第十話 飄々とした老人
ジンとファルスが黄金色のリンゴを手に入れた旅から帰ってきて、暫く時が経った。
年を越して春になっていた。
黄金色のリンゴを与えた仔馬達の成長は目覚ましいものがあり、大人の体格をした馬になるまで普通、生まれてから二年程は育てないとならないのだが、一年程で、どの仔馬も立派な体格になっていた。
「この間まで小さかった子達が、あっという間に大きくなったわね」
牧場に来ているメルナが、大きくなった仔馬を見ながらファルスと話している。メルナは最近、たまに一人で牧場まで来て馬の様子を見ているようだった。楽しみの一つになっているらしい。
「普通、こんなに早く大きくならないんですけどね。やはり、黄金色のリンゴのおかげでしょう」
ファルスは話しながら、牧場の整備をしていた。年を越し、ファルスも幾分体が成長し、体つきがたくましくなっていた。
「どの子も凄く速いわね。これもリンゴの効果かしら?」
大きくなった仔馬の何頭かは、コースを走っていた。どの馬もメルナが言う通り、俊敏である。
「リンゴの効果もあるし、きっちり調教しているのもあるでしょうね。いい馬になってくれました」
ファルスがそう言ったのを聞いて、メルナはふふっと笑った。
「初めて会った時はちょっと頼りなかったけど、しっかりしてきたわね。ファルス君も」
「えっ……。そうですかね」
ファルスはメルナに褒められて、照れてしまった。その様子を見てメルナはまた笑った。
ファルスはまだ照れていたが、ふと、牧場の入り口の方を見ると、一人の老人が入って来るのが見えた。
「あれ? お客さんかな?」
「お年寄りね。でも」
メルナも老人に気付いたようだ。
「とりあえず用件を訊いて来ます」
ファルスは入って来た老人の所へ、走って行った。
「こんにちは」
「やあ、こんにちは」
ファルスは近寄って、老人にまず挨拶をした。老人の背は小さく、着ている服は古びた麻布のみずぼらしいものだった。優しい好々爺のような顔つきをしている。
(馬を買いに来たようには見えないけどな……)
ファルスは怪訝と少しの不審が混じったような表情で老人の風采を見てそう思った。が、用件をとにかく訊いてみることにした。
「牧場に何か御用事ですか?」
「ああ、馬を一頭買いに来たんじゃよ」
優しい表情を変えず、その老人は用件をファルスに言った。ファルスはやや驚いた。
「……ご購入ですか?」
「買う」という言葉が出てくるとは思わず、ファルスは訊き返してしまった。馬は高価なもので、パンやミルクのように簡単に買えるものではない。このみずぼらしい老人から、その言葉が出たのはファルスにとって意外だった。
「そうじゃ。そこそこ速いのがいいのう」
老人はファルスが訊き返したのに、気を悪くする様子もなく、もう一度、購入する意志を言った。表情は相変わらず優しいままだ。
「かしこまりました。牧場主のハワードの所へお連れするので、こちらにおいで下さい。後、お名前を伺っていいですか?」
「かまわんよ。ザバという」
訊き返したことがやや非礼だったかと思い、ファルスは一人顔を赤らめていたが、老人は意に介さず、飄々とファルスの案内について行った。
ハワードは事務室で書類を作っていたが、ファルスが連れて来た老人が、馬の購入の意志があるということを聞いて、やはりハワードもさっきのファルスのような表情をしてしまった。買う意志は本当のようなので、ともかく、馬を見せることにした。
「厩舎に今、入っている馬は以上です」
「ふむ。体格はどの馬も立派で、速そうじゃが、随分と若い馬ばかりじゃの」
厩舎に案内されたザバは馬をじっくりと見ていたが、馬の若さに気付いたようだ。
「おっしゃる通りです。どの馬も、大人の体格になったばかりです。走るのはよく走るんですが、若い分、落ち着きがない馬も何頭かいます」
見抜かれたハワードは老人を見直したようで、態度を改めてそう答えた。老人はうんうんとうなずいている。
「外にも走る馬はおるかの?」
一通り馬を見終わったザバは、そう訊いてきた。
「はい。何頭かいます。ご案内しましょうか?」
「ああ。頼むよ」
春のうららかな陽を受けながら、放牧場にいる馬達はのんびりと草を食んだり、歩いたりしていた。牧場らしい、非常にのどかな光景で、野鳥や蝶もどこからともなく舞いこんでいる。
「あの辺りに固まって一緒にいる馬達が、現役の馬です。現役の馬になったと言うべきかもしれません。」
ハワードは放牧場の一角を指して言った。そこには何頭かの若駒がいた。
「ほうほう。なるほど」
ザバは近づいて、それらの馬をよく見た。そして、ある一頭に目をつけた。
「この馬は大分聞かん坊そうな感じのようじゃの」
ザバが目をつけたその馬は、落ち着きがなく、ザバが来てもそっぽを向いている。顔つきもどことなく、やんちゃそうだった。ハワードはその馬に目をつけられたことに、頭を掻いていた。
「こいつは確かに、かなりやんちゃな馬です。人にもあまり懐かず、調教をつけるのも一苦労でした。色々問題を起こしてくれましたよ。速いのは速いんですが」
ザバは説明を聞きながらうんうんとうなずいて、にこやかな表情でそのやんちゃな馬を見ている。
「よし決めた。こいつを買おう」
淡々とザバがそう言ったのに、ハワードもファルス達も非常に驚いた。
「えっ!ですが……」
「何、大丈夫じゃよ」
ザバはそう言うと、さらにそのやんちゃな馬に近づいた。馬はいななき、「あっちに行け」とでも言いたそうな態度を示していた。
「よしよし、いい子だ」
ザバはその馬の顔の前に手をかざした。馬はザバに噛みつきそうだったので、慌ててハワード達が駆けよったが、ザバのかざした手から不思議な青い光が発せられ、その馬の体を包むのを見て立ち止まった。
その光に包まれたやんちゃな馬は急に大人しくなり、何と、ザバの体に頭を擦り付けて来た。
「よしよし、いい子になったな」
ザバは優しい笑顔で馬の頭を撫でてやった。
「……」
ハワード達は信じられないという顔をして呆然としている。
ザバが牧場を訪れてから、幾らか日数が経った。
やんちゃな馬はザバに買い取られることになり、丁度、今日が納馬の日であった。既に馬にはザバからサザンライナーと名付けられている。
ファルスはハワードから申しつけられて、馬をザバの家まで納めに行くことになっていた。
「それにしてもお前はめっきり大人しくなったなあ」
手綱を引きながら、ファルスはそうサザンライナーに話し掛けていた。いまだに信じられないというような顔をしている。
(こいつをこんなに大人しくさせたザバさんは何者なんだろう?詳しく訊かなかったけど……)
同時にそんなことも思っていた。ファルスの脳裏には、ザバがサザンライナーに不思議な光を放った光景がよぎっている。
「何にしても、もう一度会えば分かるか。少し話をしてみよう」
そうつぶやき、ファルスはその後ザバの家へ歩を黙々と進めた。