姉として
35
「遅くなりました、すみません」
マネージャーに大まかな事情を話して用意してもらった個室に呼び出した彼が、約束の時間を少しだけ過ぎて入ってきた。
「ううん、大丈夫」
「本当にすみません、美奈さん忙しいのに」
目の前に座り、頭を下げた彼は樹だ。少し時間を過ぎただけなのに、本当に申し訳なさそうにうなだれている。
「何か…あったの?」
「…親に悠佑とのこと話したら、根掘り葉掘り聞かれて、中々抜け出せませんでした、まさかこんな時間になるなんて」
「そっか…」
樹と悠佑が同棲するかもしれないことは、父からちらっと聞いていた。
あらかじめ頼んでおいた料理たちが届いて、二人で乾杯する。樹とこうして二人で話すのは、あの日の公園以来だ。
「あの日の公園以来ですね」
樹も同じことを思ったようで口に出してほほ笑む。こうして樹が何ともないような態度で接してくれるので、美奈もいつも通りに話すことができている。
「えっと…同棲できそう?」
本題に切り出せずに、とりあえず思いついた話題を口にしたが、すぐに後悔した。今この話はダメな気がする。でもそんな美奈の心配とは裏腹に、樹はケロッとしていた。
「うちの親は大丈夫そうなんですけど、悠佑のお母さんがちょっと分からなくて」
「うん…」
「でも、俺は諦めません。悠佑と一緒に頑張ろうって決めました。今は、悠佑のお父さんを信じます」
諦めないと言った樹の顔が、あの時美奈に言った時と同じようにも、違うようにも見えた。自分の意思が強く、簡単に曲げない、負けず嫌いなところが樹らしいと思った。
「二人なら大丈夫」
気休めにしかならないかもしれないけれど、美奈の言った言葉に樹は嬉しそうに頷いていた。だが、ますます本題を言いずらい雰囲気を自分で作ってしまった気がする。
「それで、美奈さんの話したい事って?」
思い出したように樹が言ったが、美奈は言葉に詰まる。彼は静かに美奈を見つめている。
美奈は一度目を閉じた。すぐに悠佑の顔が浮かび、美奈の好きな彼の笑顔が見えてくる。私は大きく深呼吸をして、真面目な顔をつくり、樹を見た。いつも演技をする前にすることをしてみたら少しだけ楽になり、口を開く。
(今の私は、ただの槙谷美奈だ)
「私……悠佑と話したいことがあるの」
「?」
樹が不思議そうな顔をするのは分かっていた。わざわざ姉弟で話をするのに、恋人を通す義理などない。でも、今回は違う。
「私が悠佑に伝えること、どうか許してほしい。そして、その後の悠佑のことを…よろしくお願いします」
第三者から見たら、何を言っているか全く分からないと思う。直接的なことは言っていないから当然だ。しかし、樹は何かを察したようだった。あの時、本当に美奈の気持ちは、樹に見透かされていたのかもしれない。
「それは……誰からのお願いですか」
樹の問いも直接的ではなく、美奈の答えがあっているか分からないが、美奈は自信をもって答えた。
「悠佑の姉の…槙谷美奈としてのお願い」
そう言うと、樹は満足そうに笑った。
「はい、わかりました。悠佑の恋人の、月城樹としてそのお願いを聞き入れます」
樹はかしこまったように頭を下げた。真剣な樹の眼差しに負けないくらい、美奈も彼を見つめ返した。
週末、樹は再び悠佑の家に挨拶に来た。どうやらうまくいったみたいだ。その日の夜仕事から帰宅すると、母から謝罪された。この前の結婚のことについての謝罪だった。こうして母とは和解することができ、私たち家族はいつもの日常に戻っていった。
春休みの間、悠佑も美奈も引っ越しの手続きや準備に追われていた。あっという間に二人は、実家からそれぞれ新たな居場所へ引っ越していった。
悠佑が樹との同棲に慣れてきたであろう頃、悠佑に会って話したいと連絡をした。悠佑は二つ返事でOKしてくれ、美奈の仕事のオフに合わせて会う日を決めてくれた。ちゃんと待ち合わせをして二人で出かけるのは初めてかもしれない。
駅に着くと、すでに悠佑の姿が見えた。その肩を優しくたたくと、悠佑が振り向いて笑顔を見せた。
「姉さん!」
美奈は一応身バレ防止で帽子と眼鏡をかけていたが、悠佑はそれすらも似合っていると褒めてくれた。駅周辺でお昼ご飯を食べ、水族館に行った。とても楽しそうな横顔を見ることができて安心した。今日は美奈から樹の話題を振ることはしなかったし、悠佑も特に樹の話をすることはなかった。今日は……今日だけは悠佑を独り占めしたかった。
(今日は、私だけを見ていて欲しい。私のことだけ考えて欲しい…)
水族館を出た後は、二人で海に向かった。日が傾き、潮風が涼しくて気持ちよかった。辺りに人の姿はない。言うなら今だと思った。
「…悠佑」
「ん?」
海を眺めていた悠佑の視線が美奈に向く。純粋なその瞳に、一瞬美奈の決意がひるみそうになるが、覚悟を決めて言葉を紡いだ。
「好き…」
「え?…僕も姉さんが好きだよ、なんか恥ずかしいな…」
「…がう」
「へ?ごめん…聞こえなかった」
「違う。……私の好きと、悠佑の好きは違うの」
「………え、」
「姉弟なのに、お姉ちゃんなのに、こんな気持ち抱いて隠して偽って……ごめんなさい。好きになって……ごめんなさい」
美奈は自分自身を抱きしめるように身体を縮めて、腕に力を込めた。目からは我慢していた涙があふれだしていた。
長い時間、二人の間には沈黙が訪れた。隣から静かに鼻をすする音が聞こえてくる。
「……姉さん、が、謝ることはないよ。……前に言ってくれたよね、何で好きになっただけでここまで言われるの?って。…姉さんも、自分で自分を責めてたのかな。いつもどんな気持ちで、僕と話してくれてたんだろう、僕の相談に乗ってくれてたんだろう。僕……」
言葉に詰まって、時々嗚咽を漏らしながら、隣から悠佑の声が、言葉が聞こえてくる。
「……っ。僕のこと、好きになってくれてありがとう」
その言葉を聞いた瞬間、やっと自分の心の枷が外れたような気がした。悠佑のことを吹っ切れたわけでも、すっきりしたわけでもなかったけれど、不思議と自分を認めてあげられた気がして嬉しかった。
二人でひとしきり泣いた後、美奈は言いたかったことを思い出した。
「あ、結婚式には呼んでよね」
「はぇ⁉」
悠佑の間の抜けた声が聞こえる。ずっと暗い顔をしていた悠佑をどうにかしたかった。
(分かっていたけれど……決してあんな表情をさせたかったわけではない)
「ほら、挨拶でも乾杯でもスピーチでも何でもやるよ!もちろんスケジュールも何が何でも空けるから‼」
任せて、とでもいうように親指をたてた。
「だって……だって私は悠佑のお姉ちゃんだからね!だから、」
そう言って歯を見せて笑った。この言葉は、今は強がりかもしれないが、この笑顔は偽りじゃない、心からの笑顔だ。悠佑が一番大切な存在なのは、今もこれからも変わらないだろう。だから悠佑の幸せを願っていることも、嘘じゃなく本当に嬉しいのだ。美奈の笑顔に、ようやく悠佑も少し笑った。その顔を見て、美奈はもう一言付け加えた。
「だから……私のことで、悩まないで。悲しまないで。…悠佑は笑っててほしい」
「姉さん……」
顔が、声が、性格が、雰囲気が、存在が好きだ。どうしようもなく可愛くて強くて、かっこいい、私のヒーローが、これからもずっと笑顔でいられますように、祈ってる。




