第十四話 ハワードの夢
「ファルス君! こっちに来てよ!」
「ちょっと待って下さい!」
秋。
ファルスはザバの一件が済んでからも、ハワード調教牧場で、それまでと同じように働き続けた。
「このペンダント綺麗だと思わない?」
「ああこれは、きっとお似合いですよ」
この日のファルスは休暇日で、ジオルグの娘、メルナとメイランドの収穫祭に来ていた。この祭りはメイランド城下町中心部で行われる非常に賑やかなもので、秋の実りをもたらしてくれる神々に感謝を表すものだ。
メルナはファルスのことが、お気に入りになったようで、最近では頻繁に、牧場へファルスに会いに来ている。収穫祭に一緒に行こうと誘ったのもメルナからだった。
「気のない返事ね……。もうちょっとなんかないの?」
「はあ……」
正直、ファルスはメルナに振り回されている感があった。メルナはファルスに気があるということは、先輩牧夫のジンを始め、牧場で働いているほとんどの者が気づいていたが、当のファルスは、その気持が全く分かっていない。
「それもお似合いですが、この青のブローチも身につけられると可愛らしいのではと……」
「そう? じゃあ、これも買おうかな」
ファルスの口から珍しく「可愛らしい」という言葉が出たので、メルナは機嫌を直して露店の主人からペンダントとブローチを買った。
「どう? 似合ってる?」
メルナはブローチの方だけを自分のワンピースの胸元につけて、ファルスに見せた。
「ええ、可愛らしいですよ」
「ふふっ、ありがとう」
ファルスからはっきりと「可愛い」と言ってもらったメルナはすっかり上機嫌になったようだ。
「それにしてもお腹が減りましたね、どこかで何か食べますか?」
のんびりとした様子でファルスはそう言った。のんびりとはしていたが、いくらかメルナに訴えかけるような含みもあった。
「お祈りをしてからよ、行きましょ!」
そう言うとメルナはファルスの手を引っ張った。
(腹が減ったなあ……)
ファルスはそう思いながら、鈍い足取りでメルナの後をついて行く。
「よお、昨日は楽しかったか?」
収穫祭の翌日。
「疲れました……」
ファルスは昨日の疲れを引きずりながら、馬の世話などの仕事をいつもどおりしていた。ただ、疲れがあるので、朝から動きが冴えない。
「疲れたか、メルナ様はけっこう強引な所があるからそうかもなあ」
一緒に仕事をしているジンは、そんなことを言いながらニヤニヤしている。冷やかすのが面白いのだろう。
「なんで僕ばかりメルナ様は呼ぶんだろうなあ……」
ファルスはポツリと言ったが、
「お前、本気でそれが分からないのか?」
と、ジンは呆れ顔でそのつぶやきに返していた。
収穫祭から一週間ほど経った。
ジンとファルスはブルドーのいるチェニックの町へ行き、黄金色のリンゴを今年も分けてもらい、牧場へ丁度帰って来た所だった。
「今年もご苦労だったな二人共」
ハワードは帰ってきた二人を自室で労っていた。
「いやー、大分慣れてはきましたが、このリンゴを手に入れるのは、毎回骨が折れますよ」
少しおどけた調子でそう言ったのはジンだった。
「はははっ、そうだろうな。よく持って帰ってきてくれた。ありがとう」
ハワードは微笑を蓄え、財布から銀貨を二枚取り出し、
「これを使って、明日遊んで来なさい」
と、ジンとファルスの二人に一枚ずつ銀貨を握らせた。
「こんなに……いいんですか?」
銀貨一枚は二人にとっては多額の金になる。ハワードの太っ腹な褒美に、ファルスは喜びと共に、驚きを感じ、聞き返してしまった。
「いいんだ。羽を伸ばして来なさい」
ハワードが優しくファルスにそう言うと、ファルスは一礼して、その場を嬉しそうな足取りで去り、仕事に戻って行った。
「あいつ、嬉しそうでしたね」
ジンはファルスの後ろ姿を見送って、なんとない満足感を得ている。
「なんだ、お前は嬉しくないのか?」
少し意地悪くハワードが訊くと、
「いやいや! すごく嬉しいです! ただ、俺はですね……」
と、ジンは取り繕うように言葉をつないだ。
「ふふふ……。それにしてもジン。ファルスもよくやるようになったと思わんか?」
ハワードが自分が言いたかった言葉を言ったのでジンは、
「そうです、それが言いたかったんです。あいつは元々飲み込みが早いやつでしたが、努力も続けて、こんな短期間で一端の牧夫になりました。大したもんです」
と、腕組みをしてうなずいた。
「ファルスにもぼちぼちわしの夢を伝えてみてもいい頃かも知れんな」
「あの事ですか?」
「そう、ペガサスの事をな」
ハワードの言葉の後、二人の間に少し沈黙があった。開けている部屋の窓から、秋の涼やかな香りがする風がそよそよと舞い込んでくる。
「そういえば昔、ファルスがこんなことを言っていました」
少しの沈黙の後、ジンは手を打って、ハワードにある話をし始めた。
ハワードから貰った小遣いを使って、二人が休暇を楽しんだ翌日。
「今日も精が出てるな」
「ええ、こいつも人に慣らせとかないといけませんから」
ファルスは仔馬の一頭を引いてコースを回っていた。仔馬にコースの感覚と、人に引かれても動じない感覚を覚えさせようとしているのだろう。
「休暇明けから熱心だな。それはいいんだが、ハワードさんがお前を呼んでるぞ。代わりにこいつを引いておくから、ちょっと行ってみろ」
「なんだろう? 分かりました、行ってきます」
ファルスは首を傾げなから、ジンに仔馬の手綱を渡し、ハワードがいる事務室に走って行った。
ファルスが事務室に入ると、ハワードは一冊の古びた書物を熱心に読んでいた。その様子を見たファルスは、声をかけるのをためらい、しばらくその場に佇んだ。
いくらか経って、ハワードはファルスが事務室に来たことに気づき、読んでいた書物を閉じた。
「ああ、来てくれていたんだな。すまんすまん」
「いえいえ。あんまり熱心に読まれていたようだったので、少しだけ待たせて頂きました」
ハワードはよく馬に関する書物を読むことがあるが、今読んでいたのも恐らくそれだろうとファルスは見当をつけていた。
「そうか、それならいい。ところでジンからある話を聞いてな。それでお前を呼んだんだ」
なんだろうとファルスは思った。呼ばれたことに関しては見当がつかない。表情も怪訝なものになった。
「なに、悪いことで呼んだわけではないんだ。お前は故郷のパラレイクの森によく行っていたそうだな」
「はい。そこで野生馬の様子を見るのが好きでした」
そう答えながら、ファルスはハワードが何を訊きたいかが、なんとなく分かってきた。
ファルスの返事にハワードは二回うなずき話を続けた。
「そこで非常に俊敏な、純白の馬を見たことがあるというのを聞いたんだが、それは本当か?」
ハワードの問いかけにファルスはゆっくりうなずいて、
「確かに偶然に見ることができました。他の野生馬より格段に速く、非常に美しい馬でした」
と、しっかりとした口調で答えた。
「ふむ……そうか」
ハワードは静かにそう言ったが、その目はやや興奮に似た輝きを帯びている。
少しの間、ハワードは何か考えていたようだったが、先程読んでいた書物を再び取り出し、ファルスにそれを見せながらこう言った。
「この書物にはな、ある信じ難いことが書いてあるんだ」
「信じ難いこと? 何でしょう? それは」
「お前もお伽話の中などで聞いたことがあろう。ペガサスのことが書いてある。それも、その配合についてな」
ファルスはそれを聞いて「まさか」という顔をした。にわかには信じられないようだ。その様子を見てハワードは笑った。
「はははっ、そういう顔をすると思ったよ。だが、お伽話を本気にしているいい大人がここにいるんだ」
ハワードが本気の様子なのを見て、ファルスは慌てて表情を切り替えた。
「すみません……。ですが、その書物に書いてあることは……」
ファルスの言葉尻を取ってハワードは、
「わしは本当だと信じとるよ。ペガサスを作るのはわしの最終的な夢なんだ」
と、言った。
その目は少年のように澄んでいた。




