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序章

 船縁に立ち、海を眺める彼女はとても美しかった。

 風にたなびく射干玉の黒髪を細い指で押さえる姿は楚々として、海面に煌めく日の光が反射して聖女と呼ばれるに相応しい、聖画の一幅のような光景。

 思わず嘆息を漏らしてしまう。


 共に旅に出た時は十六歳のまだ幼さを多分に残した少女だったけれども、一年が経って、彼女の美しさは完成されたように思う。

 背は高いと言うほどではないが、ほっそりとした手足が長く、細い首に乗った頭が小さいせいかスタイルが良く見える。

 豊かではないが艶のある曲線を描く肢体を包む修道服が、同性でも背徳的な色気を感じさせる。

 どこか物憂げな表情を浮かべた、人形のように整った顔立ち。


「テレサ」


 わたくしが彼女の名前を呼ぶと、ゆっくりとこちらを振り向く。

 あまり感情の色を見せない、深い海を覗き込んだ時のように、吸い込まれてしまいそうな濃い紫の瞳が私を捉える。


「姫さま」


 淑やかな微笑みを浮かべるテレサ。

 姫と呼ばれるのは距離を感じて、あまり好きではない。

 テレサはけして名前で呼んではくれない。

 この一年で、少しは打ち解けたとは思うけれど、テレサの丁寧な態度にはどこかよそよそしさを感じてしまう。

 私はその態度がもどかしい。


「もうすぐ帰れますね」


 彼女の隣に立って、船の向かう先に目を向ける。

 そこにはただ水平線が広がるだけだけど、その先に故国ローレタリアがあるはず。

 二度と戻れない覚悟の旅であっただけに、さすがに感慨深いものがある。


 私たち四人は一年前に魔王を倒すための旅に出た。

 私とテレサ、そして私の双子の兄アレクと魔女ティティスの四人だ。

 魔王とは数十年に一度現れる魔獣の支配者のこと。魔王が現れると魔獣たちは人間に対して統率された敵対行動を起こす。

 大陸列強の五王国は連合軍を結成して魔獣の群れを防ぐとともに、魔王を倒せる聖剣の担い手たちを多方面から魔王の本拠に浸透させた。

 聖剣の担い手を集結させないのは、聖剣同士は近づけると干渉してお互いの力を封じてしまうから。

 私たちもその一隊で、そして魔王の討伐を成功させた。


「帰ったらきっと大騒ぎですね」

「祝典とかきっとたくさんです」


 テレサはそう言って肩をすくめてみせる。

 彼女は正教会が正式に認定した聖女。大陸中に国家を超えて信徒を持つ正教会は、五王国ですら無視できない発言力を持っている。その中でも聖女は、正教会の頂点に立つ総主教猊下ですら命令することのできない、組織体系から超越した存在だ。

 格で言えば、大陸に冠たる五王国の一つローレタリア王国の第一王女である私よりも、あるいは高いかもしれない。

 そう、彼女は大陸でただ一人かもしれない、私に阿る必要のない同世代の女の子。

 身分を気にすることなく、お友だちになれるかもしれない人。


「ねぇ、テレサ」

「はい」

「忙しくなったら言えなくなってしまうかもしれないから、いま言っておきたいことがあります」

「何でしょうか?」


 小首を傾げるテレサ。

 何気なく出てしまう仕草がどこか幼気で、可愛らしい。


「あの、私とお友だちになってくれませんか」

「友だちですか?」


 何でそんなに不思議そうな顔をするのだろう。

 もしかして、テレサとしてはとっくにお友だちのつもりだったとか。


「今更と思うかもしれませんが、私、その、お友だちがいなくて」

「姫さまは皆に慕われていると思いますが」

「それは私のローレタリアの王女と言う立場があってのもので、私個人と対等に話してくださるお友だちはいないのです」

「たい、とう?」


 その言葉を呆然として漏らしたテレサが、顔を伏せる。

 そんなにおかしな言葉だったかしら。


「聖女のあなたであれば宮殿に自由に出入りしても問題ありませんし、よろしければお部屋を用意させます。ですから…」

「お断りします。わたしはあなたの友だちになんてなりません」

「…え?」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 顔を上げたテレサの目には、強い拒絶が宿っており、「何故」という言葉を飲み込んでしまう。

 傲慢にも私は、断られるということをまったく想定していなかった。

 一年も一緒に旅をして、共に死線をくぐった仲間なのだ。強い信頼関係と絆があると思っていた私は、そんなにおかしいだろうか。


「どう、して?」


 私を睨め付けるような、彼女の瞳。

 いつもの凪いだような、どこか醒めた目ではなかった。

 怒り、憎悪、嫌悪。込められた感情の強さに圧倒されて、それしか聞き返すことができない。


「あなたのことが嫌いだからです」


 それ以上の追及を許さない冷たい言葉に、私は何も言うことができなくなった。

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