第二話 馬を育てる意義
ファルスがハワード調教牧場に来てから、幾らか月日が経った。
その間、ファルスは牧場主のハワードや先輩牧夫のジンなどから、馬に関する知識や扱い方を仕事をしながら少しずつ教えてもらっていた。最初たどたどしかった仕事ぶりも徐々によくなってきた。
そんな風に、ファルスなりにコツコツと働いていたある日。牧場に、ある一人の王国士官とその娘が姿を見せた。
「久しぶりだなハワード」
「こんにちはハワードさん」
牧場に訪れた士官とその娘は乗って来た馬から降り、ハワードに挨拶した。年はハワードより少し若いくらいで、背丈は大きく筋骨も隆々としている。いかにも武官といった感じの人物だ。
「いらっしゃいませジオルグ様。メルナお嬢様もようこそ。買って頂いたサンダーも元気そうですな」
サンダーとはこの牧場からジオルグと呼ばれた士官が買った馬の名前のことだ。
「ああ、まだまだ元気に走ってくれているが年を取り、少し衰えてきたようだ」
ジオルグは愛馬サンダーのたてがみを優しくなでながらそう言った。
「どんな名馬でも年には勝てませんからな」
ハワードが髭を撫でながらそう言うのを聞いて、ジオルグはそうだろうとうなずいていた。
「そこで今日は、新しい駿馬を買いに来た。すまんが馬を見せてくれんか?」
ジオルグが牧場に来た目的を言うとハワードは、
「分かりました。お気に召されるかどうかは分かりませんが、良い馬が今、何頭かいます。お見せしましょう」
と馬を売ることを了承した。
「ファルス! この方々を案内してくれ」
ハワードは近くで牧場の整備の仕事をしていたファルスを呼び、そう申しつけた。
ファルスはジオルグとメルナを馬達がいる厩舎へ案内した。
「どの馬もよく走りますが、今のうちの牧場ではこの三頭が特に優れています」
ファルスは厩舎の一角に二人を連れていき、そこにいる三頭の駿馬を指してそう言った。
「確かに……他の馬と雰囲気が違うな」
ジオルグはその三頭をじっくりと見始めた。娘のメルナも一緒に観察していたが、メルナはある一頭に目を止めた。
「綺麗な黒鹿毛ね……。ねえ、ファルス君って言ったよね? この馬はどういう馬なの?」
メルナが興味を持ったのは、非常に綺麗な黒鹿毛の毛づやを持った馬だった。体にほとんど濁りがないように見えた。
「こいつは走るのも速いし、何より凄く賢い馬なんです。人の言うことをかなり理解しているようで、どんな時も冷静に走る落ち着いた馬です」
「ふむ、なるほど……。顔も賢そうだな」
その黒鹿毛の馬は見慣れないジオルグとメルナをじっと観察しているようだった。
「私、この子が気に入ったわ。お父様、この子にしましょうよ」
メルナはぱっちり開いた、形のよい可愛らしい目でジオルグを見た。ジオルグは娘のこの目に弱かった。
「そうだな。ファルス君、少し試し乗りしてもいいか?」
「はい。それではコースに連れて行きましょう」
ファルスは厩舎から黒鹿毛の馬を出す用意をし始めた。
ハワード調教牧場には、当然調教のためのコースがある。
そのコースはそう大きいものではなかったが、管理している馬もそう多くないこともあり、調教するには十分な広さがあった。
「じゃあ少し走らせてみるぞ」
ジオルグはひらりと騎乗し、馬を走らせていった。
「ねえ、ファルス君は私と同い年くらいでしょう?」
その場で待つことになったメルナはファルスにも興味を持ったようで話しかけてきた。
「そうですね、お嬢様と年はそう変わらないと思います」
ファルスはメルナの方を見て答えた。メルナはファルスをじっと見ていて目が合ってしまい、ファルスはドキッとした。
「それなのにここで働いてるのね。私くらいの男の子が一生懸命にお馬さんの世話をしていたから、びっくりしたわ」
メルナに感心されたように言われて、ファルスは少し照れていた。
「馬が好きで、思い立ってここで働かせてもらいに来たんです。雇ってくれたハワードさんには感謝しています」
二人が話している内にジオルグが試乗から帰って来た。
「素晴らしい! この馬は本当に賢いな。まるで手足のように動いてくれる。スピードも十分だ」
ジオルグは試乗した黒鹿毛の馬を褒めちぎった。
「よし決めた! こいつを買うぞ!」
ジオルグは馬上から降りて黒鹿毛の馬の首を撫でながらファルスに言った。心底気に入ったようだ。
「有難うございます。それではハワードさんを呼んで来ますね」
「ああ、こいつならサンダーの代わりに戦でも良い働きをしてくれるだろう」
ジオルグの言葉を聞いてハワードを呼びに行こうとしていたファルスは立ち止まった。
「戦……ですか」
「そうだ、隣国のハルバスとのな。どうかしたか?」
そう問われてファルスは一瞬言葉に詰まったが、
「いえ……なんでもありません」
とやや力なく返した。
商談は成立し、黒鹿毛の馬はジオルグが購入することになった。黒鹿毛の馬はジオルグからスマートウインドと名付けられた。
二週間後に納馬することになり、スマートウインドの世話はファルスがそれまでするようにとハワードから指示された。
ファルスの胸中は複雑だった。
「お前は戦争に行くようになっちゃうのかな……」
ブラシでスマートウインドを洗ってやりながら、ファルスは寂しそうにつぶやいた。
(戦争に使われるのなら、こいつを買って欲しくない。でもそういうわけにもいかないのか……)
口には出さなかったが、こうとも思っていた。
世話を続けていると、ハワードが厩舎内に様子を見に来た。
「お前さんも大分馬の扱いに慣れてきたな」
ファルスの仕事ぶりを見てハワードはそう褒めた。
「ありがとうございます」
ファルスはそれだけ言って、世話を続けた。その様子を見てハワードはいぶかしんだ。
「何か思ってることでもあるのか? あれば言ってみろ」
ファルスはしばらく黙っていたが、口を開いた。
「戦争に使われる馬を送り出すのは心がすっきりしません……」
それを聞いてハワードは優しい口調で諭すように言った。
「そうだな。わしも気分のいいものではないよ。だが、馬という動物は走るために生まれてきている。国を守るために戦場を駆け巡る駿馬を育てるのも重要なことだとわしは思っているよ」
「でも、人を殺す道具にもなるし、こいつは殺されるかも知れないでしょう?」
ファルスはハワードへ訴えるように言った。ハワードは近寄って来て、そしてファルスの肩に軽く手を置いた。
「お前は優しいな。こいつも、もう少し平和な世の中で生まれてくればまた違っていたのかも知れんな」
そう言葉を残し、ハワードは厩舎を去った。
スマートウインドはうまそうに餌を食べている。