奈月
21
第一印象は最悪だった。
つまらない入学式を終え、クラスごとに教室に戻っていく。今日は家族で寝坊して、入学式に滑り込んだせいで、髪の毛もセットできなかったし、眼鏡も付け忘れた。
昔から無駄に整った顔で注目されるのが心底嫌で、小学校の引っ越す前にも、友達の好きな人を盗ったとかでハブられた。何もしていなくても嫌われる。引っ越し先では自分を知っている人はいないからと、見た目を変えて一から始めようと思っていた。だから視力は悪くないのに眼鏡をかけて、三つ編みをした。母は悲しそうだったけれど、私の事情を理解してくれた。
そんなこんなで心機一転、中学に入学したが、小学校が一緒だった人同士で集まっていて奈月はその中にわざわざ入ろうとは思えなかった。
その時、あれが起こった。同じクラスの槙谷悠佑くん。彼が教室を飛び出す直前に見せた表情に奈月は目を奪われた。一目惚れだけれど、恋愛感情とは違っていて、奈月は彼と友達になりたいと思った。悠佑に声をかけていた男は奈月の過去を思い出させて気分が悪かった。
その日は残念ながら悠佑は帰ってしまったけれど、次の日学校に来たので、すぐに話しかけに行った。彼は学校の中庭のじめじめしたところに一人で座っていて、奈月はその姿を愛おしいと思った。奈月を見た悠佑は驚いたような、おびえたような顔をしていて、少しでも安心させるように明るい声を出した。根気強く奈月が話しかけていると、悠佑もだんだんと心を開いてくれるようになって嬉しかった。
優しくて儚い、自分より人の気持ちを考えられる悠佑を奈月は尊敬していた。周りの目線なんて気にならないくらい、奈月は悠佑に夢中だった。悠佑の過去は想像以上で、聞いたときは心が痛んで、涙が出てきた。そして、樹に心から感謝し、もっと早く悠佑と出会いたかったと嫉妬した。だから夏目の印象は奈月の中で最低最悪だった。
教室に戻って座席を確認する。クラスから目線を感じて、心の中でため息をつく。自意識過剰だと思われるかもしれないが、これまで自分に向けられていた視線と同じものを感じた。こんなことなら、遠くても悠佑と同じ高校に行けばよかったと後悔した。奈月は朝が弱いので、なるべく家の近くの高校にしたが、それでも今日寝坊した。
自分の席を確認して、そこに向かって歩き出した奈月の視界に見覚えのある顔が入ってきた。
(最悪…)
奈月の左隣の席、机に肩肘をつけ、手に顎を乗せている彼は髪をオレンジ色に染め、ピン止めをつけ、耳にもピアスが飾られていたが、目の下のほくろで彼だと確信した。夏目新だ。悠佑をいじめていた張本人。中学が同じ人も何人かいるだろうとは思っていたが、まさか夏目と同じになるなんて。しかも隣の席に。
夏目が奈月の視線に気づいて二人の目が合う。奈月は焦ったけれど、すぐに心を落ち着かせた。自分は今、中学の頃とは全然違う格好をしているし、夏目も中学の時奈月のことはあまり見ていなかったことだろう。気づくはずがない、大丈夫だ。自分に言い聞かせて、静かに深呼吸する。しかし、
「あれ、あんた悠佑の…」
奈月の顔をまじまじと見た夏目はそうつぶやいた。
「わ、私のことをご存じで…?」
人違いだと言えばよかったと、言ってから後悔した。
「そりゃ、もちろん」
なんだか覇気のない返事だった。夏目は中学からこんな人だっただろうか。奈月は悠佑以外に興味がなかったので全く覚えていない。
夏目が黙ったので、二人の間に沈黙が流れて気まずくなる。
ちょうどいいタイミングで担任の先生が入ってきたので、ほっとしたのもつかの間、隣同士で自己紹介をするというわけの分からないことを言い出した。周りは緊張しながらも、新たな仲間と自己紹介で盛り上がっている中、奈月と夏目には気まずい空気が流れていた。
「俺のこと、なんて聞いてる?」
口を開いたかと思えば、自己紹介とは全く関係ない激重の質問を投げかけてきたので、奈月は返答に困る。
「いや、やっぱり今の忘れて」
さっきから、夏目の言葉にはずっと覇気がなく、悠佑から聞いていたイメージとはかけ離れている。
「椎名奈月。よろしく」
奈月は面倒臭くなってため息をついた後、簡潔に自己紹介をして、前を向き直った。
「あ、うん。よろしく」
隣から弱弱しい声が聞こえてくる。本当に彼が悠佑をいじめていた本人だとはとても思えなかった。
夏目の派手な見た目はクラスでもよく目立ち、怖がられ、誰も彼に近寄ろうとはしなかった。奈月も必要以上に夏目と話さなかった、というかクラスの誰とも深くかかわることはしなかった。それでも時折話す夏目の表情や仕草がほっとけない雰囲気で、いつも夏目から目が離せなかった。
夏目を観察してから気づいたことがある。高校に入ってから、誰かをいじめている様子はないし、先生に頼まれたことも一人でやっていたり、廊下に落ちているゴミを拾っていたり、普通にいい人のように見える。もしかして、同姓同名の別人なのではと思うほどだが、最初に奈月を見た時の夏目の反応は本人そのものだった。
ある日の放課後、いつも通り一人で下駄箱に向かっていると、クラスの女子達が数人、固まって話をしているのが聞こえてきた。
「本当に日直やらなくていいの?」
下駄箱の陰に隠れてそっと盗み見ると、今日日直の女子と、その友達がいた。
(確か今日の日直は夏目くんだったような……)
夏目が休み時間に黒板を消したり、雑用をしているのを奈月は見ていた。
「いいのいいの、夏目くん怖いし。二人きりとか絶対無理!」
「あーまあ、確かにね(笑)」
「なんか、この前他校の男子ぼこぼこにしてたらしいよ」
(何だそれ)
「明日、もし先生に怒られたら夏目くんのせいにすればいいでしょ~」
「あんたさいてー(笑)」
「いこいこ~」
こんな会話聞いてしまったら、次第に夏目のことが気になってきてしまう。自分には関係ないと思いつつも、彼を見ていた奈月は夏目の性格的に、多分一人でも残って仕事をしているだろうと思った。
(ああ、もうっ!)
奈月は下駄箱を離れ、教室に向かって走り出した。廊下を抜け、教室の扉を開けると、奈月の予想通り自分の席に座って仕事をこなす夏目の姿があった。しかし、想像以上に頼まれた仕事の量が多そうだ。彼女はこれを夏目一人に押し付けて帰ったということか。
勢いよく教室の扉を開けた奈月に、夏目はとても驚いた様子でこちらを見て固まった。
「何してるの?忘れ物?」
夏目が奈月に声をかけた。奈月は上がった息を整えると、
「こ、こっちのセリフだよ!何で、一人で日直の仕事してるの⁉」
奈月が大声で叫んだので、夏目は委縮したように困惑している。
「だって、先生に頼まれたし、教室に俺しかいなかったから。相手は、用事でもあったんだろ」
「…」
こんな時でも、相手の子は責めないのが夏目だ。何も言わずに夏目を一人にするなんて、怒ってもいい所のはずなのに。奈月はギュッと口をつぐみ、自分の席をひいた。
「私も、手伝う」
「は…?」
夏目はびっくりして奈月を見つめた。
「いいよ、帰れよ」
少し突き放すように言ったのも、夏目の優しさだと奈月はもう分かっていた。だから、
「やだ」
夏目の言葉に被せるように言った。自分は案外頑固な性格なのである。意外な奈月の返答に夏目はまたも困惑している。
「それに、二人でやった方が、早いでしょ?」
夏目の机に置いてある紙を持ち上げながら、そうほほ笑んで言った。すると、夏目も折れたように、
「勝手にすれば?」
と言った。口をとがらせて不満そうな、でも頬は赤く染まっていて嬉しそうな表情に見えたのは、窓から差し込む夕日のせいだと、奈月は思いたくなかった。
量が多いと思っていた仕事も、二人でやったからか意外と早く終わった。それを夏目が届けに行ってくれたので、奈月は下駄箱に向かった。夏目から、「下駄箱で待ってて」と言われていたので、素直に待っていると、数分後に夏目がやってきた。手には二つ飲み物を持っている。
「あー、今日はありがとう」
照れ臭そうに言って、飲み物の一つを奈月に向かって投げた。そうして歩き出した夏目を見ると、耳が真っ赤になっていた。奈月は胸の奥がきゅっとなったのに気づかないふりをして、平静を装って、後ろ姿に声をかける。
「これ、炭酸だけど。投げちゃって大丈夫?」
そう言うと夏目がすごい速さで振り返り、奈月から飲み物を奪って、夏目が持っていたもう一つを押し付けた。
「ありがとう」
奈月がほほ笑むと、夏目は目をそらして歩き出した。それを早足で追いかけて、横に並んで歩く。
(面白い)
強気そうな夏目の頬が染まること、意地悪をしたときの表情が奈月はたまらなく愛おしかった。もっと夏目を知りたいと思うようになっていた。
翌日から、夏目は奈月の後をついてくるようになった。朝教室に来たときは、嬉しそうに挨拶をしてきたし、休み時間のたびに話しかけてくるし、お昼ご飯にも誘われた。奈月も断る理由もなく、一緒にご飯を食べた。まるで自分だけに懐いた犬みたいだった。奈月がいない時は怖い雰囲気があるが、奈月が来た瞬間尻尾をぶんぶん振って、顔もぱあっと明るくなる。クラスの人達は急に絡み出した二人に戸惑っていた。奈月は悪い気はしなかった。奈月の知る夏目は優しくて、少しプライドが高く、でも奈月の言うことは何でも聞く存在だった。
22
新学期になり、クラスで委員会・係決めを行うことになった。前日に夏目からどれにするか催促する電話がかかってきたので、「人がいないところ」と答えると満足そうにしていた。同じのになりたいと素直に言わないところがまた良い。隣で期待の目を向ける夏目を見て、奈月の中でいじめたい欲が出てきてしまった。
他の委員会が順調に決まっていき、図書委員の時にたくさんの人が手を挙げた。前学期の時は人気がなかったが、他と比べると中々仕事が楽らしい。人気の委員会になっていた。たくさん手が挙がる中で奈月も右手を挙げた。夏目は奈月の行動に戸惑いながら、慌てて手を挙げる。その焦った顔を横目で見て、奈月はにやける。結局くじ引きで決めることになり、運がいいのか奈月は当たりくじを引いた。もう一人、当たりくじを引いたのは、クラスで目立つタイプではないけれど、結構かわいい系の顔立ちをしている眼鏡の男子だった。奈月が手を挙げたことによって次々に男子が手を挙げていき、大半が図書委員に立候補したので、その中で当たりくじを引けたのはすごい確率だ。でもクラスのうるさい人と一緒にならなくてよかったと、内心ほっとした。
隣の夏目は分かりやすいくらい落ち込んでいて、奈月の視線を感じて目線を上げると、裏切ったとでも言いたげな泣きそうな顔をしていて、思わず抱きしめそうになった。夏目は余った委員になり、同じになった女の子は大人しめな子だった。
放課後になり、帰ろうと立ち上がると、夏目に呼び止められた。一緒に下駄箱へ向かう。毎日一緒に帰ろうと約束しているわけではないけれど、大体帰ろうとすると夏目に引き止められて、そのまま一緒に帰っている。門を出てすぐに夏目が話しかけてくる。
「何で図書委員にしたの?」
「何でそんなこと聞くの?」
「え、いやだって人がいないところにするって、昨日…」
「気が変わったの。どうしたの?同じにしようなんて言ってないよね?」
不満そうな夏目の顔を覗き込み、意地悪を言う。
「そ、そうだけど…」
「もしかして、同じが良かった?」
そう言うと夏目は顔を真っ赤にして、
「そ、そんなんじゃないし!」
と大きな声で否定した。
(かわい~)
そんな夏目を見ながら奈月はにやにやが止まらなかった。夏目の反応が可愛くて、歯止めが利かなくなりそうだ。
このころには奈月はとっくに夏目のことが好きになっていた。彼もきっと奈月のことを好いている。奈月は夏目の口からその言葉を聞きたかった。悠佑のことを考えていないわけじゃなかったけれど、自分の気持ちを変えることもできなかった。夏目のことを知れば知るほど、愛しいと思うようになっていた。
図書委員の仕事は月に一回図書室の当番をするだけ。ポップを書いたりするのはやりたい人だけでいいそうだ。一年から順に回ってくるので、奈月の当番はすぐに来た。同じ委員の中田くんと共に図書室へ向かう。夏目が一緒に帰りたいと素直に言ってきたので、教室で待っててと伝えた。
図書室に入り、席に並んで座る。テスト期間でもないので、人はほとんどいない。中田くんと他愛もない話をしたり、読書をしたり、ぼーっとしたりしていると、結構あっという間に終わった。施錠をして、教室に向かう。中田くんも荷物を教室に置いているようで、一緒に教室に向かった。
奈月のクラスから話し声が聞こえてきた。まだクラスに誰かいるみたいだ、こんな遅い時間まで。きっと誰かが部活帰りに教室に寄ったのだろう。奈月なりに気を遣ったつもりだったが、夏目には図書室で待ってもらっていた方が良かったかもしれない、と申し訳なく思っていると、その声の一人が夏目であることに気づく。もう一人は女の子の声だ。
(は…?)
教室に入ると、夏目は自分の席に座り、奈月の席に女の子が座っていた。奈月に気づいた夏目は嬉しそうな顔をするが、奈月の顔は晴れなかった。奈月の席に座っていたのは夏目と同じ委員になった佐藤さんだった。先ほどの、二人で話す夏目の顔が楽しそうで、奈月はもやもやする。奈月と中田くんに気づいた佐藤さんは、慌てたように席を立って、奈月に詫びた。すると夏目が、
「俺が座るように言ったんだ」
と、佐藤さんを庇った。奈月は怒りがこみあげてくるのを感じて、荷物を奪い取り、中田くんを連れて、教室を出た。夏目が焦ったように、奈月の名前を呼んだがそれを無視して走り出した。
下駄箱まで行って立ち止まると、中田くんも立ち止まって、はあはあ言っている。そのすぐ後に夏目が追いかけてきた。逃げるように靴を履き替えて、中田くんに挨拶をして飛び出した。中田くんに申し訳ない。佐藤さんにも、みじめに嫉妬して、彼女は何も悪くないのに。逃げる奈月の手を夏目はすぐに掴んだ。
「奈月ちゃん…」
奈月は振り返らない。
「怒ってる、の?」
何も話さない奈月に夏目は続けて言葉をかける。
「佐藤さんが席に座ってたこと?あれは俺のせいだよ!ごめん…」
(違う)
今、夏目から彼女の名前を聞きたくなかった。奈月は開き直ったように夏目に当たり始める。
「いつの間にあんなに仲良くなったんだね?いいじゃん、佐藤さんいい子そうだし、付き合えば?」
「え……?何で、そんなこと言うの?付き合わないよ」
夏目の悲しそうな顔が奈月の目にうつった。心が痛くなるけれど、止まらなかった。
「じゃあ何で楽しそうに話してんの?私より佐藤さんといたほうが楽しそうじゃん。私も中田くんと付き合おうかな、優しそうだし」
思ってもないことまで言ってしまう。自分にこんな黒い感情があるなんて。
「何でそんな試すようなこと、するの……?」
夏目の顔をそらして言った言葉に答えた彼の声は震えていて、ハッとなり夏目を見ると、彼の目からは、ぽろぽろと涙が流れていた。
(あー最低だ…)
「好き」
夏目の泣き顔を見て、奈月はそう言っていた。今まで散々言わせようとしていた言葉を自分で口にしていた。夏目に言わせたいとか、もうそんなことどうでもよくなっていた。
「へ…?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で夏目が首をかしげる。
「好き、だから。嫉妬した、だけ。ごめん……」
言っていて猛烈に恥ずかしくなって、目をそらした。
「お、俺も!俺も好き!」
まだ涙の乾いていない顔で夏目は嬉しそうに言った。その笑顔は奈月の好きな夏目の表情で、安心した。
「知ってる」
奈月が笑うと、夏目は恥ずかしそうに頭をかいた。
「奈月ちゃん、付き合って」
奈月を真っ直ぐに見つめた夏目に、
「うん」
と答えた。こうして高一の秋、奈月と夏目は恋人になった。
23
「分かった。夏目くんと会ってみたい」
奈月の話を聞き終えた僕は、少し考えた後頷いた。
「は⁉」
樹が驚いた顔で悠佑を見る。
「え、本気で言ってるの?」
「うん」
悠佑がもう一度頷くと、信じられないと言った様子で見つめる。
「悠佑くん、いいの?」
奈月が伺うように悠佑を見る。
「奈月ちゃんの話を聞いた時、ちょっとだけ納得できたんだ。この前、夏目くんが高校に来た時、少し様子がおかしくて。でも謝ろうとしてたって分かったら、そういうことかって」
「悠佑…」
「とりあえず、今の夏目くんと会ってみたい。でも奈月ちゃんと樹と一緒ならって話なんだけど…」
「もちろん、そのつもり」
悠佑の提案に奈月が頷く。
「もう二度と悠佑くんにつらい思いはさせないって約束する」
奈月のことはよく分かっているつもりだ。三年間ずっとそばにいたから。今はただ奈月を信じたいという気持ちだった。樹は納得のいっていない表情だったが、悠佑の様子を見て、しぶしぶ了承してくれた。
数日後、奈月に言われた場所に樹と向かう。樹は朝から不機嫌そうな顔で、ぶつぶつ文句を言っていた。待ち合わせの場所に向かうと、すでに奈月と夏目は到着していた。
「悠佑くん、月城くん、来てくれてありがとう」
奈月のすぐそばには、夏目が立っていて、気まずそうな顔で悠佑を見ている。悠佑達は奈月に連れられて、カラオケの一室に入った。ファミレスやカフェだと、周りが気になってしまうと思って、奈月が予約してくれた。
四人それぞれソファに座る。奈月と夏目、悠佑と樹が隣同士で座り、夏目と悠佑は向かい合った。ここまで夏目は一言もしゃべっていない。悠佑の隣からは夏目に鋭い視線を放っている。奈月が夏目の背中をポンと押すと、夏目は覚悟を決めたようにまっすぐ悠佑を見た。この前はあまり気にしていなかった(気にする余裕がなかった)が、改めて見てみると、オレンジの髪にいくつかのピアス、中学の時とは全然別人のようだった。
「ごめん!」
夏目は開口一番謝罪し、悠佑に頭を下げた。
そして、自分の過去の話から今までを話し始めた。




