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ヒーロー  作者: 鳴宮琥珀
9/23

14

 あの日、上級生に囲まれた悠佑を見た時、この子を守らなきゃという庇護欲が芽生えた。同じクラスの槙谷悠佑。たまにクラスで話す程度で、違うグループにいたため、クラスメイトということ以外に、特に悠佑に対しての印象はなかったし、興味もなかった。ただ、害のなさそうな優しそうな子だと思っていた。


 あの日は、担任の先生に呼びだされて話をしていたら、だんだん雑談になっていき、遅い時間に帰ることになった。ただ、幸か不幸か悠佑を見つけることができたのは、自分のコミュニケーション能力のおかげだろう。下駄箱に向かう途中、廊下を歩いていると、中庭で一人の男の子がうずくまって土で汚れているのが見えた。すぐに悠佑だとは気づかなかった。その男の子の目の前には、明らかに上級生の男子が三人、偉そうにしたり、踏みつけたり、笑ったりしていた。何を話しているかは聞こえなかったけれど、彼が一方的にやられているのは確実だった。


 樹は急いで職員室に駆け込むと、ノックもせずに担任の先生を呼んで、再び一人で中庭に走り出した。それからは悠佑も知っているとおりだ。

 この日から、樹は悠佑が気になってたまらなかった。それは恋ではなく、あくまで庇護欲だ。悠佑はどこか儚い印象があって、ちゃんと見ていないと消えてしまいそうだった。樹は悠佑から目が離せなくなっていた。


 お互いの家にも行き会うほどの仲になり、その頃には純粋に悠佑のことが友達としてとても大切な存在となっていた。美奈さんに会ったのもその頃だ。当時中学二年生だった美奈さんは樹にとって、とても大人の女性に見えた。それは美奈さんが周りと比べて落ち着いていて大人びていたのも相まっていたのだと思う。恋というより憧れの気持ちが強くて、悠佑の家に行って美奈さんに会えた時はドキドキが止まらなかった。



 六年の修学旅行明けの学校でそれは起こった。

 黒板に書かれた文字を見た時は、理解ができなかった。でも、誰にも庇われることなく、一人うずくまっている悠佑と、あの日中庭での悠佑が樹の中で重なって、再び庇護欲が出てきた。


(俺が、俺が悠佑を守らないと)


 謎の使命感にかられた。夏目が、悠佑が自分を好きだと言っていたけれど、その時は正直それどころじゃなくて、あまり深く考えられていなかった。

 悠佑と樹はクラスから孤立したけれど、悠佑が樹を頼ってくれているのが嬉しかった。どこかで、悠佑には自分しかいないんだという優越感に浸っていたのかもしれない。


 引っ越しが決まったのは、修学旅行が終わってしばらくしてからだった。母には自分から悠佑に言うから、誰も言わないでおいてほしいと、お願いした。けれど、いざとなると言い出せなかった。それに、この状況の中で悠佑を一人にするということは、悠佑を裏切ることになるんじゃないかと怖かった。


 それでも時間は待ってくれない。あっという間に卒業式になってしまった。卒業式の後、ご飯を食べに行ったけれど、これから話さなければならないことに緊張して、あまり味が分からなかった。悠佑の反応は予想していた通りだった。でも、引っ越し当日には会いに来てくれて、また必ず会えると信じてお別れをした。



 中学は友達がたくさんできて、それなりに楽しい学校生活が送れていたけれど、頭の片隅にはいつも悠佑がいた。心配でたまらなかった。何度か手紙を送ったけれど、返事が来ることはなかった。母同士では、やり取りをしていたようだけれど、樹が悠佑と会えることはなかった。


(悠佑は一人ではないだろうか)


 中学はいろんな小学校から集まってくるとはいえ、元凶の夏目も同じ学校だ。夏目が、あの時のようにみんなに言いふらす可能性も高い。悠佑が傷ついていないか、壊れていないか、気がかりで仕方なかった。結局悠佑が樹のことを好きだというのが本当のことなのか、知る由もなく、樹から悠佑に聞くこともできずに曖昧なまま終わった。悠佑がもし俺のことが本当に好きだったとしても、気持ちにこたえられるかどうかは置いといて、純粋に嬉しいとは思う。



 高校は家に近い所を選んだ。しかし、受験を終えてすぐに、向こうに戻ることが決まった。少し遠いけれど、向こうの家から通えない距離ではないことから、受かったのでそのまま通うことにした。この自分の選択が間違っていなかったと、悠佑と再会して思う。


 高校で再会した悠佑は顔はあの頃のまま、だいぶ身長は伸びていたが、それは樹も同じだ。俺を呼ぶ声は変わらなくて、耳がくすぐったい。さすがに運命だと思わざるを得なかった。それくらい、悠佑に会えたことが嬉しかった。


 悠佑から中学時代の話を聞いたときは怒りと安心を覚えた。椎名奈月という女の子が悠佑のそばにいてくれたこと、心から感謝するとともに何となくもやもやした。これは多分、自分だけに懐いていた子が他の人にも懐いているのを見て、もやもやするのと同じだと思っていた。悠佑は小学校の頃よりも芯が強くなっているよう感じた。それを悠佑に伝えたら、とても嬉しそうにしていた。悠佑の成長に少し悲しくて、素直に喜べない自分が憎かった。


 詩と遥人は不思議な二人だった。初めて会ったのに、会ったことがあるような、前から仲の良かった友達のような感じがした。二人と悠佑も同じことを思っていたようで四人はすぐに仲良くなった。樹だけクラスが違うので、授業中は少し寂しかったけれど、それ以外は、四人でいたのでそれは楽しかった。悠佑にそれとなく好きな人がいるか聞いたが、いないと言っていたのが、なぜか少しだけ悲しかった。


 連休中に悠佑の家にお邪魔したとき、美奈と再会した。あの頃よりも、もっときれいになった美奈に、もう一度一目惚れしてしまった。見惚れてしまい、硬直したのを悠佑は変に思ったかもしれない。当時は小学生だったが、今は高校生になったので、もしかしたら少しは意識してくれるかもしれないと思って、アピールすることを決めた。そのことを樹はすぐに悠佑に話した。家族の恋愛事情を言うのはどうかとも思ったが、悠佑に隠し事をしたくなかった。悠佑は動揺していたけれど、応援すると言ってくれた。


 それから、樹は美奈へのアピールを始めた。しかし、樹は早々に美奈に振られてしまう。理由は弟としてしか見たことがないから。予想はしていたけれど、納得できなかった樹は食い下がった。美奈は困っていたけれど、冷たく突き放すこともしなかった。それは樹が悠佑の友達だからだろう。美奈の話は悠佑からよく聞いていたし、家にいるときも美奈と悠佑の仲がとてもいいのが分かる。弟の友達を突き放して、仲がギスギスしたら、などと考えているのだと思った。そして樹はそんな美奈の優しさにつけこんだ。彼女の家族思いなところも樹は好きだった。


 樹はほとんど毎日美奈にアピールし続けたが、美奈が首を縦に振ることはなかった。



 高校一年生が終わろうとしていたころ、樹はある決断をした。学校が早く終わったその日に樹は悠佑の家にお邪魔した。美奈の部屋の前まで行き、ノックする。美奈がドアを開けて驚いた顔をする。


「あれ、樹くん。今日も来たんだね。いらっしゃい」


 まさか樹だと思わずに、一瞬気まずそうな顔をした。

 美奈は上がキャミソール一枚で、下は丈の短いズボン姿だった。樹はどこを見ればいいのか分からず、目をそらそうとするが、本来の目的を思い出して、美奈の顔を見る。


「あの、これから二人で出かけませんか?」


 樹の問いに美奈の身体が引きつる。後ろにいた悠佑に気づいて、さらに困った顔をする。


「……分かった。着替えるから少し待ってて」


 それでも、少し考えた後、美奈は樹の誘いを承諾した。部屋に入って準備を始めたであろう美奈を確認して、樹は悠佑の方を見た。もう覚悟は決まっている。悠佑は俺に頑張れと口パクをして、自分の部屋に入っていった。

 数分後に美奈の部屋の扉が開き、先ほどの露出の多い恰好から、パーカーにジーンズといった動きやすそうな格好に着替えていた。階段を降りる二人分の足音が静かな家に響き渡る。玄関前で美奈が「いってきます」と言ったが、悠佑の部屋からは声が聞こえなかった。


 外に出て、美奈の後を黙ってついていく。美奈はいくつかの角を曲がり、十分ほどの場所にある公園に入った。小学校の時に外で遊ぶと言ったら大体この公園に行った、樹にとって思い出の場所の一つである。美奈がベンチに座ったので樹も隣に座る。


「今日はありがとうございます」


 樹が切り出す。美奈は何も話さない。


「あの、困らせてることは分かってるんですけど、どうしても諦められなくて」


「…」


「美奈さんが好きです」


 これが最後だった。今日無理だったら美奈さんのことを諦めると決めていた。これまでにないくらい真剣に気持ちを伝える。


「…ごめん」


 少ししてから、美奈が口を開いた。


「…」


 やっぱり、意識してもらえなかったということか。


「ごめん。今まで、樹くんを断った理由は嘘ではないけど、本当の理由じゃなかったの」


 続けて美奈が話し出す。


「私、好きな人がいるんだ。誰かは言えないし、絶対に叶わないんだけどね。でも、どうしてもその人以外のことは考えられなくて。これ以上樹くんのことを中途半端にしたくない。樹くんのことはこれからも弟みたいに大切に思ってるよ。だから、」


 そこで一度言葉を区切って、美奈は大きく息を吸った。


「だから、これからも悠佑とは仲良くしてほしい」


「…もちろんです」


 樹は即答した。美奈に振られたとしても悠佑への気持ちは変わらない。


「私のこと、好きになってくれてありがとうね」


「はい…」


 美奈がベンチから立ち上がり、公園から出ていく。樹はその後ろ姿を見つめて、これまでのことを考えた。そしたら何だか目の奥が熱くなってきて、知らぬ間に涙があふれだしていた。誰もいない公園で樹は一人、声を殺して泣いた。どうしようもなく悔しかった。


 少しして落ち着いてくると、悠佑に連絡しようという気持ちになって、スマホを取り出した。こんな顔で再び悠佑の家にお邪魔して、遊ぶことなんてできる気がしなかった。悠佑にメッセージを送信すると、後ろから、着信音が鳴った。びっくりして、後ろを振り返ると、見覚えのある後ろ姿がそこにあった。


「悠佑?」


 樹が後ろ姿に声をかける。その肩が大きく跳ねるのを見て確信した。


「もしかして、聞いてた?」


「…うん、ごめん」


 そう聞くと、悠佑は素直に頷いた。


「そっか、恥ずかしいな」


「そんなことない!樹はかっこいいよ!」


 珍しく弱っている俺に悠佑はそう叫んでくれた。樹を見た悠佑の目は腫れて赤くなっていた。その様子を見て樹は心臓がギュッと掴まれる気持ちになった。


「ありがとう」


 樹はそう言って自然とほほ笑んでいた。悠佑の嘘のないまっすぐな言葉が、樹の胸にすとんと落ちて広がっていった。公園でしばらく話をした後、悠佑と樹はその場で解散をした。


 家に帰ってくるころには樹の気持ちはすっきりしていた。美奈に振られたとき、涙が止まらなかったけれど、よく思い出してみると、美奈が自分の気持ちをはっきり伝えてくれたのはあれが初めてだった。本当の理由を話してくれたことで、ようやく納得ができた気がする。それに何より、悠佑がそばにいてくれたことが大きかった。樹の中の悠佑の存在がもっと大きくなるのが分かった。


 翌日の終業式の日、いつも通り登校をした樹に悠佑は明らかに戸惑っていて、その様子がおかしかった。そして、帰りに悠佑の家に遊びに行った。美奈に普通に挨拶をすると、美奈は驚きを隠せない表情で挨拶を返した。それが悠佑とそっくりで、自然と笑みがこぼれた。悠佑の部屋に入り、並んで腰を下ろしたが、悠佑がまだ混乱してそわそわしていたので、さすがにちゃんと話さないとという気持ちになった。


「大丈夫だよ(笑)」


 俺は笑いながら悠佑に言った。


「でも、だって…」


 悠佑が心配そうに答える。


「俺、昨日色々考えたんだけど、美奈さんが本当の理由言ってくれたおかげでなんかすっきりしちゃってさ。(笑)もう大丈夫なんだ、本当に」


 本心をしっかり伝えると、悠佑も分かったようでほっとしていた。気が抜けたような空気感に変わる。


「ありがとね、いろいろと」


 樹の感謝の言葉に、悠佑はぶんぶんと頭を振る。


「樹は、すごい。樹は、かっこいいよ」


 急に褒められてびっくりした俺を見て、悠佑は失敗したとばかりに顔を赤くして俯いた。


「あははははっ(笑)」


 俺は口を開けて笑った。ツボに入ってしまい、笑いが止まらない。しばらく笑った後、


「やっぱり悠佑といるときが一番落ち着くわ。好きだなぁ」


 そうつぶやいていた。本当にそう思っていた。俺のこの言葉や美奈さんのことで、どれだけ悠佑を悩ませていたか、俺は後から知ることになる。



15

 春休みが終わり、樹達は二年生になった。四人とも同じクラスになり、その中に沖田翼という男子が加わった。翼は、チャラくて女の子が大好きだが、樹と趣味が結構合うこともあり、すぐに打ち解けた。何より、翼には話しやすい雰囲気がある。それは自然と出るものなのか、出しているのか分からなかったが、翼と話すのは気が楽だった。悠佑は最初、翼のことを警戒していたので心配だったが、少ししたらあっという間に打ち解けていたので安心した。



 悠佑の気持ちを知ったのは、高二の秋のことだった。


「そういえば、悠佑好きな人できた?」


 何気なく聞いた一言だった。


「ほら、俺悠佑に協力とか相談とか乗ってもらってたし、次は力になりたいなって思って。悠佑はめちゃくちゃ性格いいし、きっと誰でも好きになるよ」


 褒め言葉だったが、悠佑は嬉しそうな顔はしなかった。まずかったかもと思って、すぐに切り替える。


「俺、応援するから!」


 その言葉が引き金となって、悠佑は言葉を漏らした。


「好き」


「え…?」


「樹が好き」


 思考が停止する。すぐに浮かんだのは美奈のことだった。


「今の本当?」


 黙った悠佑に俺は問いかける。


「うん」


 樹が真剣な瞳で悠佑を見ると、素直に頷いた。


「…ごめん」


 すこし黙り込んだ後、俺が口に出したのは謝罪の言葉だった。


「俺、ずっと悠佑に無神経だった?ごめん」


 俺の謝罪は悠佑の告白に対する返事ではない。


「えっと…」


 悠佑が何とか声を出す。


「美奈さんのこととか…」


「あ!」


 そこからはすらすらと悠佑が話し出した。


「違うよ!そ、それはもともと僕から相談に乗るって言ったんだし、それに好きな人いないって言ったのも僕だし!」


 悠佑は樹を精一杯フォローしてくれていたが、それでも樹の心は晴れなかった。どうして気づけなかったのか、自分を責める。その中で、悠佑のある言葉に樹は引っ掛かった。つまり、あの日、悠佑が好きな人はいないと言ったのが嘘ということだろうか。


「え?てことは、悠佑はいつから俺のことを…?」


 そう聞かれると、再び悠佑は言葉に詰まる。


「………小学校、の頃からずっとだよ。ずっと、樹が好き」


(本当だったんだ。本当にあの頃からずっと俺のことを…?)


 樹はどんな気持ちよりも先に申し訳なさが出てきて、自分の顔がゆがむ。


「ぼっ僕、頑張ってみてもいいかな!」


 そんな樹を見て、悠佑が言った言葉は予想していないものだった。俺はびっくりしたが、それでも悠佑は止まらなかった。


「樹に好きになってもらえるように頑張りたい。もちろん樹が嫌ならやらないけど…」


 最後は自信なさげに声が小さくなっていた。


「嫌とかは、ないけど。……悠佑は、それでいいの?」


「っ!うん!」


「わ、分かった」


 若干悠佑の圧に押されたとも言えないけれど、俺は頷いた。


「‼」


 悠佑の顔が見る見るうちに明るくなる。悠佑は柔らかく、嬉しそうに笑った。こんな悠佑の笑顔を見るのは初めてかもしれない。その不意打ちの笑顔に樹はキュンとする。


(…ん?キュン…?)



 悠佑に告白されてから、学校では特に大きく変わったことはない。告白された日は眠れなかったし心臓バクバクで大変だったけれど、悠佑が普通に接してくれるうちにいつも通りに戻っていった。けれど、学校からの帰り道、悠佑と別れるとき、悠佑は毎日のように自分の気持ちを伝えてくれるようになった。この日も家まで送った俺に、


「樹、すきだよ」


 と伝えられた。悠佑の顔は真っ赤で、恥ずかしながらも頑張って伝えてくれているのが分かる。その様子を見ると樹も恥ずかしくなってしまい、顔が熱くなる。どんな反応をしたらいいのかいまだに分からず、頷くことしかできない。

 告白されることはあるけれど、そのどの感覚にも当てはまらない、今までと違う感情だった。でも今までより、悠佑は生き生きとして、毎日が楽しそうに見えたので、樹も嬉しかった。


 しかし、俺はなかなか返事をすることができなかった。二人の距離が縮まることも離れることもなく、俺はいつも通りに悠佑と接していた。悠佑の気持ちは嬉しいけれど、これが恋なのかはまだ分からなかった。


 どうすれないいのか分からずに、二年生が終わろうとしていたある日、悠佑は翼に呼び出された。そして、その日から、悠佑が、樹に帰り際気持ちを伝えることがなくなってしまった。


 俺は焦った。今更と思われるかもしれないけれど、早めに自分の気持ちを伝えればよかったと後悔した。でもそのことで悠佑を傷つけるのが怖くて言い出せずにいた自分を恨んだ。悠佑はもう樹のことを好きではなくなったのかもしれない。でもそんなこと樹から悠佑に聞けるわけもなく、どうしようもなく日々は過ぎていった。



 悠佑が隣のクラスの女子から呼び出されたのは、三年生になってすぐのことだった。帰ろうとしていた時に、声をかけられた。詩は告白だと嬉しそうに騒いでいたが、樹の心はもやもやしていた。

 声をかけた女子は優しそうな雰囲気で、樹達のクラスでも可愛いと噂されていた子だ。悠佑は告白をうけるのだろうか。自分は恋か分からなくて返事をしなかったくせに、いざ悠佑に恋人ができるかもしれないと考えるだけで嫌な気持ちになった。


 悠佑が教室に戻ってきたけれど、話している声は樹の耳に入ってこなかった。虚空を見つめ、悠佑に声をかけられても上の空なままだった。


 駅までの道のりも、電車に乗ってからも樹は一言も話さなかった。


 俺が口を開いたのは、家に帰る途中の人通りが多い道だった。俺は道の真ん中で歩みを止めた。少し歩いてから立ち止まった樹に気づいて、悠佑も立ち止まる。


「樹?」


 立ち止まったまま動かない樹に悠佑は名前を呼んだ。


「告白、うけたの?」


 直球で聞いた。回りくどい言い方も出来なかった。悠佑はびっくりした顔をしていた。


「あの子と付き合うの?」


 俺は今、眉間にしわが寄っていると思う。自分勝手だと思いつつも、つい表情に出てしまう。


「付き合わないけど…断ったよ?」


「え?なんで?」


 純粋にびっくりし、理由を聞くと、悠佑は訳が分からないと言った顔で混乱している。


「なんでって、好きな人がいるからだけど?」


 その言葉に樹は目の前が真っ黒になる。


(悠佑に好きな人がいる…?)


「え、好きな人?誰?」


 樹は悠佑の肩を掴んでいた。焦りと驚きが入り混じる。


「どういうこと?わざと言わせようとしてる?」


 さっきから、悠佑とうまく会話がかみ合っていない。


「わざとって?悠佑の好きな人が誰なのか教えて欲しいだけだけど?」


「樹だよ!」


 俺は悠佑の叫び声に、肩を掴んだまま固まった。そしてしばらくして、


「え?」


 という間抜けな声を出した。悠佑はやってしまったとでもいうような表情で背中を向け、再び歩き出したので、その腕を樹は掴んだ。


「なに?」


 少しとげのある言い方で悠佑は答えたが、当然の反応だと俺は思った。けれど、ここで引くわけにはいかなかった。


「ごめん、ちょっと来て」


 そういって、俺は悠佑の腕を掴んだまま歩き出した。樹が連れて来たのは、ある公園だ。ベンチの前まで引っ張っていき、悠佑を座らせた後、隣に樹も座った。


「さっきは、ごめん。道の真ん中で」


 歩いていると、だんだん冷静を取り戻していき、自分の感情に任せた行動に反省する。


「ほんとだよ、何だったの?」


 悠佑は不満そうに言った。そんな顔も可愛らしいと思ってしまう。


「その、翼と話した日から、悠佑が、す、好きって言ってくれなくなったじゃん?だから、てっきりもう俺のことは好きじゃなくなったのかと…。いや、俺が返事してなかったのが悪いんだけど!」


 好きという言葉に詰まりながらも早口に言った。恥ずかしくて、顔が赤くなる。すると、悠佑は怒ったように話し出した。


「何それ!僕がどれだけ樹を好きか、知らないでしょ!そんな簡単に好きじゃなくなれるなら、告白なんかしてないよ!」


 何も言えなかった俺は、代わりに顔を真っ赤にして目も大きく見開いた。悠佑も恥ずかしくなってしまったみたいで、顔を赤くして俯く。悠佑の言葉を聞いて、表情を見て、俺は覚悟を決めた。


「あのさ、返事今してもいいかな」


 俺の言葉に、悠佑は頷いた。


「悠佑に告白されてから、ずっと考えてたんだけど…」


 悠佑がごくりと息をのむのが分かる。樹も心臓が今にも口から飛び出そうだった。悠佑は毎日こんな気持ちで、俺に気持ちを伝えてくれていたのだろうか。そう思うと、これから樹が言うことは本当に最低な行動に思えるが、このままいつまでも待たせる方が最低だと思った。


「結果、分からなかった」


 そう伝えると、悠佑は拍子抜けしていた。しかも


「約半年待たせた答えがこれ⁉」


 と叫んだ。樹なりに一生懸命考えた結果だが、あまりに待たせすぎた。悠佑の突っ込みもごもっともだ。


「ごめん…」


 俺が落ち込んでいる様子を見て、悠佑は吹き出した。


「俺さ、悠佑が好きだよ。告白してくれて、もちろん嬉しかった。でも…」


 そんな悠佑の様子に安心しながらも、再び真剣なトーンで言葉を続ける。悠佑も併せて真面目な顔に戻る。


「これが、恋なのか分からないんだ。美奈さんの時とは全然違う」


 悠佑は、黙って次の言葉を待つ。


「でも、大切で、そばにいたいのは変わらない。俺、悠佑にずっと会いたかった。だから、ここからは俺の提案なんだけど…」


 そこで樹は息をついた。


「俺と、お試しで付き合ってくれませんか」


「へ?」


 今度は悠佑が間抜けな声を出し、口が開いたままになる。


「中途半端って思うかもしれない、悠佑が嫌ならこの提案はなかったことにする。自分勝手かもしれないけど、俺のこの悠佑に対する気持ちが恋なのかどうか分かりたいんだ。…どうかな?」


「しよう!お試し!」


 悠佑は、食い気味に答えた。

 何だこいつ、と思うかもしれない。俺は自分勝手なのだろう。でもこれ以上ないくらい考え、悠佑の気持ちに最大限応えたいと思った結果がこれだ。それに何より、自分のこの気持ちが恋なのかどうか分かりたかった。それを受け入れてくれた悠佑は本当に優しいと思う。


 こうして悠佑と俺はお試しで恋人になった。お互いに初めての恋人で付き合うとは何かというところから始まった。慣れていない感じもまた楽しくて、悠佑は「なんか新鮮だね」と言って笑っていた。悠佑と付き合っていることは誰にも言わなかった。


 付き合ってから劇的に何か変わることはなかったけれど、お互いの家に行くことが日課になった。手をつなぐことや、キスもしていないけれど、悠佑が幸せそうで、樹も嬉しかった。悠佑とそういうことをすることに抵抗はびっくりするほどなかったけれど、こんな中途半端な気持ちでするのは違うと思った。



16

 悠佑と恋人になってから初めての学校行事が来た。体育祭だ。俺は応援団に推薦され、応援団長を任されていた。悠佑は、運動はあまり得意ではないといいつつも一生懸命練習を頑張っていた。


 応援団の呼び出しが終わり、応援席に戻ると、悠佑の姿がなかった。キョロキョロとする樹に翼が声をかけた。


「悠佑なら、トイレ行ったよ」


「え?ああ、ありがとう」


 トイレなら追いかけるのも変だろうと思って、自分の席に座ろうとしたが、


「そういえば、悠佑が樹に二人で話したいことあるって言ってたぜ。まだ時間あるし、行ってきたら?」


 そう言った翼に従って、俺はトイレの前で悠佑を待った。すぐに悠佑は出てきて、樹に声をかけると、恥ずかしそうにしていた。翼に言われたことを伝えると、本当に話したいことがあったようで、人のいないところに連れていかれる。


「あ、のさ」


「ん?」


「お願いがあって、」


「うん?」


「今日、僕以外と写真、撮らないでほしいんだ」


 そう言った悠佑は耳まで真っ赤にしていた。


「分かった、その代わり、悠佑も俺以外と写真撮らないでね」


 いともあっさり俺は返事をしていた。


「うん!」


 悠佑が元気よく返事をすると、アナウンスが響き渡り、応援席に戻った。遥人に「いいことあった?」と聞かれるまで、樹は自分の口角が上がっていたことに気づかなかった。


 午前中の競技は順調に進み、あっという間にお昼の時間になった。おなかがすいていたからか、すぐにご飯を食べ終え、五人で運動場のグラウンドに降り、準備運動をしたり、雑談をしていたところに、女の子たちのかたまりがやってきた。その子たちは翼に写真をお願いしていて、翼は快く受け入れていた。

 詩と遥人もトイレに行き、悠佑と樹は二人になった。その瞬間ここぞとばかりに大量の女の子たちが樹のそばに来た。あっという間に樹は囲まれた。

 せっかくの悠佑と二人きりの時間を邪魔され、気分が悪かったが、樹を囲む女子たちの熱気はすさまじく、全く引きはがせない。しかも女子達が一斉に話し出すので全く聞き取れない。


 樹が悠佑の姿を探すと、誰かが悠佑に話しかけているのが見えた。同じクラスの赤羽舞菜だ。最近翼を通して絡むようになったが、舞菜は、よく悠佑に話しかけている。樹を囲む女子の声と圧がすごくて、悠佑達が何を話しているのかまでは聞こえない。だが、悠佑が困った顔をしているのは分かった。


 樹の目の前にいる女子が代表で樹に話しかけ、写真をお願いしてきたが、樹は丁重に断った。女子達は不服そうだったが、樹は悠佑の様子の方が気になってしまい、目が離せなかった。


 そして、困った表情の悠佑に舞菜が近寄り、スマホを構えたのを見て、樹は無意識に身体が動いていた。女子達の塊をはねのけ、一直線に悠佑のもとに駆け寄り、悠佑の顔を手で覆ったと同時にシャッター音が鳴った。


(間に合った…)


 悠佑は頭を後ろに引かれて、一瞬バランスを崩すが、すぐにそれを樹が支えた。間近で悠佑と目が合う。近くで見ると、悠佑のまつげが長いのがよく分かる。


「⁉」


「月城くん…?」


 舞菜がびっくりした顔で、樹と悠佑を見る。


「ごめん、赤羽さん。悠佑と一緒に写真撮ることはできないよ」


 そう言って、俺は悠佑の手を握ってその場を飛びだした。朝話した場所まで連れてくると、歩みを止め悠佑の方に振り返る。悠佑が声を発するよりも前に、樹は悠佑をひき寄せて、力いっぱい抱きしめた。悠佑からは、何だか甘い香りがした。樹が腕を緩めると、埋もれていた間から悠佑が俺を見た。


「樹…?」


「俺には写真撮るなって言った」


 そう言って、ほっぺを膨らまして眉をひそめた。まるで駄々をこねる小さな子供のようだ。


「俺、誰とも撮ってないよ?」


 怒りというより悲しいというか、ショックという気持ちが強かった。


「ご、ごめん」


 正直に謝る悠佑に、俺は急激に頭が冴えてくる。


「あ、いや俺こそ急に連れ出してごめん。なんか身体が勝手に動いて」


 時間が経って少し冷静になった俺が謝ると、悠佑の口角が上がっているのに気づいた。


「何、笑ってんの?」


「え?だってやきもちみたいで嬉しくて(笑)」


「え!」


「え?」


 思わず叫んでしまったが、すぐに応援団の招集のアナウンスが鳴ったので、それぞれの場所に戻った。


 午後、俺はずっと上の空だった。応援団や、競技中は何も考えずに行えたけれど、応援席にいると、いろいろと考えだしてしまい、みんなに心配された。さっき悠佑に言われたことが、頭から離れない。樹の今までのもやもやした気持ちが一気に晴れた。やきもち、その言葉がとてもしっくり来た。悠佑に告白してきた女子にも、舞菜にも、樹は嫉妬していたのだ。


 悠佑を独り占めしたいと、いつしか思うようになっていた。これは……恋だ。もうずっと前から悠佑が好きで大切なんだ。悠佑が笑うのが愛しいと思うのも、他の人と話しているのを見るともやもやするのも、悠佑の隣がこんなに心地いいのも、全部全部悠佑が好きで好きでたまらない。一度気持ちを自覚すると、いろんな感情にも納得がいった。


 結局、俺は悠佑の家まで全くしゃべらなかった。話す内容がまとまらなかったのだ。そして、悠佑の家の前で別れて、そのまま帰った。一度家に帰って頭を冷やし、今日、自分の気持ちを伝えるべきだと思った。自分の部屋で着替えて、ご飯を食べながら、樹は悠佑のことを考えていた。そして、気持ちを落ち着かせると、意を決して悠佑の家に向かった。


 悠佑にメッセージを送ると、すぐに降りてきてくれた。薄い上着を羽織り、無造作な髪型の悠佑を見て、今すぐ抱きしめたくなった。


「遅くにごめん、ちょっと話したいことがあって」


 二人並んで静かに歩き出す。俺が向かったのはあの公園だった。大事な話をするときはいつもこの公園だ。


「…別れたくない」


 俺が話し出す前に、早々に悠佑が切り出した。


「え?」


 振り返って悠佑を見る。何のことだか全く分からない。


「何か不満があるなら言って、直すから。樹が楽しめるようにもっと僕頑張るから。だから、まだ別れたくな…」


「別れない!」


 俯いてこぼれそうな涙をこらえながら、一気にしゃべった悠佑を遮るように樹は悠佑を抱きしめて叫んだ。


「なんで?別れないよ?」


 今度は悠佑の目をしっかり見つめて樹は断言した。


「じゃあ、話したい事って?」


 悠佑は、安心した気持ちと、緊張で声が震えて、今にも泣きそうな顔をしている。悠佑の問いに樹は答えずに、手を握ってベンチに連れて行った。悠佑を座らせると、樹は悠佑の目の前に片膝を付けた。まるでプロポーズみたいだな、と思った。実際それに近いことをするのだが。


「悠佑が好きだよ。正式に、俺と付き合ってください」


「……」


 悠佑は声の代わりに目から大粒の涙を流した。


「うそだ…」


「うそじゃない」


 俺は真っすぐに悠佑を見つめる。


「………何で?」


 悠佑が泣きながら声を出す。


「ちょっと長くなるかもしれないけど、聞いてくれる?」


 そう言った俺に悠佑がうなずくと、俺は悠佑の隣に座って静かに話を始めた。

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