学校には言わないでおいてあげるから……
翌日。
今日は土曜なので学校は休みだ。回復時間を見越しての訓練だったのだろう。よく考えられている。
筋肉痛はひどいが、動けないほどじゃない。せっかくの休みだし、本屋にでも行こうと、町に繰り出した。
本は自分のほとんど唯一の趣味と言っていい。
昔から夜崩に引っ張りまわされて色んなことに手を出しているから、水泳とかカバディとかフィーエルヤッペンとかヘディスとか経験自体はありはするが、むしろ、その反動も有ってか自室でゆっくり本を読むのが性に合っている。
さて、お気に入りの本屋は、v学からもほど近い桜松商店街の田貫堂書店だ。
近年、本屋というと不況の影響を受けて、売れ線の本だけを集めたところも増えているが、便利ではあるものの、キオスクのようで寂しい。少なくとも知らない本との出会いが少ないのが残念だ。
この田貫堂は、商店街の中では店構えが大きな方で、二階建てになっている。1階が新書や文庫、ハードカバー本などのいわゆる活字本と雑誌、二階がコミックと、奥に成人向けコーナーがある、わりと普通の本屋だ。
ただ、店主が「私の趣味だけで仕入れました」と豪語するコーナーが人気で、これが毎月入れ替わる。なので最低でも月に一冊そこから買うのが楽しみなのだ。
先月なんか、とある平安もののスマホゲームの画集と、それの元ネタとなる歴史上の人物の評伝全部を用意してたのが面白かった。
そのゲームはやっていないが、とりあえず清原元輔の本を買った。清少納言の父だそうで、全然知らなかったけど、だから新鮮で楽しかった。
知らないものを読むほうが楽しいのだ。
今日も今日とてそのコーナーに直行。
今月は毒特集らしい。毒きのこの本とか、毒魚の本とかが集められている。初夏だからとか全く気にしていないのが男らしい。
店長は、令和のこの世でバーコード頭でちょび髭という、覚悟の決まったスタイルをしているので、もう我が道を行くのだろう。
毒きのこにするか、カモノハシ――毒があると初めて知った――専門書にするかを吟味していると、二階から声がして来た。
「だからッ! あーしは、短大生だってッ!!」
「どう見ても中学生だろう」
「見た目なんかどうにでもなるし! 幼女みたいな男子高校生だっているんだし!」
「そんなのいるはずないだろう! 何を言ってるんだ君は!」
「さっき一階にいたじゃん!!」
おい。
完全に俺のこと言ってないか?
「……」
関わるかどうか、強烈に迷う。
迷うが……声に聞き覚えがない。知らない人間が一方的に俺のことを知っているのも、あまり気持ちのいいことじゃない。
確認のために二階に上がることにした。
階段を上がり切った時、俺はこの選択を後悔することになる。
「あ」
「あッ!?」
そこに居たのは、エロ本――成人漫画『ギャルとオタクのv値な生活』――を手に、店主にそれを咎められている頭を緑と青に染めたツインテールのあの少女だった。
こんな再会しとうなかった。
髪色の派手さと並べるかのように、顔面を耳まで真っ赤に染めている少女。
そりゃ、恥ずかしいだろうしなあ……
ほとんどホットパンツなみのカットのジーンズに、ショート丈のトップスでヘソ出しの装いは、まさにギャルといったところだが、ギャルものの本に興味あったんだろうか……。
オタクだってオタクものを買うし、無いことは無いのか……?
「ほっ、ほらあの子! ああ見えて高校生だし!」
「何を馬鹿な。あの子は常連のおちびさんだ! 近くの桜松小学校の子だろう! あと、たぶん図書委員だろう。きっと学校の図書館の本で満足できなくて、変わった本を買っていくんだ!」
ちがうよ。
店長、そう思ってたの?
あとストーリーが勝手に出来上がりすぎてない?
「あのー……」
「来ちゃいかん! この女学生がえっちな本を持っているからな!!」
今時、女学生とか言わないよ。昭和1桁までじゃないかな……
不意に出てしまうくらい近代文学が好きなんだろな……
「ええと、誤解があるようなのでひとつだけ」
俺は、鞄から学生証を取り出して告げる。
「俺、男子高校生です」
「なんだとォーーーー!?」
店長が膝から崩れ落ちた。
そんなにショックだったの……?
「なんてことだ……来月は女子小学生向けの本で発注したのに……」
「MAJIDE」
「あそこ、毎月欠かさず買ってくれるのは君だけだし……」
「そうだったんですね……」
買っている人はちょこちょこ見かけるから、毎月のセレクションに合う人はいるんだろうけど、コーナーのファンは他にいなかったのか……
「ふふん。これではっきりしたっしょ。このコは男子高校生だった。一匹でも白いカラスがいたらなんとかっていうアレ。要はそういうこと」
「それはそれこれはこれ。はい生徒手帳出して」
全然通用してなかった。うん、ロジック通ってなかったもんな……
こうして、その子は、べそをかきながらエロ本を店長に返したのだった。
「あのねえ、私も立場上おおっぴらに言えないんだけどねえ、若いモンがエロ本に興味があるのもわかるのよ。でも、もうちょっと大人っぽく化けて来るとかしてくれないと、間違って売ることすらないよ君……」
俺の場合はどんなに変装しても駄目だろな……
「うう……」
「学校には言わないでおいてあげるから……」
肩をポンポン叩かれて、階段を降りていく少女。
「何見てんのッ!!」
「えー」
君が俺を巻き込んだんでしょうが! 恥ずかしいのはわかるけども!
こうして、「戦闘訓練に現れた謎の天才少女」という記憶は、「エロ本を買おうとして止められていた謎の少女」へと上書きされていった。
――と、それで終わる話ではなかった。
毒きのこの本を買った帰り、商店街を出たところ――北口には桜、南口には松があり、こちらは桜側――で、違和感をおぼえた。
視界に何かがちらついたような、感覚。
これには覚えがある。
「v域……!!」
はたして、入道雲の中で雷が走るように、遠くの空に緑色の光が迸った。
場所は、v学の学生寮の真上だった。