第十三話 久しぶりじゃったな……
ファルスから宝石箱を渡されたザバは、それを開けると、中に入っている赤い水晶球の神秘的な輝きをしばらく眺めていた。そして、一つ小さくうなずき、宝石箱を閉じた。
「確かに。ありがとう、ファルス君」
ザバは穏やかなほほ笑みと共に、ファルスに礼を言った。
「この水晶球を返していただく時に、ジオルグ様から、かわったことを伺いました」
「うん?」
ザバは返事をしたが、その穏やかな表情は変わらなかった。
「この赤い水晶球には、動物を大人しくさせる不思議な力があるのでは、ということでした」
ザバはゆっくりうなずいて、答えた。
「これはな、大昔、この国がもっと荒れていた時からある代物でな、元々はもっと大きなものじゃたんじゃ。というより、元のもっと大きな赤水晶から作られたものなんじゃよ」
ザバが語るのをファルスは非常な関心を持って聞いている。
「その昔は、もっと獰猛な野生動物も多かったんじゃが、その大きな赤水晶があった所では、不思議と、動物による被害もなく、動物達も大人しかったらしい。赤水晶の魔力によるものじゃったんじゃろうな」
ファルスは軽く相槌を打つようにうなずきながら聞いている。
「その魔力にあやかるために、水晶球を、その赤水晶から幾つか作り出したらしい。そのうちの一つがこれになるそうじゃ」
「だとすると、非常に貴重なものなのでは」
ザバは「いやいや」という風に手を振って、
「確かに世間様から見たら貴重なものかも知れんが、わしにはただの魔術道具の一つに過ぎんよ。だから、ジオルグに形見代わりに預けたんじゃ」
と、飄々淡々と言った。
「じゃが、ちょっとこれを使わんといかん問題がちょっと出来ての。あんたに頼んでしまったわけなんじゃ」
ザバはそこで語るのを一旦やめた。水晶球に関する一連の話を聞いたファルスは、少しきょとんとしている。なんとなく腑に落ちない所もあるのだろう。
「水晶球が必要になる問題とは?」
二人の間に少し沈黙があった後、ファルスから、そう尋ねた。ザバはまたゆっくりと話し始めた。
「わしの家の近くにちょっと厄介なのがおっての……」
そこでザバは言葉を区切り、少しの間、思案しているようだった。やがて、考えがまとまったのか、また口を開いた。
「あんた、頼まれついでにもう一つ頼まれてくれんか? そうしてくれれば、もちろん礼はする」
「何でしょうか? 伺います」
そう返事をしたファルスを見た後、ザバはダイニングの周りを見渡して、
「準備をしながら話そう」
そう言った後、何かしら、色々荷物を作り始めた。
昼は既に回っていたが、日が暮れるまでにはまだ十分時間があった。ファルスはザバの代わりに、水晶球などの荷物を持ち、少し前を歩いているザバについて行っていた。
そう険しくはないが、ザバの家の近くにある丘を登っている。周りは森になっていたが、歩を進めると共に、それは深くなってきていた。
「……」
ファルスは黙々とザバの後をついて行っている。
「水晶球が必要になったということから、この先に何があるか、いくらか想像できるかの?」
ザバも今まで黙っていたが、道程をある程度進んだところで、ファルスに問うように話しかけた。
「と、言うと、凶暴な動物がいるとか?」
ファルスに真っ先に浮かんだ答えはそれだった。その答えにザバは「そうじゃ」と返し、
「わしでも、そいつには近づいて魔法をかけて大人しくさせるわけにはいかんのでな。ちょっと、お前さんに持ってもらっているそれを使わんといかんようになったんじゃ」
と、コツコツと歩きながら話した。
「その凶暴な動物とはどんなのなんですか?」
ファルスはそれだけザバに訊いてきた。肝が座っているファルスは、凶獣がいるということを聞いても、そう驚いた様子はなかった。
「そうじゃな……。まあ、もうすぐ目的地に着く。見ればわかるじゃろう」
ザバがそう言うと、程なく目的地に着いた。
丘を登り切ったその場所は平らな土地になっており、森の木々もその場所だけ、それほど密集していなかった。
「着いたの」
そう言ったザバは、ついてきていたファルスに荷物を下ろすように指示した。
「……」
荷物をその場に下ろしたファルスは、辺りをキョロキョロと見回している。凶獣がどこにいるのかと探しているのだろう。
「あっちにおるよ。大分距離が離れとるから、ここなら安全じゃ」
ザバはそう言うと指である方向を指し示した。ファルスはそっちを見た。
示した場所は森がさらに開けていて、いくらか日が差す広場のような場所になっていた。その場所に凶獣はいた。
「まさに……」
そう言って、ファルスはしばらく凶獣の様子を伺った。その凶獣は大熊で、広場の辺りをのそりのそりと動いている。動き自体はゆっくりとしていたが、その目は凶暴な動物のそれのように遠くからでも見えた。
「よし。荷物の中の水晶球を取ってくれんか?」
そう言ったザバの方を見ると、そこには今まで見せたことのない、引き締まった鋭い顔貌をしたザバがいた。ファルスは慌てたように荷物の中から水晶球を取り出し、ザバに渡した。
「わしは少しあいつに近づくが、あんたはここにいてくれ」
「えっ……。しかし、危ないのでは……」
「おそらく大丈夫じゃろうが、万一のことがあれば、あんたは丘から降りて、皆に知らせてくれたらいい。それが頼み事じゃよ」
ザバはファルスにそう言うと、スタスタと大熊のいる広場の方へ近づいて行った。
丘の開けた場所にも、春の風情がある野鳥のさえずりが聞こえてきたが、今のファルスにはそれは聞こえてこない。ファルスは固唾を飲んで、大熊に近づいて行くザバを見つめていた。
ザバは大熊がこちらに気づかないギリギリの距離の所まで近寄っていた。表情は引き締まっており、大熊に対する構えも隙がない。それらは宮廷魔術師を務めていた昔を物語っているようだった。
大熊は依然として、一定の場所をウロウロしているようだった。その目は鋭い。
「この辺じゃの……」
ザバはそう一人つぶやくと、大熊の様子を注視しながら、赤い水晶球を利き手に持ち直した。そして大熊のいる方向にそれを転がした。
「……?」
水晶球は大熊のいくらか手前で止まり、それを見止めた大熊は、一瞬キョトンとした。その後、水晶球に興味を惹かれたのか、それに近づいて行った。
「……!」
水晶球に近づいた大熊は、その先にいるザバの姿も見止めた。大熊は警戒の構えを取ったが、その後ザバの方にゆっくり近づいて来た。その目は攻撃的で鋭い。
一方のザバは印を結ぶような動作をして、集中していた。集中が高まると共に、ザバの体から不思議なオーラのようなものが現れた。
「かっ!」
集中が最大限にまで高まった後、ザバは気合い声と共に、赤い水晶球に向かって両腕をかざした。すると水晶球から、優しいが赤く強い光が放射状に発し、その光を大熊はまともに受けた。
「グルオオオ!」
光を受けた大熊はパニックになり、大きな鳴き声を上げたが、その後、途端に大人しくなった。目も穏やかになり、殺気が全く消えている。
「よし、上手く行ったな。ファルス君、もう大丈夫じゃよ」
ザバの表情はいつもの穏やかなものに戻っていた。
ファルスはザバにそう言われた後も、あっけにとられたようにしばらく立っていた。
大人しくなった大熊は、ザバからいくらか持ってきた食べ物を与えられると、どこかに去って行った。
「もうあの大熊は悪さをすることもあるまい」
ザバは飄々とファルスにそう言った。
「やはりあの赤い光も……」
「そうじゃ魔法じゃよ。赤い水晶球とわしの魔法を共鳴させて、さっきの大熊を大人しくさせたんじゃ」
ザバはゆっくりと歩を先程、大熊がうろついていた辺りに向かって進めている。ファルスもそれに習った。
「なんにしても上手く行ってよかった」
飄々としているが、ザバも内心ホッとしているようだ。
「大熊は大人しくなったのに、まだ帰らないということは、何か特別な場所がここにあるのですか?」
歩を進めるザバに疑問を感じたファルスはそう問いかけた。
「ああ、ちょっとな。ん、ここじゃここじゃ」
ザバはそう答えると、生い茂った草を少し刈り込み始めた。すると、小さな墓が現れた。
「つれの墓じゃよ」
ザバはそれだけ言った。
「あっ……」
ファルスはそれで大体悟ったようだった。
「やれやれ、久しぶりじゃったな、婆さん」
ザバは水で墓を洗い始めた、ファルスもそれを手伝った。
その後、二人は黙ってしばらく礼拝した。
のどかな野鳥の歌がどこからともなく聞こえてくる。