1・v日常(ヴィにちじょう)
「ですから、v域はデジタルの【森】と称されています。v獣も野菜によく似た姿をしています。しかし、アメリカや中国で確認されたv域は【海】だという報告があり、v獣も海産物の姿だと言われています。つまり、現時点ではほとんど何もわかっていない――」
昼下がりの教室に、ややアニメ声気味の可愛らしい声が響く。
担任の吹田透先生が板書しながら現代社会の教科書を読んでいた。
吹田先生は新卒だそうで、まだ高3くらいに見えなくもない。
俺が言えたことじゃないが。
なんなら、初めて俺を見たとき、小学生が紛れ込んでると大パニックになったくらいだもんな……メガネを何度もかけ直してたけど、意味あったんだろうか。いやないな。
流石に入学して二週間も経った今は慣れてくれた……と信じたい。
「――しており、v獣対策の組織VTTが設立。その構成員を選抜するためにv獣対策学校が……と、みなさんはもう知ってますから飛ばしますね」
先生が笑い、クラスメートたちも笑う。
そりゃそうだ。ここはv学。
若者しか視認できず、若者しか干渉できず、そして若者しか襲わないv獣に対抗するための技術を学ぶ学校なんだから。
「ごめんなさいね。わかりきったことを言ってるみたいだけど、現社のテキストは一般の高校と同じだから」
v学ではもちろん、v獣とその対策について学ぶ。
しかし、文部科学省公認の中高一貫教育校であるから、一般科目も当然、授業はある。
大きな違いとしては、一般の高校の体育の代わりに対v獣の実技が加わり、かつ多く枠がとられていることだろう。
今日も朝から実技が山ほど入っていた。
熱中症対策で午前に枠が当てられることが多く、それは理解できるのだが……
「(眠たい……)」
体力をバンバン使ったあとに昼食があるもんだから、眠い。
しかし、寝るわけにはいかない。
なぜなら、俺の席は最前列真正面だからだ。
……女子を含めてもダントツで一番小さいからね……後ろだと見えないからね……
なんて考えてたら、うつらうつら……。
「あだぁあああっ!?」
肩口に強烈な衝撃が走り、痛みで意識が引き戻される。
「いってぇ……」
振り返ると後ろの席の暴君がムチをまとめて手の中で弄んでいた。
「授業中に寝るな」
「はわわ、授業中にムチも使わないでほしいんだけど……」
この「はわわ」も最初は冗談かと思ったが、先生の口癖である。濃いクラスだ……。
「ニャッハッハ。許せ」
先生の言葉もどこ吹く風。
夜崩は、こんな無茶苦茶なくせに授業は真面目に受ける。
何でも帝王学の一環だから、暴君としては真摯に受けて当然、らしい。
こいつの感覚は未だによくわからない。しかし痛いな……
「もうっ、蛇崩さん、何してるの!」
傷口をさすっていると斜め後ろの方でガタッと誰かが立ち上がり、いきなり俺の頭をロックした。何も間違えてないぞ。俺はいきなり頭をロックされた。
「えっ、なっ」
「よーしよしよし」
クラスメートの鎌倉賦が、めちゃくちゃ俺の頭を撫でている。
「いや、何して……」
「痛かったでしょ~。お姉ちゃんが撫でてあげまちゅね~~よーしよしよし」
「いや、俺は子どもじゃない……っていうか色々当たってるって……!!」
賦――ふわりちゃんは、身長は平均的だが、お胸のほうはボリューミーなため、頭をロックされると滅茶苦茶当たる。
そんなことお構いなしに、可愛がりが止まらない。
普段はごく真面目なのに、いったんスイッチが入るとこうなってしまう。
お姉ちゃんと言うが、もちろん血のつながりはないし、そもそも同級生だ。
あと、真面目なのは確かなのだが、髪がどピンクなのはこの裏の顔に異常にマッチしていて、常識では推し量れない深淵を感じる。
常識で計れないのは夜崩もそうだけど。
「痛いの痛いのとんでけ~」
肩を叩かれたのに頭を撫でられてる意味がわからない。
だが今に始まったことじゃない。高校進学で同じクラスになってからずっとだ。
俺や夜崩は中学エスカレーター組だが、ふわりちゃんは高校から入学組なので、彼女のファーストインプレッションでは飛び級小学生くらいの感覚なんだろう。
それが焼き付いているのか、俺は幼女じゃない、そう何度も言っているのに、聞く耳もたない。
「ふわり貴様っ、何をしておるっ!!」
頭がロックされているのでよく見えないが、暴君がお怒り遊ばせているらしい。
それは俺への救援ではなく――
「貴様の胸は暴君のものだと言ったはずだっ!!」
夜崩は強引に俺のロックを外すと、自分がそこに頭を突っ込んだ。
俺はほっぽり出されて尻もちをついた。
「ニャハハハハハ! 苦しゅうない!!」
柔らかさを楽しむように頭をぐりぐりする夜崩。
こいつは、女を侍らせるタイプの、まさに暴君だ。
女にしか手を出さないが、俺だけやたら被害に遭うのは、男として見られていないということだろう。悲しい事実だ……。
「もう、貴方、甘える年じゃないでしょう!」
俺もだよ!!
そう突っ込もうとしたら、今度はがっしりした腕が俺の頭をロックした。
「命人、てめぇっ!! いっつもいっつもてめえだけ美味しい思いしやがってええっ!!」
怨念バリバリのヘッドロックをしかけた主は、裳立九介。
高校入学組で、金髪で高校デビューしたつもりが、真っ赤な頭の暴君やらピンク髪の暴走お姉さん(同級生)だのがいて、まるで目立てなかった男だ。
美味しい思いというのは客観的に見たらその通りだろう。
将来、思い返してそう思うかもしれない。
だが――
「俺は幼女じゃない!! 可愛がられるなんて迷惑だ!!」
これが噓偽りない俺の本心だ。
可愛がられるたびに、ひどくむなしい気持ちになる。
こんなもの、「今だけ」だ。
すぐにただのちっさいおっさんになるだけだ。
そうなった時に、今のように構ってくれるか?
きっとそうじゃない。
だからそんなことには頼りたくない。
「俺は、「男として」認められたいんだよ!!」
「なにをこの贅沢者がぁ!!」
「ひゃん! やめなさい!」
「良いではないか。良いではないか。我が第二夫人ふわり!」
「お姉ちゃんならなってあげてもいいですけど、第二夫人なんてまっぴらごめんの助です!!」
教室内は大騒ぎ。
「はわわ……あの……授業……」
先生の声が、むなしく響いた――