溢れる
10
春休みがあっという間に終わり、二度目の春がやってきた。樹・悠佑・詩・遥人は同じクラスになった。来年はクラス替えが行われないため、四人で卒業まで過ごせることが確定し、詩と悠佑は手を合わせて喜んだ。
教室に続く廊下を四人で歩いていると、廊下の真ん中で女子たちが群がっているのが見えた。
「あれ、うちのクラスの前?」
樹の言葉に悠佑も視線を向ける。確かに、悠佑達のクラスの前に女子が群がっている。その中心にいるのは一人の男子だ。肩まで伸びた髪をハーフアップにし、両耳にはピアスが開いている。制服も着崩れ、いかにも不良っぽい。悠佑は樹の後ろに隠れ様子を見ていると、女子の群れにずかずかと詩が入っていった。
「そこ、群がると、クラス入れない!」
こういう時、詩はきっぱりと言ってくれる。それも嫌味な感じじゃなく、周りを不快にさせない言い方だ。
「あ、友達来た~。ごめんねぇ皆、解散~」
そう言って詩の肩をつかみながら教室に入っていったのは、女子の中心にいた男子だ。遥人も後を追って教室に入ったので、樹と悠佑も慌てて後に続く。群がっていた女子たちはブーブー文句を言いながらも、自分たちの教室に帰っていったみたいだ。
「ちょっと、重い!てか、俺たち友達だっけ?」
悠佑達が黒板の前の座席表を確認していると、肩を掴んでいた腕をどかしながら詩が言った。長髪の男子は、にへらと笑いながら、
「ごめんごめん、俺は沖田翼。今日から友達ってことでいいじゃん?」
と、軽い口調で言った。
遥人は詩の腕をつかんで翼から引きはがし、自分のもとに引き寄せる。少し、不機嫌そうに頬を膨らませているのは、馴れ馴れしい翼に嫉妬したからなのかもしれない。
「それもそっか。俺、青敷詩。よろしく沖田!」
一方詩は、翼と同様に軽い口調で、手を差し出し、その手を翼が握った。その後、不満そうに遥人も挨拶をして、翼と握手していた。そして、後ろにいた悠佑達に翼が気づく。
「後ろにいる子たちも青敷の友達?」
「うん!悠佑と樹だよ!」
詩が元気よく答える。
「ふーん。よろしくね」
翼が悠佑に近づき、手を差し出す。まだ、翼のことが信用できない。見た目だけだけれど、チャラそうで少し怖かった。握手を迷っていると、そんな悠佑に気づいたのか、隣にいた樹が一歩前に出て翼の手を取った。また、樹に助けられてしまった。これ以上ないってくらい、樹のことが好きなのに、毎日好きが積もっていく。
この日から、僕たち四人の中に翼が加わった。翼は見た目のとおり、チャラく、女の子が大好きで、常に女子に囲まれている。でも、お昼は悠佑達とご飯を食べることがほとんどで、付き合いがいい。それに、意外と面倒見がよく、人間観察が得意で、体調が悪いのをすぐに見抜いたりするなど、察しがいい一面があった。距離感は近いけれど、変に踏み込んでこない、相談事も真剣に聞いてくれるという長所もある。少し経つ頃には、すっかり翼は馴染み、悠佑も翼に対する苦手意識は消え去った。
高校生活はびっくりするほどに充実している。この頃には、樹への気持ちが溢れてしまいそうなくらい膨らんでいて、いつ破裂するか分からない状態だった。五人でいるときは何とか取り繕えているけれど、二人きりになるとどうしようもなくなる。
気持ちが口からあふれ出してしまったのは、高二の秋のことだった。少しずつ肌寒くなっていき、ブレザーを着るのが当たり前になってきた季節だ。二人で並んで歩いているとき、道路側を歩いていた悠佑のぎりぎりに車が近づいてきた。それに気づいた樹が、悠佑を引き寄せ、抱きしめられるような形になってしまった。すぐに身体を離して歩き始めたけれど、自然と樹が道路側に移ってくれた。抱き寄せられた感覚が忘れられずに触れ合ったところが熱を持っていた。
「そういえば、悠佑好きな人できた?」
何とはなしに樹が言った。
「ほら俺、悠佑に協力とか相談とか乗ってもらってたし、次は力になりたいなって思って。悠佑はめちゃくちゃ性格いいし、きっと誰でも好きになるよ」
誉め言葉だったんだろうけれど、悠佑は素直に嬉しいとは思えなかった。
(その誰でもに樹が入っていなければ、意味がないのに)
好きな人はいないと言ったのは自分なのに、樹の言葉に勝手にもやもやしてしまった。
「俺、応援するから!」
その言葉が引き金となって、悠佑の気持ちが溢れだした。
「好き」
「え…?」
「樹が、好き」
言った後すぐに後悔した。冷静になる前に感情の赴くまま、自分の気持ちを言ってしまったこと、今更ながら恥ずかしくなる。
「今の本当?」
必死に言い訳を考える悠佑の耳に樹の低音が入ってくる。
「うん」
樹が真剣な瞳で悠佑を見ていて、聞かれてしまった言葉を取り消すことはできずに素直に頷いた。もうこれ以上自分の気持ちに嘘をつくこともしたくなかった。
(どうしよう、言っちゃった)
「…ごめん」
すこし黙り込んだ後、樹が言った。分かっていたはずなのに、いざその三文字を樹から聞くと、胸が張り裂けそうになる。もしかしたら、と心のどこかで期待している自分がいたのかもしれない。
(何か、何か言わなきゃ)
そう思っても、何も言葉が出てこない。それどころか目から涙があふれてきそうになって、下唇を噛む。しかし、
「俺、ずっと悠佑に無神経だった?ごめん」
樹の謝罪は悠佑の告白に対する返事ではなかったみたいだ。
「えっと…」
何とか顔を上げて声を出す。
「美奈さんのこととか…」
「あ!」
そこからは嘘みたいに声が出た。
「違うよ!そ、それはもともと僕から相談に乗るって言ったんだし、それに好きな人いないって言ったのも僕だし!」
すらすらと言葉が出てくる。樹が謝ることなんてない。逆に謝罪をするなら悠佑の方だ。
「え?てことは、悠佑はいつから俺のことを…?」
そう聞かれると、再び言葉に詰まる。
「………小学校、の頃からずっとだよ。ずっと、樹が好き」
それでも正直に言葉を絞り出した。悠佑の言ったことに樹が申し訳なさそうに眉を下げた。
(違う。違う、そんな顔をさせたいわけじゃないのに)
傷つけたいわけじゃない、困らせたいわけじゃない。
「ぼっ僕、頑張ってみてもいいかな!」
樹の表情をどうにかしたくて、気づいたらそう言っていた。樹が明らかにびっくりした顔をする。悠佑は自分で何を言っているんだと思いつつも、止まらなかった。
「樹に好きになってもらえるように頑張りたい。もちろん樹が嫌ならやらないけど…」
これは、悠佑なりの賭けだった。もしこれでダメなら、これからは本当に友達として、樹を思い続けようと思った。
「嫌とかは、ないけど。……悠佑は、それでいいの?」
「っ!うん!」
「わ、分かった」
若干悠佑の圧に押されたとも言えないけれど、樹は了承してくれた。
「‼」
悠佑の顔が見る見るうちに明るくなり、柔らかく、嬉しそうに笑った。
樹のこと、諦めなくていいんだ。諦めたくない、まだ。
11
樹に告白してから、学校では特に大きく変わったことはない。けれど、学校からの帰り道、樹と別れるとき、悠佑は毎日のように樹に自分の気持ちを伝えることにしていた。好きな人に好きになってもらえる方法など思いつかず、アピールすることも慣れていない悠佑は、以前樹が美奈にしていたように、頻繁に気持ちを伝えることにしたのだ。この日も家まで送ってくれた樹に、
「樹、すきだよ」
と伝える。死ぬほど恥ずかしいけれど、もう自分の気持ちはばれているし、黙っているより口にする方が安心できた。今まで言えなかった分の反動が来ているのかもしれない。でも、恥ずかしさはあれど、言えなかったときよりも悠佑は生き生きとして、毎日がさらに楽しくなった。
樹の反応はというと、いつも決まって顔を真っ赤する。今更だけれど、悠佑の好意を気持ち悪がらずにいてくれていることが嬉しい。そして、自分が樹を困らせていることがくすぐったくて、楽しかった。
しかし、樹はなかなか返事をくれなかった。二人の距離が縮まることも離れることもなく、樹はいつも通りに悠佑と接していた。悠佑が好きだというと、赤くなるけれど、翌日にはいつも通りに戻る。悠佑はどうすることもできなかった。いや、どうすれないいのか分からなかった。樹に告白したことを美奈にも話せていない。何となく言えなくて、奈月にも相談しようか何度も通話画面までいったが、そこから通話をかけることが出来ずにいた。
そんな日々が過ぎ、二年生が終わろうとしていたある日、翼に声をかけられた。学校での授業がほとんど終了し、この日も学校が一時頃に終わった。
「悠佑、ちょっといい?」
ホームルームが終わるなり、翼が悠佑のもとに来る。その後、悠佑のもとに樹達も集まったが、翼は「二人で話したい」と言って悠佑を連れて教室を出た。悠佑は何のことか見当もつかず、黙って翼の後をついていく。途中、女子たちに捕まりそうになるのをうまくかわして、屋上に続く階段に翼は腰を下ろした。促されて、悠佑も隣に座る。遠くで生徒たちのはしゃぐ声が響いている。対照的にここは静まり返っていて、余計に遠くが騒がしく思えた。
「悠佑さ、樹となんかあった?」
翼の核心をついたような言葉に悠佑はびくっとする。
「へ…?」
まさか、ばれているはずがない。樹は学校ではいつも通りだし、悠佑も細心の注意を払っていたつもりだった。
「何もない…よ?」
悠佑は顔が引きつり、声だけがやけに大きく響き渡る。
「余計なお世話だとも思ったんだけど、秋頃からなんか悠佑おかしい気がして。勘違いだったならごめんな」
やはり翼は察しがいい。時期まで当ててしまうなんて、よく人のことを見ているのが分かる。そして、純粋に悠佑を心配してくれているのが伝わってきた。その様子に悠佑は話したくなった。本当は誰かに聞いてほしかった。少し悩んだけれど、勇気を振り絞って言った。
「実は、樹に告白したんだけど」
「…あ~なるほど」
あまりにも早い理解に悠佑は驚く。それに何より、
「気持ち悪くないの…?」
樹や美奈・奈月のように悠佑を受け入れてくれる人は今までもいたけれど、どうしても苦い記憶も消えなくて、悠佑は翼に問いかけた。
「なんで?」
翼はケロッとしていた。その態度に悠佑は安堵のため息が漏れた。
「いや……」
それ以上悠佑は何も言わずにいると、翼が話題を元に戻した。
「それで、樹は保留にしてんのか(笑)」
言い当てられてドキッとする。翼には隠し事が出来なさそうだ。目の前の翼が探偵服を着て、煙草をくわえ、ひげを生やした名探偵に見えてくる。
「何で分かるの……」
「すごくね?俺(笑)」
自慢げに顎を手でさすった翼を見て悠佑は思わず吹き出す。それから、樹に告白して返事がないこと、自分なりにアピールをしていることなどを伝えた。
「うーん。樹の気持ちが分からん(笑)」
翼は眉をひそめて考えている。翼ですら分からないのだから、悠佑が鈍いと言うわけではなさそうで少し安心した。
「俺さ、悠佑が変だっていうのはすぐに分かったんだけど、樹には気づかなかったんだわ。ちょっとだけ二人の雰囲気が今までと違うことは気づいたんだけどね」
そう言った翼を見て、素直に感心してしまう。
「翼ってすごいね、ただの女の子好きのチャラ男じゃなかったんだ…」
「おい!ただのとチャラ男は余計だぞ!女の子は好きだけどさ」
翼は一見軽そうな、何も考えてなさそうな人に見えるけれど、本当は誰よりも空気を読んで周りに合わせて会話をしているのかもしれないと思った。あの時見た目だけで怖いと思ってしまった自分が馬鹿みたいだ。その時、悠佑のスマホが鳴った。樹からだった。三人が教室で待ってくれているらしい。
「みんな待ってるって。教室戻ろっか」
そう言って立ち上がった悠佑に
「ごめん、何のアドバイスもできないで」
と、申し訳なさそうに翼が頭をかいた。
「ううん!話だけでも聞いてもらえて嬉しかった!翼、ありがとう!」
本心だ。誰かに話すことですっきりした。
「話なら、いつでも聞けるから。話したくなった時には呼んでよ」
翼の絶妙な距離感が悠佑にはありがたかったし、頼もしかった。その後、二人で教室に戻り、樹達と合流して駅まで帰った。樹から、翼のことを聞かれるかと身構えたけれど、樹は特に何も言わず、悠佑の心配は杞憂に終わった。
それから、樹とは何も進展はなく、翼に話を聞いてもらうこともなく二年生が終了し、悠佑達は三年生になった。この二年間本当にあっという間だった。もう一年で卒業だと思うと、今から悲しくなってくる。樹からもいまだに何も言われていない。翼に相談した日に樹に何となく好きということが出来ずに、そこから悠佑が毎日気持ちを伝えていたのも途切れてしまった。