精神的地元になっていく練馬
千葉の田舎から練馬に戻ったら、結構な時間になってしまった。
早めに移動したはずなのにね。もう夕方のいい時間だよ。今日の私はいったいなんだったんだよ。
勇者は詐欺だったし、ドブには落ちたしさあ。なんなんだよ、まったくもう。
「誰かいるかなー」
みんなに連絡して、誰かいたら一緒に晩メシ食べたいね。
私は立派な成人女性だから、別にひとりでもいいけど、どうせなら楽しく今日を終わりたいよ。
にぎやかな商店街の道の端っこで、スマホを取り出したら、
「葵姉はん」
「うおっ、ツバキじゃん」
「よお、葵。いまからメシか?」
「まゆまゆも! うん、花園の誰かいないかなーって思ってたところだよ」
「みんな今日は遅なるって、メッセージきとった」
グループメッセージ? いまから見るところだったけど、そうなんだね。
「ふたりは食べたの?」
「いや、いまからだ。つばきが行きたいって店でよ。こってり系のラーメン屋だ」
「そんな店あったっけ?」
すでにここらの食べ物屋さんは制覇したはずだけどね。こってり自慢のラーメン屋はなかった気がする。
「昨日、オープンしたばっかり」
「なるほど。それは行くしかないわ」
練馬を根城にする私としては、チェックは欠かせないよ。
歩きながらインチキ勇者の文句を聞いてもらおうとしたら、思ったより早く目的地に着いてしまった。
着いたんだけど、店からちょっと離れた場所で様子を見ることにした。
「つばき、あの店でいいのか?」
「そう、なんやけど……」
店の前でいかついおっさんが仁王立ちしている。
背が高くて見るからに筋肉がモリモリで、そんなオヤジが腕を組んで通行人をにらんでいる。でも特徴的なTシャツとエプロン、それに頭にタオルを巻いたスタイルから、どう見てもラーメン屋のオヤジだ。あれでラーメン屋じゃなかったら、だいぶ頭おかしいわ。
それにしてもだよ。
「なにやってんだろうね」
「さあな。本当にあの店、やってんだよな? 一応、看板も暖簾も出てるけどよ」
「うち、ラーメン気になる……」
「食い逃げした奴でもいたのかな。とりあえず、行ってみる?」
「そうだな」
まゆまゆを先頭にオヤジに近づいて行くと、めっちゃにらまれているのがわかった。なんだよ、あいつ。
オヤジの目の前に立っても無言のままだよ。
「あー、この店やってんだよな? 入れるか?」
仕方なくまゆまゆからオヤジに話しかけると、オヤジはやっと表情を変えた。なんかちょっと嬉しそう。
「客か。いらっしゃい」
オヤジはぶっきらぼうにそれだけ言って、背中を向けて店に入った。
通行人をにらみまくって、あのオヤジったらなにやってたんだよ。不思議に思っていたら、ツバキが店に入ったんでそれに続く。
ツバキはテーブル席には目もくれず、カウンター席に座ったもんだから、私とまゆまゆもその横に座る。わかっていたけどね、店の中に客はいない。
そしてオヤジがカウンター越しに無言で私たちを見下ろしている。さっきからなんなんだよ、こいつ。
まあいいや。お腹減ったし、とりあえずは注文だね。
「ツバキはなんか食べたいのある? 私もそれにするわ」
「うちも初めてやから」
「そうだな、マスター。おすすめがあれば教えてくれ」
まゆまゆがオヤジに聞いてくれた。
「ウチはなんでも美味いが、一番は濃魂スペシャルだ。どうせならこれを食べていけ」
すごい自信だよ。どうせならとか言いつつ、絶対に食えって感じが伝わってくるわ。
でも濃魂スペシャルと言われても、どんなラーメンか全然想像できない。あ、メニュー表にはでっかく、ドンと名前だけ書いてあるわ。
ほうほう、1,200円か。ラーメンにしてはそこそこ強気なお値段だね。
庶民の魂を持つ私としては、オプションなしでの1,000円越えはちょっとハードルの高さを感じてしまう。
「そっちの張り紙に書いてあるが、背脂の量は3段階、麺も400グラムまでは好きに選べ」
え、よくわからんけどそれはお得じゃん。
「私、背脂も麺も一番すっごいやつで!」
「うちも」
「じゃあ、アタシもそれで頼む。あとビールな」
「あいよ」
オヤジがニヤリと笑って背中を向けた。
ひとりで手際よく準備を進めていく様子をなんとなく目で追ってしまう。動きが機敏で見ていて気持ちいいね。
こいつ、只者じゃないわ。
「店の名前は濃魂軒か。こってりの極みを魂で味わえ、だってよ」
「……世界一の、こってりラーメン」
オヤジから目を離して店内を見回してみれば、そんなポスターが貼ってあるね。ホントに意味わからんけど、なんかすごそう。
そういや意外な方向で綺麗な店だね。オープンしたばっかりだから綺麗なのは当然だけど、内装がちょっとおしゃれなんだよな。
いかついオヤジや無骨なメニューの感じとは、雰囲気が全然違う。逆に昭和感丸出しの、ちょっと汚い感じのほうが似合ってそうだけどね。そっちのほうが客が集まりそうな気がしてしまうわ。
あれこれと気にはなりつつも、やっぱりオヤジの機敏な動きが気になってずっと見てしまった。
そうしているとラーメンが完成した。
「お待ち」
ドンと置かれたどんぶりの中身はすごい量だ。
厚切りのチャーシューといっぱいのネギ、それと半熟たまごが乗っている。箸を突っ込んで具の下に隠れた麺をすくいあげてみれば、超ドロドロのスープがこれでもかと絡みつく。
うおー、なんかテンション上がってきたわ。
「……濃厚や」
「ああ、見るからに濃いな。濃魂スペシャルの名前に偽りなしってか?」
間違いないけど、濃すぎだろ。このスープはもうちょっとで、液体じゃなくなりそうな勢いだろ。
なんにしても味が大事。見た目はインパクトあるけど、味がそのインパクトに負けたらダメだよね。それにしてもだよ。ドロドロが絡みついて、麺からあんまり流れ落ちないんだけど。
まあ匂いはいいね。めっちゃ美味しそう。
見た目はインパクトありすぎで、ちょっと怪しい感じだけど匂いはいい。とにかく、ひと口……。
私たちは思わず顔を見合わせて、あとは無言でラーメンをむさぼり食った。
「――ごちそうさま」
「いや、こいつは美味かったな。びっくりしたぜ」
「ホントだよ。この店は練馬の新たな観光スポットになるよ」
マジですごいわ、このラーメン。
見た目も味も超濃厚なんだけど、意外なことに後味がスッキリしている。
こういうのって、どんなに美味くても1回食べたらしばらくはいいやってなりそうなのに、もうまた食べたいって気持ちになっている。
なんでだよ、意味わからんわ。
「今度はみんなで来ようよ! ツバキ、ナイスな発見だよ」
「だな。美味い店にしても、まさかここまでとは思わねえ」
「うち、いい仕事した」
「……お前たち、また来てくれるのか?」
「え? まあ、美味しかったしね」
いかついオヤジが目元をこすっているよ。ウソだろ、まさか泣いてんの?
「おいおい、どっか具合でも悪いのか?」
「すまん、そうではない。そうではないが……ひとつ、聞いてもいいか」
「あー、まあアタシらで答えられることならな」
なんだよ、ちょっと怖いわ。なにを聞かれんの?
「恥を承知で聞く。この商店街は人が多い。普通、オープンしたばかりの店はそれなりに客が入ると思うのだが、なぜ俺の店には人が来ない? 朝からずっと待っていたが、お前たちが初めての客だ」
は? なに言ってんだ、こいつ。思わずみんなで顔を見合わせてしまったわ。
「あのよ。さっきアタシらが来る前、店の前でなにやってたんだ?」
「見ていたのか? ならばわかるだろう。呼び込みだ」
いやいやいや。
「全然、呼び込んでなかったじゃん。突っ立って、にらんでたよね? どこが呼び込み?」
「そんなことはない」
そんなことあるわ!
「俺は元々ハンターで、日本一を目指していた。だが才能に恵まれなくてな。5年ほど前に引退してから、ずっとラーメン作りの武者修行をしていた。そしていまではラーメン屋で日本一を狙っている。だから少しでいい、力を貸してくれ!」
「いや、本格的に力を貸すとなりゃあ、まとまった時間がいる。アタシらもハンターでよ。これでもランキング上位を目指してるから暇じゃねえ」
まったくもってそのとおりだね。暇だったらチラシ配りとかしてあげてもよかったけど。
「そうだったのか。無理を言ってすまなかった」
「だがまあ、せっかくの縁だ。ちょっと待て……そうだな、アタシからもひとつ聞くが、あんた金に余裕はあるか?」
「ハンター時代の蓄えがある。まだしばらくはやっていけるはずだが、そうだったな。力を借りるなら、謝礼は払おう」
「そういうことじゃねえ。アタシから言ってやれるのは、とにかく接客担当のバイトを雇え。愛嬌のある奴がいい。あんたはひたすらラーメン作って、表に立つな。それだけで上手くいく」
おお、これ以上ない的確なアドバイスだよ、まゆまゆ。
「バイト?」
言われてもわかってなそうだったオヤジに、まゆまゆがあれこれビシッと言ってやっていた。
練馬が盛り上がるに越したことはないからね。なんでか私の気合も入った。
オヤジよ、花園と一緒にがんばろうではないか!