体育祭
13
樹と恋人になってから初めての学校行事が来た。体育祭だ。悠佑の高校の体育祭は近くの運動場を借りて行われる。去年、悠佑のクラスは優勝し、今年も連続優勝を狙うべく、練習からとても気合が入っていた。悠佑は、運動はあまり得意ではないけれど、迷惑をかけない程度に練習を積んできた。今日はそれを発揮するだけだ。
競技とは別に、気合を入れているのが応援合戦だ。樹は三年連続で応援団に推薦され、今年は応援団長を務めている。応援団は学ランに着替えて行われる。樹の学ランは新鮮で、顔立ちや、黒い髪も相まって、めちゃくちゃ似合っている。そのおかげで、一年の時から一際目立っていて、女子たちからは歓声が上がるほどだ。きっと今年もたくさん写真をせがまれるのだろう。
「悠佑くん、おはよう!」
樹が応援団の打ち合わせに向かって、一人で応援席に座っていた悠佑に声をかけたのは、同じクラスの赤羽舞菜だ。周りには、舞菜の友達も数人いる。
「赤羽さん、おはよう」
舞菜は樹と同じようにどの学年にも、とてもモテている。整った見た目に加えて、話しやすい雰囲気、気遣いもできる完璧な女の子だ。クラスの中でも中心にいて、普通だったら、悠佑と仲良くなるような女の子ではないけれど、翼を通じてよく話すようになった。翼は舞菜と一年から同じクラスで、よく絡んでいる。舞菜は翼が話しかけるたび、嫌そうな顔をしているけれど、二人の会話を聞くと、なんだかんだ仲がいいのが分かる。
舞菜達と世間話をしていると、詩と遥人もやってきて、少し後に翼もやってきて、結果大人数で話が盛り上がった。トイレに行こうと輪から抜けた悠佑に翼もついてきた。
「ねえ、悠佑、どうすんの?」
翼が脈絡もなく聞いてくる。
「何が?」
並んで歩きながら聞き返す。
「樹だよ!今日もいっぱい写真撮ってってお願いされるだろ?」
「まあ、去年もすごかったもんね」
「悠佑は嫌じゃないの?」
「…嫌、は嫌だけど…。でもどうすることもできないし」
「いやいや、悠佑は樹と付き合ってるんだから、言えばいいじゃん!俺以外と写真撮らないで♡って!」
語尾にハートをつけ、手を絡ませておねだりのポーズをしながら悠佑を覗き込んだ。
「む、無理だよ!そんなのわがままじゃん!」
悠佑の顔が熱くなる。
「え~どこが?付き合ってるなら別に大丈夫だよ。俺だったら嬉しいよ。樹も絶対嫌な気はしないって!」
そうだろうか。付き合っていると言ってもお試しだ。そんなこと言って引かれないだろうか。
「大丈夫だよ!言ってみなって!」
翼は悠佑の背中を痛いくらいに叩き、トイレに行かずに戻っていった。きっと悠佑と話すために来てくれたのだろう。
トイレから出ると、樹が待っていた。トイレ待ちされるのは恥ずかしいのだななどと考えながら、
「樹」
と声をかける。
「翼に、悠佑がトイレ行ったって聞いて。あと悠佑が話したいことあるって聞いたんだけど」
翼なりにアシストをしてくれたのだろう。こうでもしないと、悠佑は言わないと分かっていたのだと思う。
「うん、ちょっといいかな」
「分かった」
そう言って、人がいないところまで樹を連れて行った。時間に余裕を持って来ていたので、まだ少しだけ猶予はある。
「あ、のさ」
「ん?」
どう切り出すものかと模索する。とりあえず他愛もない話でもと思ったけれど、時間が限られているし、何より言い出せずに終わってしまいそうだったので、直球に伝えることに決めた。
「お願いがあって、」
「うん?」
「今日、僕以外と写真、撮らないでほしいんだ」
言った。言ってしまった。自分の心臓の音がびっくりするくらいうるさい。
「分かった、その代わり、悠佑も俺以外と写真撮らないでね」
いともあっさり樹は受け入れてくれた。確かに翼の言う通り、悪い気はしない。むしろ嬉しい。樹も嫌な顔をすることなく、むしろ少し嬉しそうに見えた。
「うん!」
悠佑が元気よく返事をすると、アナウンスが響き渡り、二人で応援席まで戻った。
午前中の競技は順調に進み、あっという間にお昼の時間になった。おなかがすいていたからか、すぐにご飯を食べ終え、五人で運動場のグラウンドに降りて準備運動をしたり雑談をしていたところに、女の子たちのかたまりがやってきた。その子たちは翼に写真をお願いしていて、翼はそれを快く受け入れていた。
詩と遥人がトイレに行くと言ったのを聞いて、翼も女の子たちを連れて、少し遠くに移動した。悠佑と樹を二人きりにさせようという翼の気遣いが伺える。その証拠に、翼は僕の方にウインクをしてきた。
しかし翼が離れた瞬間、ここぞとばかりに大量の女の子たちが樹のそばに寄ってきた。あっという間に樹は囲まれてしまい、悠佑はどうすることもできなかった。翼がすぐに戻ってきてくれたが、樹を囲む女子たちの熱気はすさまじく、全く引きはがせない。少し離れたところで様子を見るが、樹はとても困った表情で話をしている。翼もクラスの女子達に呼ばれて、連れていかれてしまった。
「悠佑くん、ちょっといいかな」
一人になった悠佑に声をかけたのは舞菜だ。
「ん?」
内心焦りながらも、舞菜の話に耳を傾ける。
「写真、一緒に撮ってくれないかな」
そう言った舞菜の耳は暑さなのか、熱さなのか真っ赤だ。
「え!僕と?」
びっくりした。二人で写真を撮るほどの仲だったとも言えない気がする。それに何より、悠佑には樹との約束がある。断らないといけない。
「うん、ほら、思い出にね!」
舞菜が少し焦っているように答える。
「えっと…ごめん。写真は撮れないんだ」
樹の周りの女子達は確実に樹を狙っているのが分かるけれど、舞菜はどうだろうか。純粋に、思い出として、友達として言っているなら、悠佑が断るのは何だか自意識過剰な気がして申し訳なくなってくる。
「え、写真嫌い?それとも私とは撮りたくない?」
「そういうわけじゃ…」
理由を正直に言うべきだろうか。でもそうなると、樹との関係も言うことになる。それはまだ怖いし、樹にも迷惑がかかる。
「じゃ、じゃあ一枚だけ!お願い!」
珍しく引き下がる舞菜の圧に悠佑は押される。舞菜がスマホを構え、内カメラにしてこちらに向けると、悠佑に近づいて、フレームにうまくはまるように調整し始めた。
(ど、どうしよう。樹との約束が…)
焦る悠佑の目を、誰かの手が覆い、目の前が真っ暗になる。と同時にシャッター音が鳴った。悠佑は頭を後ろに引かれて、一瞬バランスを崩すが、すぐにそれを柔らかい何かが支えた。上を見上げると、樹の顔がドアップで悠佑の視界に入る。
「⁉」
「月城くん…?」
舞菜がびっくりした顔で、樹と悠佑を見る。
「ごめん、赤羽さん。悠佑と一緒に写真撮ることはできないよ」
そう言って、樹は悠佑の手を握ってその場を飛び出した。樹は、朝二人で話した場所まで悠佑を連れてくると、急に立ち止まって、悠佑の方に振り返る。悠佑が声を発するよりも前に、樹は悠佑を抱き寄せて、力いっぱい抱きしめた。悠佑はびっくりと、嬉しいと恥ずかしいで頭がぐるぐるする。樹からはいい匂いがするけれど、自分は汗臭くないだろうか。色々なことが気になってくる。
悠佑は行き場をなくした手をだらんと下げる。樹は数秒抱きしめた後、腕を緩めたので、その間から顔を見上げた。何だか怒った顔をしている気がする。
「樹…?」
「俺には写真撮るなって言った」
そう言った樹は、ほっぺを膨らましながら眉をひそめて、まるで小さな子供のようだった。
「俺、誰とも撮ってないよ?」
上から見下ろす樹の顔は怒っているというより、すねている表情で、今度は耳が垂れた犬みたいだ。
「ご、ごめん」
正直に謝る。断るのが苦手だからと言って、樹との約束を破るところだったなんて最低だ。
「あ、いや俺こそ急に連れ出してごめん。なんか身体が勝手に動いて…」
時間が経って少し冷静になった樹が謝り、悠佑の背中に回っていた腕もひっこめる。悠佑は反省するべきところなのに、嫉妬されているみたいで嬉しくなってしまう。
「何、笑ってんの?」
「え?だってやきもちみたいで嬉しくて(笑)」
「え!」
「え?」
突然大声を出した樹にびっくりする。やきもちなんて言ってしまったのがいけなかったろうか。それとも他に何か変なことを言っただろうかと必死に自分の記憶をたどる。樹は考え込み始めたが、すぐに応援団の招集のアナウンスが鳴ったため、途中まで一緒に戻った後、悠佑は応援席に帰った。
応援席にはすでに詩・遥人・翼が座っていて、詩が悠佑を探してくれていたようだ。悠佑を見つけるなり片手を高く上げ、嬉しそうに手を振った。翼がにやにやしていた後ろに舞菜の姿が映ったのを見て、ドキッとする。悠佑は迷わず舞菜のもとへ行く。
「赤羽さん、ごめん!」
舞菜のそばに行くなり、悠佑は頭を下げた。周りに配慮してあまり大きな声は出さないように、けれどもちゃんと聞こえるように口にした。
「う、ううん。私こそごめんね、無理に撮ろうとして」
眉を下げて笑った舞菜は悲しそうで悠佑の胸が痛む。
「何々~?舞菜、写真なら俺がいくらでも撮ってやるぜ?」
一部始終を見ていた翼がフォローに来てくれた。本当によく周りを見ていると感心する。
「はあ?翼との写真なんかいらないし~?」
舞菜も安心したような表情に変わり、悠佑はほっとした。
しかし、樹の様子が、お昼が終わってからおかしくなった。応援団は変わらず最高にかっこよかったし、競技もいつも通りだったけれど、どこか上の空な感じだ。悠佑はこの樹の感じをよく知っている。あの、悠佑が告白されたときと同じだった。何だか嫌な予感がした。大事な話をされる前兆な気がする。やはり、さっき何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。それともこれまでのお試しが全然楽しくなくて、それが積み重なって恋人を解消したいとか言われるのだろうか。嫌なことばかり考えてしまう。
結局樹は帰りも、悠佑の家に着くまで全くしゃべらなかった。そして、悠佑の家の前で別れて、そのまま帰っていった。家に入って真っ先に悠佑は部屋に駆け込んだ。母親に「静かに」と注意されたのも耳に入って抜けていった。
(や、やばいかも?)
悠佑への別れの切り出し方を考えているのかもしれない。このままだと、いつか別れを告げられてしまう気がする。一人でいると悪い想像ばかりが頭をぐるぐるする。その後、お風呂もご飯も悠佑は上の空で頭が真っ白になっていた。
部屋に戻り、ぼーっとしていると、悠佑のスマホが震えた。樹からだった。
「今、悠佑の家の前にいる…⁉」
読み上げながら、急いでカーテンを開けて下を見下ろす。暗がりで良く見えないが、確かに樹らしき姿があった。急いで髪を整えて、薄い上着を羽織り、家のドアを開けた。樹も部屋着のような恰好をしていた。
「遅くにごめん、ちょっと話したいことがあって」
二人並んで静かに歩き出す。樹が向かったのはあの公園だった。大事な話をするときはいつもこの公園だ。悠佑の心臓はバクバクで、今から言われることを悪い風に解釈して、勝手に落ちこんでいた。悠佑は樹と別れたくない。それを、樹に伝えなければいけない。
「…別れたくない」
樹が話し出す前にと、悠佑は切り出した。
「え?」
樹が振り返って悠佑を見る。
「何か不満があるなら言って、直すから。樹が楽しめるようにもっと僕頑張るから。だから、まだ別れたくな…」
「別れない!」
俯いてこぼれそうな涙をこらえながら、一気にしゃべった悠佑を遮るように、樹は悠佑を抱きしめて叫んだ。
「なんで?別れないよ?」
肩を掴んだまま、今度は悠佑の目をしっかり見つめて樹は断言した。
「じゃあ、話したい事って?」
安心した気持ちと、緊張で声が震える。自分の顔は今にも泣きそうになっていると思う。悠佑の問いに樹は答えずに、手を握ってベンチに連れて行った。悠佑を座らせると、樹は悠佑の目の前に片膝を付けた。今からプロポーズでもされそうな絵面だ。
「悠佑が好きだよ。正式に、俺と付き合ってください」
「……」
悠佑は声が出なかった。代わりに溢れたのは目から大粒の涙。
「うそだ…」
信じたいけど信じられない気持ちだ。
「うそじゃない」
樹が真っすぐに悠佑を見つめる。今まで見てきた樹のどの表情より真剣で、だんだん実感が湧いてくる。
「………何で?」
泣きながら声を出す。
「…ちょっと長くなるかもしれないけど、聞いてくれる?」
そう言った樹に悠佑がうなずくと、樹は悠佑の隣に座って静かに話を始めた。