつもりっぽい。谷村とかいうおっさんのダチと誤解されているから、特別待遇になっているんだね。
小娘の私がひとりでいると、変な奴に絡まれそうだからって理由もあるのかな。
「まーね! でもそろそろ別ので遊びたいわ。移動していい?」
「もちろんです。で、なにがいいんです?」
靴を履いて少し歩き、目当ての場所を見つけた。
「あれ、ルーレットやりたいわ」
「わかりました、案内します。あっちのテーブルのほうは木札じゃなくてチップが必要になるんですが、現金か木札か、どっちと交換します?」
「じゃあ木札を全とっかえで」
「待っててください」
付き人のお陰で楽々だね。
待っていると、タカシがカラフルなチップを持ってきてくれた。思ったより量が少ないけど、一枚あたりのチップの値段が高いようだ。
でもこれこれ、このチップがカジノって感じなんだよ。
「よっしゃよっしゃ、全ベットしてやるわ!」
「お客さんまさか、一気に全部賭けるんですか?」
「あたぼーよ! それでアタリを引くのがロマンなんだからさ。一点賭けよ、一点賭け!」
「さすが谷村の兄貴のダチですね。とすると、赤黒どっちかの一点賭けじゃなくて、ストレートアップ狙いですか?」
はい? ストレートアップ?
えっと、赤か黒に賭けるつもりだったんだけど、それじゃなくて別のやつがロマンだって言ってる? もしかして?
「あー、ええっとー、ちなみにストレートアップ? の倍率ってどんなもん?」
「その辺は普通のカジノと変わらねえです。数字ひとつに賭けて当たれば、36倍になりますね」
そんなんあるの? マジかよ。
「ほほう。ちなみに私のチップっていくら分になったん?」
「お客さんのは238万円分のチップになってます。それ全ベットで当てられちまったら、ウチも商売あがったりですよ。ははっ」
「もし当たったらさ、どのくらいになる?」
「そうですね……8,000万とちょっとくらいですかね」
ふおおー、それは熱すぎる。
今日の私はツイている。勝てる、勝てるぞ!
勝てば一気にタワマンが近づくぞ!
丁半博打で遊んでいる間にも客が増えたらしく、謎のカジノの人口はさらに増えていた。
賑わう人の間を抜けてルーレットの卓に加わる。
パッと見ただけで、大体ルールはわかった。チップをテーブルの上に書かれた数字の上に置くだけでいい。簡単だ。
「……ふいー、いくぞ」
カラカラと音を立てて、小さな球がルーレットの外周を回っている。
私はただ無心に、厳かな気持ちでチップを置いた。当然、全ブッパだ。
運命の数字は17。
特に理由はない。なんとなくだ。
ここに至って私の心は澄み切った秋空のように、曇りなく晴れやかだ。
まさに明鏡止水の境地。どす黒い欲望とは無縁、お金などいらない。
私はただ勝負に、運命に勝ちたいだけ。
さあ、いざ勝負!
ルーレットを回る玉の勢いが少しずつ落ちていく。
やがて外周の溝から転がり落ち、数字の書かれた盤面を転がり始める。
ここからだ。
転々と赤と黒のポケットを移動し、収まる数字を変えていく。
慌てることはない。私の心は静謐を保ち、ただ運命に身を任せている。
そして信じている。必ずや17に転がり込むのだと。
やがて転がる勢いもなくなり、白い玉が黒と赤のポケットの間をじらすように転がり、運命の数字へ――。
「うおおおーーー! こいこいこいっ」
知らず知らずのうちにテンションが上がって、勝手に声が出てしまう。
私の高まりまくったボルテージに釣られたように、周囲のおっさんおばさんたちまで、勝手に盛り上がっている。
こ、これは! き、きたか、きちゃうのか!?
いま、まさに17のポケットに!?
と思ったら電気が消えて真っ暗に。
なにごと? まさかの停電?
びっくりしていると、非常用なのか小さな明かりが点灯した。
「オジキ、ガサ入れだ!」
「馬鹿野郎、でかい声出すんじゃねえ!」
うええ? もう、なにごとよ?
騒がしくも楽し気な空気が、停電によって困惑に、そしておっさん声によって一気に凍り付いた感じに変化したのがわかる。
怒鳴りあったおっさんたちが、今度は隅っこに移動してコソコソと話している。それを手早く終え、戸惑う私たち客のいるほうに向き直った。
「お客様方、大丈夫です。サツがこの部屋を嗅ぎつけるまで、しばらく時間がかかるはずです。いまの内に移動すれば問題ありません。ご案内しますので、落ち着いてください」
ちょっと、ちょっと待っておくれ。
サツって警察だよね。え、ヤバイじゃん。
「ほ、本当に大丈夫なんだろうな」
「いいから早く移動しましょう」
「捕まるなんて、ゴメンよ!」
「大丈夫です、大丈夫ですから落ち着いて。おう、裏口開けろ!」
「はい!」
「タカシ、悪いがあのこと頼むぞ」
え、タカシ? なにすんの?
「わかってます。見つかってもなんとか誤魔化しますよ」
「さすがに誤魔化せねえし、おとがめなしとはいかねえよ。悪いな、タカシ」
「いざって時には俺が勤めに行くって、これは決まってたことですから。兄貴たちは気にしないでください。その代わり、放免した時には盛大に祝ってくださいよ」
「ああ、嫌ってくらい遊ばせてやる」
なんなん、なんなん急に。なにを言ってんの?
タカシは横で見ていた私に気づくと、こっちにもなぜか一礼した。
「お客さん、こんなことになっちまってすんません。谷村の兄貴に会ったら、よろしく言っといてください」
「お、おう」
我ながらしどろもどろに返事をしたところで、急かれて移動した。
半ば呆然としながら薄暗い地下通路を歩く。途中で客の群れがばらつきつつ分かれ、いくつかの扉を抜ける。そうした先はどこぞの商業施設っぽいビルのテナントの中だった。
私と一緒に移動したほかの客は、こんな事態を想定していたのか慣れているのか、何食わぬ顔でそれぞれ去っていった。
ひとりになると、なんだか白昼夢でも見ていたような気分だ。この辺は停電もしていないようだし。
ボケっとしていても仕方がない。私も帰ろう。
「あ、お金……」
振り返ってみれば儲けどころか、元手の50万も消えてしまったじゃねーか。
ふつふつと怒りがこみ上げる。
ああああああ、ふざけんなー!




