第五話 ガランとした牧場
賊に襲われた後は何事もなく帰路を急ぐことが出来た。幸い、ハイソニックの体調も崩れることなく、ハワード調教牧場まで帰ることができた。
ハワードの留守中、先輩牧夫のジンが皆をよくまとめていて、牧場内もその間、大きな事件はなかったようだった。
そして、ハイソニックを繋養してから幾らか日が経った。
この頃、隣国のハルバスと国境付近の数か所で小競り合いが立て続けに起こり、両国間の関係は元々悪かったが一層険悪になり、一触即発の状況になりつつあった。
メイランドとハルバスの友好関係がこれほど悪いのには二つ理由がある。一つは、ハルバスの国王が好戦的なこと。もう一つは両国王同士の反りが合わないことである。
両国間の緊張感の高まりによる、メイランド国内の空気の変化は徐々に広がって来ていた。
ハワード調教牧場もその例外ではない。
「戦争になるのかなあ……」
ジンはラチ(コースの内や外にある柵)の補修など、牧場内の調教コースの整備をしながらそうつぶやいた。
「嫌ですよね戦争は……」
ジンと一緒に近くで作業をしているファルスが、やや暗い表情で返した。
「王様同士の仲が悪いのがどっちの国にも伝わって、メイランドもハルバスの人たちもどっちもがお互い憎むようになっちゃったからな」
「今の王様になってから、そうなっちゃったらしいですね」
ファルスはラチの修理をしながら国のことについてジンと話していると、ふと遠方の視界に見覚えがある人影が入ったのに気付いた。
「ジンさん。あっちを見て下さい」
「どうした?」
そう言ってジンもファルスが目を向けている方を見ると、
「あれはジオルグ様だな、メルナお嬢さんもいらっしゃるな……」
と、牧場内に入ってくる二人に気付いた。
「また来たぞハワード」
「こんにちは、ハワードさん」
ジオルグとメルナの二人は牧場内の事務室に入り、ハワードと会っていた。
「これはよくいらっしゃった。また、しばらくでしたな。ジオルグ様の部下のクーゲルとパイクさんには先日、大変お世話になりました。礼を言います」
ハワードは、事務机にある雑然と並べてあるように見える大量の書類を処理している最中だったが、二人が現れたのを見とめると手を止め、ハイソニックの件の礼を言った。
「何、礼には及ばん。あの二人が役に立ったようで良かった」
そう返すとジオルグは話を変えるように、
「ところで、ここへ来たのはわけがあるんだが、大方察しはつくか?」
と、ややぼかすようにハワードに訊いてきた。
ハワードはやや顔を曇らせた。ジオルグが言いたいことが分かっているようだった。
「軍馬のご購入ですか?」
ずばりと言い当てられたジオルグは苦笑した。
「やはり、俺の顔に書いてあったか。気持ちは分かるが、そう嫌そうな顔をせんでくれ」
「正直あまり気は進みませんな」
ハワードは渋い表情のままだ。国のために軍馬を育てて売るのも使命の一つだとハワードは考えているが、今回、馬を売ることになると、十中十までハルバスとの戦争に使われることになるのが分かっているからだ。
「まあ、そう言わんでくれ。で、必要な頭数なんだが、今、走れる馬をすべて購入したい」
それを聞いてハワードは目を丸くした。
「今、なんと言われました?」
「走れる現役の馬すべてと言った」
ジオルグはやや押しを強めて言った。
「種馬や繁殖牝馬まで売れとはもちろん言わん。牧場の維持はできるはずだ。まあ、お前の育成計画などは大分狂うかも知れんが……」
「ええ、考えていたことが台無しです」
ハワードは頭を抱えたかった。
「すまんな……。軍馬の購入時の代金は十分用意する。まず、牧場内にどの程度走れそうな馬がいるか改めさせてもらうぞ」
ジオルグも気の毒そうな表情をしていたが、後には退けないようだ。
「仕方ありません……。ご自由にして下さい」
ハワードは力なく席を立ち、外で仕事をしているジンとファルスを呼んだ。
ジンとファルスもやや憮然としながら、ジオルグとメルナを案内していた。ハワードから一連のことを聞いたからだ。
「厩舎にいるのと放牧中の現役の馬は、全部でこれだけです」
ジンは一通り馬を見せるとそう言った。仕事だから仕方がないというような表情をしている。
「うむ、有難う。思っていたよりは頭数がいるようだな」
ジオルグは少し安心しているようにも見えた。軍馬購入の主命を何とか果たせそうだと思ったからだろう。
「……本当にすべてですか?」
ファルスが訊いてきた。ジオルグに対して、若干恨みのような表情も含んでいる。
「ああ、すべてだ。それもなるべく早くすべての現役馬を調整して欲しい」
「どのくらいの期間で?」
「一カ月は見るが、なるべくそれより早い方がよい」
期間の短さに二人は驚いた。
「そんなに早くですか?」
「そうだ、無理を言う」
その後、少しの間、沈黙が走った。
「ハルバスとの交戦は恐らく避けられないだろう。しかも、知っているだろうが、情勢は非常に緊迫している。近いうちにどうなるか分らんからな」
放牧場の馬は何事もないようにくつろいでいるが、対照的にジンとファルスの表情は冴えないものがあった。
「私もお馬さんを戦争に連れていくのは嫌だけど、国を守るために必要なの」
メルナが口添えするように言った。それを聞いた後二人は、
「分かりました、ハワードさんと相談して、なるべく早く調整します」
と、割り切って言った。
すべての現役馬の調整を行うため、ハワード調教牧場の雇用人はしばらくの間、休まず忙しく働いた。その結果、納期より一週間程早く調整が済んだ。
納馬は頭数が多いため、ジオルグが多数の部下を引きつれて、直接牧場まで引き取りに来た。順調に納馬も済んだが、当然、牧場内はガランとなった。
「寂しくなっちゃいましたね……」
残されたハイソニックなどの種馬や繁殖牝馬の世話をしながらファルスがそう漏らした。
「仔馬もいるにはいるが、育つまでかかるからな。何にしろいい気分じゃないな」
ジンもため息混じりだった。
「管理する馬が一気に減って、暇になっただろう。なんならお前、一度里に帰ってみるか? こっちに来てから全然帰ってないだろう?」
ファルスはしばらく考えたが、かぶりを振って、
「一人前……せめて半人前くらいになるまでは、里に帰らないと決めて出てきました。だから、ここに居ます」
そうきっぱりと答えた。
「そうか、無理することもないと思うが、そう言うんならここに居ればいいさ」
ジンはそう言うとまた辺りを見回して、
「それにしても、寂しいな……」
と、寂寥感にさいなまれてつぶやいた。
納馬が済んでから程なく、メイランドとハルバスの間で戦争が勃発した。両国のそれぞれ半数の軍が動く大戦となり、国境間の戦場では激戦が繰り広げられていた。
戦争は一カ月半程の期間行われたが、徐々にメイランド側が優勢になり、攻め込んで来たハルバスの軍を撤退させることができた。
戦争が終わり、メイランドにも平穏な空気が戻って来た。
しかし、ハワード調教牧場には、国に売った馬が戻ってくるわけではない。
「……」
ハワードは事務室で今いる仔馬の育成計画と、繁殖牝馬の種付けの計画を練っていた。国に現役の馬すべてを売ったことで、経営計画も何もかも台無しになったが、いつまでも引きずるわけにもいかないという思いがあるのだろう。
ハワードが計画の書類を作りながら考えていると、事務室の戸が開き、誰かが自分の席に近づいて来るのに気付いた。
「これはジオルグ様……」
「邪魔するぞ、ハワード」
ジオルグを見た時、ハワードは渋い表情が自然と出てしまっていた。それを見たジオルグは苦笑し、
「ははっ、俺は嫌われ者になってしまったな。まあ、そんな顔をせんでくれ、今日は軍馬の件で礼を言いに来たのだ」
「ありがとうございます。しかし、ハルバスとの戦いで勝利したのはよかったと思いますが、うちから購入して頂いた馬は無事かどうか気にかかっております」
ハワードがそう言うと一瞬間があったが、ジオルグは答えた。
「全馬とも無事だ」
その言葉を聞いてハワードはやや安堵の表情を浮かべた。
「それはまず良かった……」
ジオルグはその表情を見てから、ハワードの近くにあった椅子に腰かけ話を続けた。
「戦争前にここで買った馬はすべて優れた馬だったのでな、士官用の馬として用いられていたので戦いで危険にさらすことも少なかったのだ。移動や通信で非常に役に立ったぞ。改めて礼を言う」
ハワードはジオルグの目を見ずに聞いていたが、
「ありがとうございます。しかし、役に立ったのならそれでよいのですが、馬が戻ってくるわけではありませんからな」
と、ジオルグの目を見なおして言った。
「その通りだな。そのことに関してはすまないと思っている。だから、個人的にも礼を何らかの形で返させてもらうつもりだ」
ジオルグの口調からは誠意が感じられた。
「ふむ。何らかの形で……」
「ああ、俺も今は、はっきりしたことは言えんが、必ず返礼はする」
ハワードは椅子をくゆらせて聞いていたが、
「分かりました、期待して待っていましょう」
と、笑顔で答えた。
「ありがとう。これを言いに来たのだ。ではまた来る」
そう言って、ハワードに会釈するとジオルグは、颯爽とその場を立ち去った。