予感と想い
8
悠佑の願いが早々に打ち砕かれることとなったのは、セミが鳴き始め、長そでシャツが辛くなってきた時期のことだ。
終業式で早く学校が終わった悠佑達は、夏休みの予定を立てるべく、ファミレスに来ていた。人数分のドリンクバーとご飯を頼み、湿ったワイシャツにパタパタと冷気をおくる。四人での話は盛り上がり、食後に頼んでいた詩のパフェが溶けきる前に食べ終えた頃には、日は傾きオレンジ色の光が差し込んでいた。
詩・遥人と駅で解散し、悠佑は樹と電車に乗る。まだ夕方なこともあり、いつもよりすいた電車のドア側に二人で立って、窓の外から景色を眺めていた。その間、樹が話すことはなく悠佑も変に話しかけることはしなかった。電車から降りると、辺りはすでに薄暗くなっていた。家路を歩く途中で樹が口を開いた。
「あのさ、悠佑に話したいことがあるんだ」
樹の顔は暗くてあまりよく見えなかったが、真剣なトーンだった。
「うん、何?」
悠佑が続きを促すと、再び開いた樹の口から飛び出た言葉により、悠佑の心は打ち砕かれた。
「俺、美奈さんのことが好き、だと思う」
樹は悠佑をまっすぐに見ていたが、悠佑は思わず視線をそらしてしまった。樹の顔が真剣であればあるほど、その気持ちが確信となる。
「急にごめん」
何もしゃべらない悠佑に対して、樹が謝罪をする。樹の謝罪にはいろんな意味が感じられた。ここで、悠佑は美奈の言葉を思い出した。樹に好きな人が出来た時、応援できるのか。他の人だったら応援できなかったかもしれない。でも、悠佑は美奈のことも樹のことも好きだ。二人が付き合えば素直に喜ぶことが出来るのかもしれない。それに、もし二人が結婚することがあれば、悠佑と樹は兄弟になれる。恋人よりもずっと確実に樹と一緒にいれる。美奈の気持ちは分からないからまだ何とも言えないが、
「謝ることはないよ。うん、僕、応援する」
それが悠佑の出した答えだ。
「ほんとに?ありがとう」
暗がりに目が慣れると、樹の笑った顔がはっきり見えた。悠佑は自分の欲望のままに樹の恋を応援することを決めた罪悪感で、素直に笑い返すことが出来なかった。樹が悠佑の家の前まで送ってくれ、帰ろうとする背中に悠佑は声をかけた。
「そっ、相談聞くからね!」
悠佑が今かけられる精一杯の言葉だった。
「おう」
樹は再び笑顔を見せた後、背中を向け、自分の家に歩いて行った。悠佑は樹の相談を聞くことで自分自身の罪悪感を減らそうと考えた。
家に入ると、「おかえり~」と、リビングから美奈が顔をのぞかせた。その顔を見た時、悠佑は樹を思い出して一人で気まずくなる。そんな様子に美奈は気づいているのかいないのか分からないトーンで、「お風呂先に入ってきな。」と言った。その言葉に従い、お風呂に入り、母、美奈と三人で食卓を囲む。
改めて、美奈のことを観察すると、とても整った顔立ちをしている。幼くも大人っぽい雰囲気で、昔からモテモテだった。それに加えて性格もいいため、非の打ち所がない。樹と並べば、誰が見ても美男美女のカップルだ。そういえば、以前三人でお出かけをしたとき、周りのお客さんが樹と美奈を見て騒いでいたような気がする。
「悠佑?おなか一杯?」
箸を持ったまま固まった悠佑に美奈が声をかける。悠佑は慌ててご飯を食べ始めた。
「ううん!おいしい…!」
「やった~!」
悠佑の感想を聞いて、美奈は嬉しそうにする。
「実は、今日の夜ご飯私が作ったんだ~」
料理までこなせてしまうなんて、美奈の欠点がどこにあるのか弟である僕でも見つからない。夜遊びも、もうしていないし、真面目に大学に行って、休日もバイトをしている。というかこんな風に美奈の欠点ばかりを探してしまっている僕の方が、よっぽど性格が悪いなと、自分が嫌になる。樹が美奈を好きになるのも納得だ。
9
「振られた」
そう告げられたのは夏休みが明けた始業式の帰り。詩・遥人と別れ、電車のつり革を掴んで早々に樹が言った。
「……ええ⁉」
電車の中だというのもおかまいなしに大きな声で叫んでしまった。慌てて口をふさいで周りに頭を下げる。電車がすいていたのが救いだ。
樹は振られたという割に飄々とした顔で窓の外を見ていた。
「ていうか、いつ告白したの?」
「夏休みに、悠佑の家に行った時に」
夏休み、樹を含め詩・遥人たちも家に招いた。途中樹がいなくなった時があったから、それだろうか。振られたと言われて、どう返したらいいのか分からない。
「でも、諦めない」
樹が続ける。
「え…?」
「美奈さんは、俺のことを恋愛対象として見たことがないって言ってたけど、それって俺が頑張ればいい問題だと思って、だから諦めたくないって言った。美奈さん困った顔してたけど、ここで引くわけにもいかない」
(そんなに姉さんのことが好きなんだ)
分かっていても胸がきゅっとなる。樹が今まで誰かを好きだという話を聞いたことがなかったけれど、もし樹に好かれたらこんな風なんだというのが分かって、美奈をうらやましく思う。
「そういえば、いつから姉さんのことが好きなの?」
純粋に疑問に思ったことを聞いてみる。
「うーん。好きって確信したのは高校生になって初めて悠佑の家にお邪魔したときかな。美奈さんを見た時、固まっちゃってさ(笑)」
そう樹は苦笑する。あの時美奈に対する返事が遅れていたのはそういうことだったのか。
「でも、初めて会った時から気になっていた…と思う」
樹が顔を赤らめて恥ずかしそうに笑っている。こんな樹を見るのは初めてで、嬉しい反面、胸のあたりが痛くなる。
「そうだったんだ、全然気づかなかった」
必死に笑顔を作って返事をする。その後は、樹の話に適当に相槌を打っていたけれど、あまり頭には入ってこなかった。
宣言通り、樹は美奈に猛アプローチを始めた。美奈は決まって困った顔をする。悠佑が樹を好きだと分かっているから、余計気まずいのだろう。樹は以前より頻繁に家に来るようになり、母は樹の来訪をとても喜んだ。樹は母の前であからさまにアピールすることはせずに、積極的に美奈に話しかける程度だった。悠佑のことをないがしろにするわけでもなく、平等に立ち回るので頭の回転が速いし空気が読める。悠佑は思ったより、二人を見ることが苦ではなかった。見れば見るほどに二人はお似合いで、逆に美奈以外の人とは付き合わないでほしいとも思うようになった。
そんな日々が続き、早くも高校一年生が終わろうとしていた。授業数が減り、帰る時間が早くなって、樹は毎日のように悠佑の家を訪れた。この日も悠佑の家に向かって二人で歩いていた。
「今日、美奈さんっている?」
「いると思うよ」
「二人で、出かけてきてもいいかな」
そう話す樹は、何かを決意したようなまなざしで悠佑を見た。
「?」
「今日もしダメだったら、諦めようと思う」
この長い間、樹は美奈にアピールを続けたが、美奈が首を縦に振ることはなかったという。理由はいつも同じで、樹がどれだけ聞いても詳しくは話してくれなかったそうだ。正直、樹が諦めると言った時、嬉しく思ってしまった自分がいる。樹は傷ついているはずなのに、こんなことを思ってしまう自分が嫌だ。
悠佑の家に着いて、玄関のドアを開ける。母はまだ帰っておらず、上の階から美奈の「おかえり~」という声だけが聞こえて来た。悠佑と樹は顔を合わせ、樹が階段を上る。美奈の部屋の前に行き、扉をノックした。ガチャっという音と共に、ラフな格好をした美奈が姿を現す。
「あれ、樹くん。今日も来たんだね。いらっしゃい」
大分露出した服装に樹は戸惑っていて、美奈は樹を見て、気まずそうにしている。
「あの、これから二人で出かけませんか?」
樹の問いに美奈の身体が引きつる。悠佑を見てさらに困った顔をする。
「……分かった。着替えるから少し待ってて」
それでも、少し考えた後、美奈は樹の誘いに承諾した。部屋に入って準備を始めたであろう美奈を確認して、樹は悠佑の方を見た。樹の顔は笑っている。もう覚悟は決まっているようだ。悠佑は樹に頑張れと口パクをして、自分の部屋に入った。
数分後に美奈の部屋の扉が開く音がする。階段を降りる二人分の足音が静かな家に響き渡る。玄関前で美奈が「いってきます」と言ったのに返事もできず、悠佑は部屋の真ん中で体育座りをして、身体を縮めた。
玄関のドアが閉まる音を確認した後、悠佑は立ち上がり、階段を下りた。どうしても二人の様子が気になってしまい、後をつけることを決めていた。ストーカーみたいで良くないと思いつつも、悠佑の足は止まらなかった。外に出て左右を確認すると、少し先に二人の歩く姿があった。気づかれないような距離感で静かについていく。
二人はいくつかの角を曲がり、歩いて十分ほどの場所にある公園に入った。小学校の時に外で遊ぶと言ったら大体この公園に行った、悠佑にとって思い出の場所の一つである。二人はベンチに座ったので、悠佑はベンチの後ろに生えている木の後ろに隠れて息をひそめ、耳を澄ました。
「今日はありがとうございます」
樹が言った。美奈の声は聞こえない。
「あの、困らせてることは分かってるんですけど、どうしても諦められなくて」
「…」
「美奈さんが好きです」
声しか聞こえていなくても、樹の真剣な気持ちが伝わってきた。悠佑の心臓がきゅううと締まる。目からこぼれそうな涙を上を向いて必死に抑えた。
「…ごめん」
「…」
「ごめん。今まで、樹くんを断った理由は嘘ではないけど、本当の理由じゃなかったの」
美奈が話し出す。
「私、好きな人がいるんだ。誰かは言えないし、絶対に叶わないんだけどね。でも、どうしてもその人以外のことは考えられなくて。これ以上樹くんのことを中途半端にしたくない。樹くんのことはこれからも弟みたいに大切に思ってるよ。だから、」
そこで一度言葉を区切って、美奈は大きく息を吸った。
「だから、これからも悠佑とは仲良くしてほしい」
「…もちろんです」
樹は即答した。
「私のこと、好きになってくれてありがとうね」
「はい…」
美奈がベンチから立ち上がり、公園から出ていく。悠佑はその場から動かなかった、動けなかった。しばらくそのままでいると、後ろから、嗚咽を漏らす樹の泣き声が聞こえて来た。悠佑はつられて、抑えていた涙がぼろぼろと流れてきて、樹と共に泣いていた。いろんな感情がごちゃごちゃで、複雑だった。
少しして落ち着いてくると、いきなり悠佑のポケットに入っていたスマホが鳴った。悠佑の身体が跳ねると同時に後ろから、「悠佑?」という樹の声が聞こえて、悠佑の顔が青ざめていく。
(ばれた)
「もしかして、聞いてた?」
「…うん、ごめん」
言い訳も思いつかず、陰から顔を出して素直に頷いた。
「そっか、恥ずかしいな」
「そんなことない!樹はかっこいいよ!」
珍しく弱っている樹に悠佑はそう叫んでいた。樹はかっこいい。自分の気持ちに真っすぐで、積極的で、僕とは全然違う。
「ありがとう」
そう言って笑った樹の顔は今まで見たことがない笑顔で、悠佑の中で樹への好きの気持ちがまた大きくなるのを感じた。
公園でしばらく話をした後、悠佑と樹はその場で解散をした。
家に帰ると、先に母が帰ってきてその少し後に、悠佑より遅く美奈が帰ってきた。美奈の目元は赤く、テンションも低かった。当然のことだ。美奈は悠佑に、樹のことは何も言わずに他愛もない話をしたので、僕もそれに合わせて話をした。
翌日の終業式の日、ケロッとした顔で樹は登校をした。詩や遥人ともいつも通りに話をしていた。そして、帰りに悠佑の家に遊びに来た。美奈に普通に挨拶をしている様子を見て、逆に心配になってくる。美奈も驚いた顔で戸惑いながら挨拶を返していた。母からお菓子とジュースを受け取り、悠佑の部屋にはいる。どうしても樹が無理していないか気になって、でも話の切り出し方も分からずにとりあえず並んで腰を下ろした。
「大丈夫だよ(笑)」
悠佑の様子を見た樹が笑い出した。
「でも、だって…」
「俺、昨日色々考えたんだけど、美奈さんが本当の理由言ってくれたおかげでなんかすっきりしちゃってさ(笑)。もう大丈夫なんだ本当に」
そう言う樹の表情は強がりじゃなく本当に大丈夫そうで悠佑は気が抜けた。一日で考えて、整理して、相手を傷つけない言い方で、なおかつ悠佑の心配する気持ちにもフォローして。本当に樹は……
「ありがとね、いろいろと」
樹の感謝の言葉に、悠佑は頭を振る。
「樹は、すごい。樹は、かっこいいよ」
上手く言葉がまとまらずに、変な感じになってしまった。
「あははははっ(笑)」
樹が口を開けて笑い出した。面白いことなんて言ってないのに、樹の笑い声は止まらない。しばらく笑った後、
「やっぱり悠佑といるときが一番落ち着くわ。好きだなぁ」
好きという言葉に悠佑はドキッとする。勘違いしそうな自分の気持ちを振り払う。この一年間で樹に対する思いはどんどんと膨れ上がっていた。もう、後戻りはできないかもしれない。