第二十五話 トムールの森
ハワード牧場のペガサスが飛んだという噂は、またたく間に国中に広まった。その噂を聞きつけ、牧場は連日、見物客でごった返すようになった。見物客だけではなく、ペガサスのシロを譲って欲しいという豪商や、メイランド国王からの交渉も多々あったが、ハワードは頑として首を縦に振ることはなかった。
そして噂が広まってから数ヶ月が経った、ある日のジオルグ邸。
「せい! せい!」
その日、ジオルグは邸宅の庭で剣術の鍛錬をしており、重い素振り用の模造刀を一心不乱に振っていた。
「せい! ん……?」
鍛錬中であったためか、いつも以上に感覚が研ぎ澄まされていたジオルグは、庭に何者かの気配を感じ取った。それは使用人など、ジオルグに近しい者のものではなかった。
「誰だ、そこにいるのは」
あえて大きな声で威嚇せず、しかしながら、よく通る声でジオルグは何者かに呼びかけた。すると、庭の木陰に身を隠していた何者かが、ジオルグの前に姿を現した。一見、町人風の服装をしているが、身のこなしに無駄がなく、歴戦の手練であるとジオルグは見て取った。
「何者だ」
模造刀の構えを解いてはいるが、ジオルグは油断なく、庭に現れた闖入者の様子をじっと見ている。
「ジオルグ殿とお見受けしました。私はハルバスのアッティラからの密使です。主のアッティラからあなたに、書状を届けるように申し使っております」
ジオルグは非常に驚いたが、表情には出さず、
「受け取ろう」
とだけ言って、密使から書状を受け取った。
「確かにお渡ししました、では」
そう言うと、煙のように密使は去っていった。
(意外な者からの書状だな)
密使の気配がなくなったのを感じとると、ジオルグは鍛錬道具を片付け、屋敷内の自室に書状を持って戻って行った。
自室に戻ったジオルグは、木製の古い味がある机の前にある椅子に腰掛け、書状を見始めた。
書状にはこうあった。
(先の戦では非常な借りができた。重ね重ね礼を言う。そして、この書状を受け取られたということは、敵国の将ながら、私にいくらかの興味を持ってくれている、ということだと思っている。そこで、無礼を承知で呼びつける形になるが、ハルバスとメイランドの国境、トムールの森のある場所で、指定の日時に待っている。そこで、私自身から詳しい要件を話したい。貴殿が来てくれるのを期待している)
「……」
アッティラからの書状を読み終えたジオルグは、しばらく黙って書状を眺め直していたが、
「行ってみるか……」
と、考えを決めたようだった。
アッティラからの書状を読んでから数日後、ジオルグは単身で、書状にあったトムールの森へ向かった。
トムールの森はメイランドからもハルバスから見ても広く、そのため森の中では国境線があやふやになっている。未開の地にもなっており、隠れて他国の者と会うには絶好の場所と言える。
ジオルグが森に入り、愛馬スマートウインドをしばらく歩かせると、小さいが、澄んだ水をしっかり湛えた湖についた。
(トムールの森にこんな場所があるとはな)
ここが指定の場所である。
しかし、予定より早く着いたためか、まだアッティラの姿はその場になく、ジオルグは馬上で静かに待った。
野鳥のさえずり、虫の音が心地よくジオルグの耳にひびく。目をつむって、それらの音をジオルグは聞き分けていたが、その中にクツワの音が混じっているのに気づいた。
「来てくれたか、待たせた。すまん」
アッティラもまた、単身、馬に乗って現れた。それを見たジオルグはニコリと笑い、
「私が思っていた通りの貴君の現れ方だ」
と、二人がいる場の緊張を解くように、アッティラに話しかけた。
アッティラも笑みを浮かべ、先に馬から降りた。それを見たジオルグも馬を降り、両者は地上で少し距離をおいて向かい合う形になった。
「話をしにきたのだ、あそこに丁度いい岩がある。腰掛けて話そう」
そうアッティラは言うと、湖のほとりにある、体躯が大きな二人が十分に座れる岩の方へ歩き始めた。ジオルグもそのあとについて行った。
メイランドとハルバスの将である二人が岩に座ると、景色と一体になり、味と威厳がある絵になりそうであった。
「早速だが本題に入ろうか、お主の国に天馬がいるそうだな。ハルバスにも噂が届いている」
「ほう……ハルバスにまで、既に噂は届いていたか。確かに、私が昵懇にしている牧場に天馬は居る」
少し二人の会話に間があり、その間を虫の音がつないだ。
「その天馬に我が王がいたく興味を持たれてな、ひと目見たいと言われている。しかし、お主の国とは険悪な状態で、それは難しい」
「うむ……」
ジオルグの相槌のあと、アッティラは言葉を続けた。
「そこで、我が王からの親書をここに持ってきた。これをメイランド王にお主から渡して欲しい。内容は天馬のことと、お主の国との親善のことについて書かれている」
ジオルグは驚いた。
「ハルバス王が折れたということか?」
アッティラは首を縦にも横にも振らず、
「折れかかっていると言えるだろう。お主の国といがみ合う理由が、さほど無いことに気付かれたのかもしれん。天馬がきっかけでな」
ジオルグはしばらく考えていたが、
「分かった、親書を預かろう。我が王に渡しておく」
と、了承し、アッティラからハルバス王の親書を受け取った。
「かたじけない、頼んだ」
その後、馬の背にまたがり、二人はそれぞれの国に帰っていった。




